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「『応援』とは何か」 チアリーダーズ四年 吉田莉々

はじめまして!
チアリーダーズ四年の吉田莉々と申します。
2月末から始まった応援部note企画も、いよいよラストに近づいて参りました。
何を書こうか迷っていたら提出期限が来てしまいました😅ということで、原点回帰!!!「応援」とは何か、という問いについて私なりに分析しました。ぜひ、イカ東応援部員の考察にお付き合いください!

「応援」について考えてみる

そもそも「応援」とはなんでしょうか。それは試験を控えた友人に向かって「絶対大丈夫!応援しているよ!」と声をかけることであったり、グラウンドでプレーしている野球選手に向かって「かっ飛ばせ〜!」と声援を送ることであったり。スーパーで店員さんが「レジの応援お願いします」と言ったところ、その場にいた小さな子供が「頑張れ〜!」とエールを送ってくれたという微笑ましいエピソードを最近見かけて、なるほど「応援」という言葉は多面的だなとハッとさせられました。

そこで東大生らしく辞書を引いてみたいと思います。デジタル大辞泉によると「応援」とは〈①力を貸して助けること。また、その助け。②競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。〉だそうです。

つまり、辞書的には「レジの応援(=人手不足のレジを助ける)」が「選手の応援(=選手を声援や拍手で元気づける)」よりも先に来るんですね。本日は、私が運動会各部の応援に伺う部活の一員であることも踏まえて、②の意味での⦅応援⦆の意義について考えたいと思います(なお、この⦅応援⦆は先に示した競技・試合に限らず、日常的な場面における励ましの言葉等も含めることとします)。

「応援」を3つの観点で分析してみる

まずは、応援がある事象に及ぼす直接的(物理的)変化という観点で分析してみます。
①の意味の応援では、応援する側はその対象としている事柄の結果を直接的に変えることができます。レジの応援に駆けつければレジの回転率を上げることで買い物客の待ち時間を減らすことができますし、警察の応援部隊が出動すれば犯人を確保する確率は高まることでしょう。ですが、②が指している⦅応援⦆では、そのようにはいきません。受験を控える友人に向かって「頑張れ」と声をかけたことでその人の試験の点数が上がるわけではないですし、スタジアムに響く「頑張れー」という声援がスコアボードの点数を動かすこともあり得ません。
このことからわかるのは、少なくとも②の意味での⦅応援⦆は表面上の結果を変える力は持たないということです。これは⦅応援⦆をする側にとって残酷な現実でもあります。いくら最大限の気持ちで鼓舞をしても、喉の底まで声を枯らしても、実際に手や足を動かして結果を掴み取らなければいけないのは応援「される側」であり、⦅応援⦆を「する側」が結果に入り込む余地はないのです。

本当でしょうか。
⦅応援⦆が何かしらの結果を変えうる可能性を求めて、次は応援がその対象に及ぼす間接的(心理的)変化という観点で考えてみましょう。
たとえ⦅応援⦆が実際の結果を変えることができなくても、励ましの言葉を受け取った人の心情の変化次第によっては、間接的に結果を変えうるということもできるでしょう。図式に表してみると以下のような形になります。
× ⦅応援⦆→ 結果の変化
○⦅応援⦆→⦅応援⦆された人の何かしらの心情の変化→結果の変化

この心情の変化の内容は、その時の状況や⦅応援⦆をする側・される側の関係性、個人の感受性などに応じて決まるものであり、明確に特定することは不可能です。多くの場合、励ましの言葉を受け取った人はそれをポジティブな力に変換し、結果を向上させるエネルギーとなることでしょう。例えばあなたが大事な試験を控えた前に、親友や家族から「絶対大丈夫だから安心してベストを尽くしてね」と声をかけられたらきっと嬉しいし、頑張ろうという気持ちになると思います。
一方で、むしろプレッシャーや押し付けがましさを感じてしまう人も中にはいると思います。この点については後ほど補足したいと思います。
以上の議論より、⦅応援⦆がそれを受け取る人の感情を動かすこと、そしてそれが事物の結果に影響しうることが明らかになりました。

ここまで⦅応援⦆とその直接的・間接的帰結について議論してきました。ですが、ひとつ重要な視点が抜けていることにお気づきでしょうか。まさしく⦅応援⦆を「する側」の話です。
⦅応援⦆が相手に対して、また事物の結果に対してどのような影響があるかという話は一旦全部忘れて、あなた自身が誰かを励ました経験について思い出してみてください。
例えばつい先日、ワールド・ベイスボール・クラシックで日本が優勝しましたね🇯🇵これを読んでいる方の中にも「大谷投手、最後はストライクで仕留めてくれ…!」とエールを送ったり、村上選手のファインプレーに熱狂したりした方がいらっしゃったのではないでしょうか。日本中が侍ジャパンを⦅応援⦆し、その快挙に歓喜したことが記憶に新しいです。

また、もっと日常的な話で言えば、自分の兄弟姉妹が受験に挑む際や大学の友人が大きな発表を控えている際など、会話の中で自然と「頑張ってね応援しているよ!」と言った類の言葉が出てくるのではないでしょうか。仮に口に出さなくても、心の中では⦅応援⦆の気持ちが宿っていることでしょう。
ここで伝えたいことは、こうして人が激励の気持ちを持っている時、そこには自分にとっても何らかのポジティブな感情が芽生えているのではないかということです。WBC然り、日常の例然り。きっと⦅応援⦆するあなたの心の中には、純粋に人の活躍や努力を鼓舞し喜ぶ心情があったと思います。
つまり、⦅応援⦆とは、その対象者となる人や事物だけではなく、⦅応援⦆を「する人」の心理的変化にも関わるアクションなのです。そして多くの場合、その心の動きとは、自分にとっても活力となるような前向きなエネルギーに溢れたものなのです。

話が長くなってきたので、一旦交通整理します。
A⦅応援⦆とは、事物の結果を直接的に変えることはできない。
B⦅応援⦆とは、それを受け取る人の心情を変化させることで、事物の結果を間接的に変えうる。
C⦅応援⦆とは、それをする人の心情を(多くの場合)前向きに変化させる。ここまでが私なりの⦅応援⦆についての客観的分析です。

Re:「応援」について考えてみる

ここからは、以上の考察を踏まえた上で、「⦅応援⦆とは何か」についての私見を綴りたいと思います。
東大応援部に所属している私は一年を通して様々な部活動の⦅応援⦆に伺います。「応援のプロ」を自負している以上、相手部に全力で声援を送り、チアリーダーとしてダンスで元気を届け、全力で⦅応援⦆の気持ちを伝えます。そして、相手部の方が少しでも頑張ろうという気持ちになってくれたらいいなと思いながら試行錯誤しています。
しかし、先ほどもチラッと出た話ですが、我々の行動によって逆に相手がプレッシャーを感じたり、ネガティブな感情を抱いたりしたら本末転倒です。先ほどの「B」にあたる部分で論じた相手の心情変化を、如何にプラスの効果のあるものにするのかが我々の活動にとって肝要となってきます。そこで、⦅応援⦆がそれをする側・される側双方にとって真に良いものとなるためにいくつか意識していることがあります。まず、結果に対して期待を抱くのではなく、相手が辿る過程に対して最大限寄り添うこと。次に、⦅応援⦆をしている自分こそが全力でいることを忘れず、楽しみ尽くすこと、の2つです。

私はここに⦅応援⦆の本質があると考えています。
⦅応援⦆とは何か。
それは、全力で目標を達成しようとしている人に対して、全力且つ誠実に向き合い、心からのエールを送ること。そしてその過程で、双方にポジティブな気持ちの連鎖を生み出すことだと私は考えています。
先ほど提示したABCの観点を振り返った際に、やはり⦅応援⦆をする側もされる側もお互いに至誠を尽くし、特に⦅応援⦆する側が相手を信じてその背中を全力で押し続けることが、理想的な⦅応援⦆の形ではないかと思うのです。
気付いたらとーっても長く、煩雑で読みづらい文章となってしまいました。
応援について、何か新しい気づきはありましたか?本稿では応援部についての個別具体的な活動紹介はしていませんが、人を励ましながら自分も喜びを得ることができる点ではっきり言って最高な部活だと自負しています。この文章を読んで応援の魅力にもう一歩足を踏み入れてみたいなと思った人は、是非新歓イベントなどにいらしてくださいね📣

ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました…!

チアリーダーズ四年 吉田莉々

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