ダイアログインタビュー ~市井の人~ 岩井哲也さん 「エネルギーと恩のやり取り」5(最終章)


◎ボランティアとの関わり

――岩井さんって、震災直後から、県外から来ているボランティアの面倒を見てくれたというかかまってくれた(笑)感じがあったじゃないですか。

岩井 あの、何でボランティアの人と関わっていたかというと、元気を貰えたからなんですね。ボランティアに来る人って、ほとんどの人が前向きなんですよ。すんごくポジティブで。その前向きな考え方を貰って煎じて飲むような気持ちでいました(笑)。その頃自分も前向きになりたかったし、そんなエネルギーを欲してたんですかね。ボランティアに来る人たちと触れ合うと、前向きになれる自分がいたんです。実際に遺体捜索のボランティアに参加したりもしたんですけど、地元の人が、駐車場がいっぱいになるほどパチンコ屋に行っている中、県外からボランティアの為に人が集まって作業しているのを見て、「自分にも出来る事はあるな」という風に思って参加していたんです。前向きなエネルギーを随分もらいました。「この先どうなっちゃうのかなぁ」という先行き不安な感じが凄くある中でね。当時押しつぶされてしまいそうな自分がいましたから。私、基本的には前向きなんですけど、気が付くと行き着く方向がマイナスの方に振れてしまうんです。その頃は「この先どうなっちゃうんかなぁ」という感じはメチャメチャありましたね。

■ そんな想いがあったとは。岩井さんとは、私がボランティアとして南相馬に通っていた頃からの知り合いなのだが、当時から人当たりの良さが印象的な、ニコニコした人だった。お店に買い物に行っても、いつも笑顔で迎えてくれた。その裏側に、こんな想いがあったとは思っていなかった。だとしたら私も、ちょっとはお役に立てていたのだろうか(笑)?そうなら嬉しい事だが。
それはともかく、にこやかで元気の良い、人当たりの良い岩井さんのあの雰囲気は、そのように努めていたのだという事に改めて気づかされた。当時は油断するとみんな仏頂面になっていたし(もちろん無理からぬ事だが)、イライラした空気は街全体にあった。そんな空気は今も残っている。けど、この岩井さんの想いに、我々が取るべき未来の行動のヒントがあるのではないか。気持ちを立て直す事が出来たのは、周りの力ではない。周りから得るべきものをきちんと選び取って自分のものにした、岩井さん自身の力だ。

――へぇ~なるほどね。あの頃岩井さんがそんな風に感じていたとは。全然そんな風には思いませんでした。ボランティアが希望を与えていたかぁ。実はね、災害ボランティアに来る連中ってのは、どっか病んでたりもするんです(笑)。

岩井 あ~そう?そんなもんすか?

――はい(笑)。ちょっと居場所を求めて参加するとかね(笑)。だから、災害ボランティア参加者ってのは、ボランティアに参加出来る事が有難いんです。そこでの地元の方とのやり取りや、ボランティア作業に参加する事で貰える地元に皆さんの感謝の気持ちなどを得ているんです。その両者の間には、「恩」のやり取りが成り立ってるんだと思うんですよ。ある意味お金のやり取りのように「恩」がやり取りされている。だから逆に、ボランティア参加者も救われてるんです。

岩井 あ~なるほどね~。そんな風に考えた事は無かったなぁ。お互い様だったのか。私は凄く助かりましたよあの当時。

――いずれにしても、力になっていたならとても良い関係でしたね。で、さっきの話にも出てましたけど、「原町はよそ者を受け入れてくれやすい」というのは私も感じてましてね。

岩井 同じようによそ者だから、多分それは感じますよね(笑)。

――「横並びを強いてくる」という同調圧力も実は感じていますけど、私の場合、そこに心地良さを感じたりしてるんです(笑)。

岩井 そうですよね。東京だとギスギスした競争ばかりですからね。競争が無い方が居心地は良いですよね。

――悪く言えば「なあなあ」で「出る杭は打たれる」なんだけど、地域全体でしっかりコミュニティを作っていこうというところなんかは、個人主義の東京と比べると、居心地は良いです。すぽっと尻がハマって座り心地が良いとでも言うのかな。

岩井 震災後に移住してきた人って何人くらいいるんですかねぇ?

――さてどうですかね。知り合いでは結構いますけど。みんな口をそろえて「居心地が良い」とは言ってますよ

岩井 さっき言ってた「競争の無い心地良さ」なんですかね。こっちの方が居心地が良かったから移住しちゃったんですね。

――人と人のつながりが濃いですね。濃過ぎて困っちゃう事もありますけど(笑)。

◎復活のきっかけ

――岩井さんは、須賀川からこっちに来たと言ってましたけど、福島県から出て生活した事はあったんですか?

岩井 大学が…あんまり頭良くなかったんで(笑)秋田経済法科大学という学校に通ったんですけど、その大学4年間だけは県外にいまして、他の時期は全部福島県内ですね。そこでの経験も結構勉強にはなりましたよ。高校卒業したばかりの頃は何も分かってないまっさらな状態でしたから。「そのまま就職していたら多分ずっと須賀川にいたんだべな」なんて思ったりしますよ。須賀川を出る事によって友達も出来たし、自分の考えとは違った考え方にもたくさん触れて「あ!可能性って凄いな!」なんて事も感じた時もありまして。そこで4年間アルバイトもして、お金を稼ぐ大変さであるとか、人付き合いの大切さであるとかも知りました。その頃はホテルのウェイターをやっていたんですけど、お客さんに喜んでもらうにはどうすれば良いのかなんていう、今やってる事の基本がそこで身についたような感じもしますよね。

――やっぱ「外に出る」「自分でやってみる」って大事なんですね。そういう経験は、催事であちこちに出かけている事に活きているんですかね。

岩井 「待ち」の姿勢で店舗にいて、来店してくれたお客さんを喜ばせるというやり方ももちろんあるんですけど、「待ち」よりは「攻め」ていこうよという事で、催事なんかにどんどん出店して、出先でファンを捉まえて帰ってくる。殆ど出稼ぎみたいな感じになってるんですけど(笑)。そうするとそうした人たちから商品の問い合わせや「岩井さんいる?」なんていう電話が入ってきたりする。だから「継続は力なり」だななんて思ったりもするんですけどね。

――震災後に再オープンしてしばらくは「待ち」だったわけじゃないですか。そこから「攻め」に転じたきっかけは何だったんですか?

岩井 あの、大したきっかけじゃないですよ。「出店料は頂きません。お金は何も頂きませんから来てみませんか?」という感じの復興応援フェアみたいな催事が、震災後はいっぱいあったんですね。それに出店するのに補助金が出たりする事もあったんです。そういったものを利用して、こちらの今の状況を伝える事が出来れば良いと思っていました。だから、行く場所によってその近隣のお客さんに案内のダイレクトメールを出してました。するとお客さんは「心配したよ」「来てくれて良かった」なんて言いながらドヤドヤ来てくれて買ってくれました。だから、行けばやり甲斐も感じたし、これからやって行けるのかという事を計る事も出来ましたしね。

――なるほどね。何か、出店でもお土産でも何でもそうですけど、「福島のものを外に持っていったら嫌がられた」とか「持って帰ってくれと言われた」とかいう話ばっかり、報道でも噂でも聞こえてくるじゃないですか。このインタビューでは、「そうじゃない声だってたくさんあるんだよ」「応援もしてくれてるんだよ」という事実もきちんと伝えたいんですよ。それを含めて岩井さんが県外で経験してきた事を市内の他の市民に伝えて共有していく事が大事だと思うんです。それも含めて、南相馬市民のリアルを伝えたいなと。私にそのスキルがあるのかは分かりませんが。

岩井 情報を発信してもらえるのは本当に有難いです。

――今日は「みそ漬処 香の蔵」の商売や運営に関するあれこれという話がメインになりましたけど、そういうところにも、店長としてだけではなく、岩井さん個人としての想いが乗ってる事が確認出来て、嬉しかったです。本当に有難うございました!


■ とても充実した、良い内容のインタビューだったし、疑問に思っていた事も解決出来た。あの「みそ漬処 香の蔵」の持つ雰囲気の良さは、岩井さんの人柄によるんだろうなとは思ってはいたが、そこにはどんな想いがこもっていたのか、どんな心の動きがあってあの場所が出来たのか…そこまでの事は、今回話を聴くまでは分からなかった。今回のインタビューでは、その辺りの事までちゃんと話を伺えて本当に良かった。
岩井さんは「明るくて元気な『いいひと』」だし、「みそ漬処 香の蔵」はのんびりした漬物屋だ。でも、そこに至るまでには、試行錯誤や葛藤、心の拠り所を求める気持ちもあった。自分の住む地域を新たに作ろうとしている今の我々が見るべきは、そういう「結果」だけではなく、作り上げる「過程」の部分なのではないだろうか。お話からも分かる通り、岩井さんだって、「試行錯誤や葛藤」を強さではねのけたわけでは無いのだ。「きっかけ」や、「支えとなる事柄や人」があってこそ、それが出来たのだ。
その辺りは、全ての人に共通しているのではないだろうか。
岩井さんは「ボランティア参加者の人たちからエネルギーを貰った」と言っていたが、もともとボランティア参加者として南相馬に来ていた私からすれば、我々こそここの地域の皆さんからエネルギーを貰っていたのだ。お互いに「エネルギー」や「恩」をやり取りしていたのだ。
そうした「エネルギー」や「恩」のやり取りというものは、「きっかけ」や「支えとなる事柄や人」になりうるだろう。それに、それは誰にでも感じる事が出来るものである。今、東日本大震災の被災地域に住む人は、例外なく疲れている。そんな人たちがこの「エネルギー」や「恩」のやり取りに気付ければいいな…そんな事を思った。


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