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ローカル文献より「河童の嫁入」(鹿児島昔話集)【河童文献調査考察】

このシリーズ【河童文献調査考察】では、原文から引用し、客観的考察と個人的感想、内容に応じて話題を広げていく。
* * *
今回はローカルな文献で面白いものがあったため寄稿する。鹿児島の昔話としてひっそり伝わる「河童の嫁入」である。キツネなら聞いたことがあるが、カッパはいかがか。
真夜中の雨の擬音は「ボソボソ」。河童の声は「ヒンヨウ ヒンヨウ」。
短い編だが鹿児島弁が入り混じり、遠野物語のように目の前で語られるごとき味わいがある。
河童怪異について単独行動中の報告が一般的に多いが、今回のように複数人で遭遇し対応するというのは、少し珍しい。

河童の嫁入

昔々或る処に田中どんと言ふ所があつた。或る雨がボソボソ降る夜、真夜中、「ヒンヨウ ヒンヨウ」と河童が通つた。夜遊び帰りの二三の男がそれにでくわしたら、二人の男はブッ倒れた。一人の男は真青になつて帰つたが、それからは重い病に臥して了つた。いろいろと医者に診てもらつたが癒らない。とうとう占者に観て貰うた処、河童かっぱ嫁入ごぜむけのさまたげをしたとのことで、そこで家族の者が皿を五束と酒𤏐子しょちゆうじよくと子ちよとてもと五束とを川辺に出しておきなさいと言つたのでその通りしておくと、翌日それらは何もなかつた。そしてまた翌日其処に行つて見ると皿も酒𤏐子もちよ子も箸もそのまま返してあつた。その上肴や、とりざかな(折詰)が沢山ずんばい置いてあつた。それを持つて帰つて病人に喰べさせるとすつかり癒つた。

類話……木挽が山で木を挽きつてたらえらい賑やかな騒ぎがするので聞いてゐると身が動けないやうになつた。これは河童の嫁入のさまたげをしたに違ひないと。山草履やまぞいを頭に載せて助かつた。その夜馬が暴れて死ぬ。伯楽ばくよから再び馬を購つたがまたその晩死ぬ。そこで占者に観て貰ふ河童が祟つてゐるから河童をお祀しなさいと言ふ。そこで山へ神祠を建てた。

有馬英子「<付>鹿児島昔話 一、河童の嫁入」P236『鹿児島昔話集(全国昔話資料集成3)』岩崎美術社1974年

鹿児島弁の解説

①「ごぜむけ」

鹿児島弁で嫁入りのことである。ゴゼンケとも(※1)。語源は「御前迎え」である。
「御前」は女性の敬称で、それをお迎えする。牛留氏曰く「まことに優雅な表現。」である。
熊本県の一部ではゴジュンケ、ゴジョンケ、ゴジョムケという地域もある(※1)。
また、宮崎県都城市の「山之口麓文弥節人形浄瑠璃」の幕間に『太郎の御前迎(ごぜむけ)』という演目がある。
宮崎県小林市の西諸(にしもろ)弁辞典(※2)でも「ごぜむけ=結婚式」と登録されている。

※1 牛留致義『かごしま文庫②「かごしま語」の世界』春苑堂出版 1991年
※2 てなんど小林|西諸弁辞典 http://www.tenandoproject.com/jiten

②「しょちゅうじょく」

酒𤏐子に上記のルビがふられている。𤏐は熱燗の燗の異体字。
そのまま漢字を読むと「さけ・かん・し」だが、話者はこの道具をショチュウジョクと発語したようだ。
焼酎を「しょちゅ」、土瓶・急須・鉄瓶などを「ちょか」と発語する鹿児島弁(※3)が合わさったものと考えられる。

「ちょか」は「千代香」「茶家」と書くこともある。鹿児島の伝統工芸品として芋焼酎を温める土瓶「黒ぢょか」が有名である。鉄瓶(カナヂョカ)、茶瓶(チャヂョカ)と用途によって区別したりする。語源は諸説あるが、明確なルーツは分かっていない。
琉球国ちょか村の人が薩摩に伝来したため(※1にて越谷吾山『物類称呼』参照あり)。
沖縄の土瓶や急須を指すことば「チューカー」(※4)。
・おちょこ(猪口・千代口・ちょく)の対句。
中国語で酒罐(jiǔ guàn チュウクワン)。酒を入れる大きな甕のこと。

鹿児島の黒ぢょかセット

※3 鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典) https://kagoshimaben-kentei.com/jaddo/
※4 沖縄新報デジタル https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-42102.html

③「子ちょ」「ちょ子」

原文ママであるが、誤記なのか口語そのままなのかは不明。
前後の文脈から、おちょこ(猪口)を指すと考えられる。

④「ずんばい」

沢山に「ずんばい」のルビがふられている。意味はそのまま、たくさん。現在の鹿児島でもテレビCMなどで時折聞くことがある方言。
語源とされる「ずばと」(器などにいっぱいになっている状態を表すことば)は、九州地方の方言「すんばり」の転訛(※3)だという。
ちなみに筆者石瀬は熊本出身だが、すんばりは聞いたことがない。

⑤「ばくよ」

伯楽にあてた「ばくよ」。牛留氏によると、牛買い専門の牛馬商を鹿児島弁でバクヨという。「ばくろう」の訛りで、これは「博労」「馬喰」などの漢字をあてる(※1)。
もともと伯楽は、中国の馬をよく見分ける名人の名前である。
鹿児島では馬の医者、獣医師としての業者を「ハクラクドン」、牛馬商人を「バクロ(ウ)」として区別することもある(※1)。
各地の田舎では、バクロウは口達者でいやなやつ…悪口として使われることもあると聞く。

客観的考察

今回の河童ポイント~神のちぐはぐ~

  1. ヒンヨウ ヒンヨウと「河童の声」がした。

  2. 遭遇後、ぶっ倒れる×2、重い病変×1。

  3. 占者の見立てで「河童の嫁入を邪魔した祟り」。

  4. 占者の指示通り川辺に5セットのごちそうを置くと、食器ごと消えた。

  5. 後日、食器とともに御礼として祝いの魚料理や肴がたくさんあった。病人に食べさせると治った。

  6. 木挽(きこり)が山中で騒ぎを聞いていると動けなくなった。河童の嫁入りの邪魔をした祟りだと思った。

  7. 山草履を頭にのせて助かったが、それから馬が続けて死んだ。

  8. 占者に相談して、山に祠を建てて河童を祀った。

1.~5がメインの話で、6.~8.が類話として末尾に紹介される話である。
書き出してみると不思議なポイントが盛りだくさんである。
邪魔した詫びとしてごちそうを供えたのに、御礼とばかりに肴がたくさん置いてあった(謝罪にお返しの品ってすごく変!)。
河童の祟りで伏せていた病人が、河童の返礼品で回復した(おまえが祟ったんやろがい!)。
なんともちぐはぐな交流が、神らしい。

7.に至っては、「草履を頭に載せる」=禅宗の公案「南泉斬猫」の重要場面である。これは「上司に反論できないので咄嗟にボディーランゲージ」、「意味のない動作」、「本末転倒」といった解釈があるが、今回はまさに「意味のない動作」だったのではないか。実際、持ち馬が死んだので祟りを免れなかったのであって。
魔よけの動作として採用されなかったのだ(河童が空気読んでくれなかった)。

3.4.8.で共通して占者が登場するが、占者が「河童のしわざだ」と初診断する前に、当事者たちが現場で「河童だ」と気づいた描写である。判断が早い。占者は相談をうけてアドバイスしているのである。

また3.と6.で占者や木挽が「嫁入」という婚姻行事に限定して判断したのは何故なのか。メインの話では夜の雨。所謂「キツネの嫁入り」のような珍しい天候でもない。
ここで石田英一郎先生の『新版 河童駒引考』を参照する。石田先生は世界各地の「馬と水神」における馬種改良にまつわる伝説を丹念に調べ挙げた上で、次の通り考察を深めておられる。

また昔から雌馬を放って竜種をうる伝説に名高い青海のほとりには、今日なお土人の”野馬”とよぶ野生驢馬の大群を見、五色の母馬を山麓において、汗血天馬の子を生ませたという大宛国フェルガナの地は、中国の馬種改良に最大の貢献をなした名馬の産地であった点などからみても、東亜より西南アジアにわたって分布する、水馬竜種伝説の原型の少なくとも一部をなすものが、直接上記の牧畜習俗に由来するものと思われる。だがこの型の伝説や昔話のうち、種馬がおおむね水中に棲み、または水中の霊怪がこの種馬の役割を演ずるというのは何故であろうか。あるいは単に水辺に牧をかまえる慣行が、この種の伝承を生んだといっても、さらに一歩をさかのぼれば、このような慣行そのものの背後にも、もともと単なる牧畜技術上の実利をこえた、呪術的ないしは宗教的な観念が潜んでいなかったであろうか。

石田英一郎 「第1章 馬と水神」『新版 河童駒引考 比較民族学的研究』岩波書店 1994年

石田先生は、中国において水神河伯に馬を捧げた例をあげ、なるほどこのような価値観がかつて日本に流入したことは疑いの余地がない、と一旦納得しながら、実際にはそのような伝説が記された諸文献が日本に入ってきた頃、それらを読むことができたのは限られた一部知識層だけであったはずと推察する。
それなのに「日本列島の山間僻地すみずみにまで、かかる同一系統の観念が分布するということは、はたしてどこまで可能であろうか。」と。
つまり中国文化伝来前から、もともと日本に馬と水神の信仰観念があって、だからこそいざ伝来した際にすっとなじんだのではないか……と述べている。
話を戻すと、今回の占者や木挽が「河童の嫁入」という婚姻行事に限定判断した背景には、野生の雄馬から優秀な子種を得る慣行または形式的儀式を(河童による怪異現象として)知っていた、「馬と水神と河童」の結びつきについての観念が共通してあった、と考えることができる。

石田先生は同著第二章で「牛と水神」にも切り込んでいくので、詳しくは各位ご参照いただきたい。

個人的感想

今回の話は、所謂いたずら好きのカッパや、水子霊関係、被差別民関係、土木工事を手伝った人形説などからは一線を引く。
「神」として畏れられ祀られる河童である。祟りもするが、丁寧に対応すれば恩恵を得られる。
人間が、河童の姿を見ず気配を察知しただけで、失神・病変・脱力するほど怯えた。
当事者たちは共通して同じ存在――絶対に力が及ばない何か、を感じていたのだ。
現代の我々が、すっかり忘れた感覚。
人間以外のものが、人間の見えないところでことわりを動かしている日常。お互いの領域には踏み入らない。ファジーなものをファジーなままに留め置いていた。

例えば海辺に巨大な海洋生物の遺体が漂着したニュースを見たとき、私たちはその感覚を一瞬思い出す。絶対に力が及ばない恐怖。脱力。不安。もうすぐ地震が起こるんじゃないかとかファジーな結論を出したがる。

何気なく手に取った文献であったが、日本に古くから浸透していた河童・水神・水馬竜種に対する感覚の名残である可能性が高く、非常に面白かった。長文失礼した。

おわりに(定型文)

私、戸高石瀬(とだかせきらい)のライフワークは、全国各地の河童伝承を収集することである。既に数多の民俗学研究者によりしゃぶりつくされた「河童」という怪異。現代においては一般化されたイメージが定着した上で、忘れ去られようとしている。
これまでのローカルな活動(ZINE等)では、文字数の関係で原文を引用掲載できなかった。しかし本音では、原文を正確に蓄積し、考察し、いつでも参照できるようにしたかったのだ。
ローカルな文献をあさっていると、これら膨大な量の書籍を個人所有するには限界がある。そこでNOTE活用に至った。
今後も活動を広げていく。

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