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ダイアログインタビュー ~市井の人~ 若松真哉さん「愚直に人と関わる」2

若松 俺はね、地域に対して自虐的な感覚って無いんですよ。「ここは何も無い田舎だ!」みたいな感覚は無いんです。この地域は、ちょっと……奥ゆかし過ぎる部分があるかな……とは思うんです。私は東京で働いていて、Uターンでここに戻ってきたんだけど、東京にいた時は出張の多い仕事をしてたんですよ。それで色んな場所に行って色んな土地の人と出会って酒を飲むのが楽しくて。んで「あぁこの土地はこんなところが良いな。」って思ったりするんですけど、でもそんな地域の美点にそこの土地の人は大抵気づいてない。「こんなに温暖で、人もおっとりしてて良いところなのに、そんなに自虐的にならなくても……。」みたいな感じで。この地域もそう。結構温暖ですし、雪も降んないし、夏になれば「相馬野馬追」があるし。犯罪件数なんかも少なくて治安も良いと思うんです。地域の関係が密だから、悪い事したらすぐにばれちゃうんでね(笑)。子どもが万引きなんかしたら「あいつもな~万引きなんかしてよ~」とか噂になっちゃうくらい、悪い事が出来ない雰囲気がありますから(笑)。

――んで、いつまで経っても言われちゃう(笑)。

若松 そうそう(笑)! 隠れてタバコ吸ってもすぐに親の耳に入っちゃう。噂でね(笑)。そんな風に「人と人の距離が近いところ」って、メンド臭いなと思う部分でもあるけど、この土地の良いところでもあると思うんです。

――(笑)う~ん、どの地域に行っても自分の地域に対して自虐的ですかぁ。

若松 っていうのはありますね。以前読んだ本に、日本青年会議所の副会頭をされていた方のこんな言葉があったんです。「いろんな地方に行ったけど、みんな地元に対して自信を持っていない」と。別に過度なプライドを持つ必要は無いけど、自虐的になる必要は無いと思うし、逆に言えば、自虐的になる前に、自分が出来る楽しい事をやっていけば良いんじゃないかなと。気持ち一つで変われると思うし。

――なるほど。「文句を言う前に、自分で出来る事をしよう」と。

若松 たまたま私は「若松味噌醤油店」っていうステージを与えてもらえたんで、私はラッキーだったなと。大変でしたけどね(笑)。

――そりゃ大変だったでしょう!

若松 いやぁ2011年からはほんとに大変でしたよ(笑)。

■ 「大変でした」……と言えば一言で済んでしまうが、その一言の密度がどれだけ濃密なのか。こればかりは当事者でなければ分からないだろう。「醸造蔵が壊れた」といった震災による物理的な被害も、若松味噌醤油店は受けていた。それに、醸造所とは大変デリケートなもので、環境の変化によって味噌の出来も変化する。そしてもちろん、原発事故に伴う避難生活も若松さんは体験している。震災時の苦労を乗り越えるには、若松さんの「出来る事をしよう」「気持ち一つで変わる」という考えがベースとして必要だったのだろう。
では、どのようにしてこうした考え方が出来上がったのだろうか。震災前はどんな時を過ごしてきたのだろうか。そこから訊いてみることにした。

~続~

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