「遠野物語」のカッパ(1)一升樽【河童文献調査考察】
はじめに
私、戸高石瀬のライフワークは、全国各地の河童伝承を収集することである。既に数多の民俗学研究者によりしゃぶりつくされた「河童」という怪異。現代においては一般化されたイメージが定着した上で、忘れ去られようとしている。
これまでのローカルな活動(ZINE等)では、文字数の関係で原文を引用掲載できなかった。しかし本音では、原文を正確に蓄積し、いつでも参照できるようにしたかったのだ。
超ローカルな文献をあさっていると、河童伝承がメインでなはないもののほうが多い(〇〇地区の昔ばなし、など)。これら膨大な量の書籍を個人所有するには限界がある。そこでNOTE活用を思いついた。
このシリーズ【河童文献調査考察】では、原文から引用し、客観的考察と個人的感想、内容に応じて話題を広げていく。
* * *
まずは第一弾として、王道中の王道、遠野物語。青空文庫に公開されているが、個人的には出版書籍を読んでいただきたい。縦書き・明朝体・組版された紙面。淡々と記載される怪異と生活の混沌。戦慄。京極夏彦による現代語版の書籍や絵本も面白い。
「遠野物語」とは
明治43年(1910年)に発表された、岩手県遠野地方に伝わる様々な逸話、伝承を記した説話集。民話蒐集家兼小説家の佐々木喜善が語った内容を、柳田国男が筆記・編纂した。日本の民俗学の先駆けと称される。佐々木喜善は「日本のグリム」と呼ばれ、民話収集オタク学者を語る上で欠かせない存在である。
カッパの子を産んだ女たちの話
客観的考察
今回の河童定義ポイント~阻止できぬ夜這い~
河童伝承において興味深いのは、地元民が何をもって「それ」を河童と判断したのか、という点である。河童伝承それぞれで定義が違う。また、河童自身が「おれはカッパだ」と名乗る話はきわめて少ない。
今回の話においては、以下のポイントが挙げられる。
正体不明者が人妻に夜這いを続けていた。家族が添い寝しても夜這いを阻止できなかった。
妻が川辺でにこにこ笑っていた。夜這いの際も笑っていた。
きわめて難産であったが、馬槽にためた水の中で産むことができた。
生まれた子の姿はきわめて醜怪で、手に水搔きがあった。
妻の母親もかつて川童の子を産んだ。
最も不思議なのは、夜這いを阻止できなかったことである。金縛りのような描写もある。捕まえようと待ち構えていた夫や母が、動けなかった。これは確かに普通の人のなせるわざではない。
また、周囲の心配をよそに妻が笑っている不気味さである。
3.~5.は、現代医学において説明可能である(一般的知識であるため割愛)が、当時の人々にとって少なくとも「普通ではない事」だったのが分かる。
カッパ新生児への対応~刻んで樽詰め~
生まれた子は、斬り刻んで一升樽に入れ、土に埋めたという。
一升樽の容量は約1.8リットル。現在の販売品を見てみると、高さ20cm・直径23cmほどで、卓上でミニ鏡開きをする際に重宝されている。樽の各サイズのなかでも最小クラスである。
現代の新生児であれば、平均体重は約3000グラムで、(考えたくないが)おそらく刻んでも一升樽には入りきらない。
カッパの子の肉片が一升樽1個におさまったとするなら、低出生体重児であったことが推察される。
個人的感想
なぜ刻んだ
斬り刻んだ理由は不明だが、「カッパは刃物が苦手」という伝承が日本各地にある。間違っても再生しないようにと封じる思いか。
間引き
民俗学的知識として、子の間引きの話題は非常にセンシティブである。近年に至るまで様々な報告がある。あまり深く調べると吐き気をもよおすのでご注意を。
柳田国男は少年時代に間引きの光景を描いた絵馬を見た(見てしまったと言うべきか)。その衝撃がきっかけで、のちに官僚として農政改革および民俗学に没頭することになったという。
また最も古くは神話で、イザナギとイザナミの間に生まれたヒルコ。不具があったことで葦の舟で流された。次に生まれたアワシマも不完全であった。ヒルコとアワシマは”自分たちの子の数には入れない”とまで記された。
今回、カッパの子の間引きの作法が正しかったのかどうかは分からない。
あるいは「正しくないまま終わらせる」ことが重要だったのではないか。当事者たちにとって作法などを冷静に考えられる状況ではなかった。迅速に封じること、ヒトとして扱わないこと、それが唯一の納得だったのかもしれない。
しかしながら、女はなぜ笑っていたのだろうか。
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