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「函館キャロットハウス」を振り返る【一部追記・訂正あり】

先日、ちょっと帰省していたのですが、その時に懐かしいものを発掘しました。

namco MEMBERS CARD!!

かつて、函館キャロットハウスで配布していたものです。

函館キャロットハウスは、当時の函館ゲーマーにとっては聖地的な場所だったと(少なくとも管理人は個人的に)思っております。一方、ネットで検索してみても、意外にもほとんど情報が出てきません。

今までも、時おり函館キャロットハウスについて振り返ってみたことはありますが、あらためて情報と個人的な記憶と思いをここに綴り、ネット上に残してみたいと思います。

■外観と内部

函館キャロットハウスは、函館市美原町2-5-1、久保ビル1階にありました。不動産情報サイトによると、久保ビル自体は1973年8月竣工だそうです。

【追記】久保ビルの竣工年について書きましたが、その後国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスにて1976年時点の空中写真を調べたところ、それらしき建造物がすでに存在することが確認できました。

左の2階への階段部分に、今はない緑色の幌?がありますが、外観はかなり近いです。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 空中写真より引用)
少し角度が変わると、2階建てであることがわかります。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 空中写真より引用)

当時の地図では「ボーニミサワホーム」となっており、ビル名が書かれていないことから別の建物では、と思ったのですが、一棟まるまるボーニミサワホームであれば、ビル名は書かれないであろうことに気づきました。

1981年版地図より。

ちなみに、ボーニミサワホームは函館の老舗デパート・棒二森屋(長らくナムコのゲームコーナーもありました)が出資した住宅会社ですが、1981年にミサワホーム函館に営業権譲渡と報道されており、時期的にもピッタリです(売却されて「久保ビル」に名称が変わった可能性もありますし)。

1982年版地図より。
道路を挟んだ向かいには、1980年オープンの「イトーヨーカドー函館店」があります。

1982年版の地図になって、ようやく「久保ビル」が掲載されます。この地図は前年11月の発行なので、1981年竣工なのでしょうか?←先述の通り、この記述は誤りの可能性が非常に高いです。お詫びして訂正いたします。
当初1階には「能美靴店」が入っておりました。

1985年版地図より。ついに「CARROT HOuSE」の文字が!

キャロットハウスの名前は、1985年版の地図に初めて出てくるので、開店は1984年と見て間違いないでしょう。『マイコンBASICマガジン』誌の「チャレンジハイスコア」には、1984年8月号より掲載されており、集計時期等を考えると、同年春ごろのオープンだったと思われます。

2022年現在の久保ビル外観。
撮影は前述のイトーヨーカドーの屋上駐車場から。
ちなみにこのイトーヨーカドーも、残念ながら今年7月に閉店が決まっており、このアングルから撮影できるのもあと少しかもしれません。

この記事公開時点でも、まだ空きテナントなので、間取りは「函館 第1久保ビル」で検索すれば見つかると思います。
現在の間取りでは、入口向かって左側に応接室のようなものがありますが、キャロット当時はありませんでした。また、中央の扉と右のガラスの間に柱がありますが、当時はその柱から中が壁で仕切られており、向かって左側がキャロット、右側にナムコの函館営業所が入っていた記憶があります。
給湯室の台所は、たぶん当時から変わっていません。

ナムコ社内報『遊』5号より(ぜくうさんのツイートよりお借りしました)。

この壁が、まさにゲーセンと営業所を分けている壁です。この小窓越しにやり取りをすることもありますが、お店の奥にちゃんと行き来するための扉もあり、カウンターのほかショーウィンドウが置かれ、ナムコグッズが陳列・販売されていました。現在も所持している下敷きやテレホンカードは、ここで買った物がほとんどです。

お店の正面はガラスで見通しが良く、床は市松模様、観葉植物も置かれた洒落た雰囲気で、明らかに他のゲーセンとは違う印象でした。

■ゲームのラインナップ

店内に置かれていたのは、ほとんどがテーブル筐体で、タイトルもナムコの新作は当然ながら稼動していました。
テーブル筐体定番の蛍光灯避けは、当時ナムコオフィシャルとおぼしきカバーがあり、黒いプラスチック製の流線型カバーに、赤くナムコのロゴがさりげなく描かれたカッコイイデザインでした。

当時は雑誌『Beep』と、ラジオ番組『ラジオはアメリカン』が、ナムコ新作アーケードゲームの重要な情報源。新作の情報を得ると、キャロットに行って「答えあわせ」をするのが常だった記憶です。
『フェリオス』や『ブラストオフ』がテーブル筐体で稼動していたおぼえがありますので、おそらく80年代末まではテーブル筐体が主軸だったと思います。アーケードゲームは80年代後半から音声がステレオ化してきており、モノラルスピーカーしかないテーブル筐体では、せっかくのゲーム音楽も片チャンネルしか流れない状態でした。

他社タイトルでは『グラディウス』が印象的。なぜかというと、開店(当時は10:30開店)と同時にお店に行くと、店内の筐体に電源が入るのとシャッター(かわいらしいニンジンが描かれてました)が開くのがほぼ同時だった場合、バブルシステムのモーニング・ミュージックを聴くことが出来たのです。当時Beep誌のソノシートで聴き、気に入っていた曲だったので、聴けたときは喜びもひとしおでした。
ほかにもタイトルはいろいろと思い起こされますが、なぜか『カベール』が常連に人気で、長期稼動していた印象があります。また、『グラディウスII』は筐体にフォンジャックが取り付けられ、そこにスピーカーを接続していた光景が思い出されます。

ある時期には、壁沿いに白い2in1のアップライト筐体が並べられました。ここでは最新作ではなく、少し古めのゲームばかり稼動していたように思います(当時アーケードゲームの技術は日進月歩で、ほんの2~3年前のゲームすらレトロ扱いされていました)。
当時は全国的に同じ試みがあったようで、ナムコの戦略だったようですね。

月刊NG No.3(1987年1月号)より。
当時プレイシティキャロット豊橋店にあった「ナムコミュージアム」。
この筐体が前述の2in1筐体。

この筐体では『リブルラブル』が思い出深いです。
当時すでにレトロゲームではありましたが、管理人も含め数人がハマり、思わぬ人気を得たためか、入口すぐ近くのテーブル筐体に“昇格”。しかし、テーブル筐体用のツインレバーコンパネとして、なぜか『アサルト』のコンパネが取り付けられてしまいました。『アサルト』は4方向レバーのため、『リブルラブル』にはまるで合わず、インカムも急落したのか結局ほどなくしてゲームごと撤去されてしまいました。

大型筐体は、お店の奥に『ポールポジションII』が置かれていました。後にそれは『サンダーセプター』に、そして『3DサンダーセプターII』に変わっていきました。
また、『沙羅曼蛇』のアップライト筐体や、『ガントレット』『スーパースプリント』なども置かれていたことを覚えています。一方で、ナムコの体感ゲームである『メタルホーク』は入荷されず、函館市内ではボウリング場「ジャンプ」でしか遊んだ記憶がありません。
他にも『ファイナルラップ』や『ウイニングラン鈴鹿GP』なども記憶にあります。お店の面積がさほど広くなかったこともあり、大型筐体ゲームはだいたい1タイトルのみの稼動だったと思います。
ちなみに、前述の「チャレンジハイスコア」を見ていくと、レーザーディスクゲームの『サンダーストーム』や、セガの大型筐体『ハングオン』のスコア申請もあり、意外なゲームが稼動していた形跡も見られます。

1980年代後半にナムコが販売したオリジナル筐体「コンソレット筐体」は、『ダートフォックス』とともに函館キャロットにやって来ました。
同作品はハンドルやギア付きの専用コンパネと、足元にアクセル・ブレーキペダルが付いていました。そのため、汎用筐体というよりは大型筐体の一種という印象。こんな田舎にも4台の対戦台が窓際に並び、なかなか壮観でした。

■コミュニケーション

ご多分に漏れず、函館キャロットにもコミュニケーションノートがありました。
当時はゲーム雑誌などで「ゲーセンで友達を作ろう!」という風潮が作られ、それに乗り友人とよくノートに書き込んでいました。
しかし、ノートをよく利用していた常連グループとは時間帯が合わなかったようで、結局面と向かってお会いできたのは一人だけ。そのうち、ノート上でグループの分裂を目の当たりにし、以後ノートからは遠ざかってしまいました。

ちなみに、当時の『NG』誌では「ロケーションネットワーク」と銘打ち、NG編集部からの取材のほか、店舗側や常連側がコメントを寄せるコーナーがありました。しかし、函館キャロットから情報が発信されたことは、おそらくなかったと思います。
現在でも函館キャロットの情報がネット上にほとんど見られないのは、昔からあまり発信がない、言ってみれば市民性(?)なのかもしれません。

他にも、1987年には『ラジオはアメリカン』のイベント「ふれ愛キャンペーン」が函館でも開催され、そこで撮影された写真がキャロットで販売されました。壁一面に、模造紙に貼り付けた写真が並べられた光景は、学校で行事があった時を思い起こさせました。
このイベントについては、別ブログの記事を参照のこと。

なお、前述の通りマイコンBASICマガジン「チャレンジハイスコア」にも掲載されており、全国1位を輩出したこともあります。しかし、プレイヤーネームを見るかぎり、いわゆるハイスコアラーサークルは存在していなかった模様。一方、先の常連グループは同人誌も発行するなど、一定のサークル活動がありました。

■90年代~晩年

店内の筐体があらかたコンソレット筐体に置き換わった頃、ゲーセンは対戦格闘ゲームの一大ブームにありました。
しかし、当時のナムコは残念ながらその波に乗ることは出来ず。かわりに『餓狼伝説SPECIAL』の対戦台などが賑わっていた記憶があります。

一方、コンソレット筐体はヘッドホン端子と音量ボリュームが標準で備わっていたため、ゲーム音楽オタクにとっては「生録」の格好の環境でした。
しかし、函館キャロットでは(というより当時恐らく全国ほとんどの店舗では)ボリューム調整にまで気が回らなかったようで、音が割れるほど音量が大きいか、極端に小さいかのどちらかがほとんどでした。せっかくの『F/A』も、生録にはだいぶ苦戦しましたし、ほどなくしてCDも出たのであまり意味はありませんでした。
他には『ゴールデンアックス ~デスアダーの復讐~』や『デッドコネクション』を生録した記憶があります。その時のカセットテープは今どこへやら……。

やがて管理人が地元を離れたこともあり、キャロットを訪れるのは年に数回、帰省したときぐらいとなってしまいました。また仕事の都合で、帰省もかなり不定期でした。
『ラストブロンクス 東京番外地』で遊んだのが、管理人自身の函館キャロットでの最後の記憶です。

2000年版地図より。2階も様変わりしてます。

ちなみに、店名はいつの間にか「函館キャロットハウス」から「プレイシティキャロット函館店」になっておりました。

そしてある年。帰省時のルーチンとしていつものように訪れたところ、まったくキャロットの面影のない、美容系グッズのお店になっており、大きな衝撃を受けました。

2001年版地図より。
突然の事態にうろたえ、店内の様子も見ずにそのまま帰ってしまいました……。

当時の地図では、2000年版(1999年11月発行)には載っていたものの、翌2001年版では別店舗になっていたため、1999年後半には閉店した模様です。15年の営業は、長いのか短いのか。ともかく函館の“聖地”は、21世紀を待たずに幕を閉じることとなりました。
ちなみに、ナムコの情報誌『ノワーズ』1999年夏発行のVOL.24にて、「全国ナムコ店舗ガイド 第1回北海道編」なる記事が掲載されました。コンセプトとしては、その地方のナムコ店舗をすべて紹介するというものでしたが、この時すでに函館では温泉街・湯川町のスーパー内施設「ナムコランド市民生協湯の川店」のみの掲載でした。そのため、同年夏にはすでに閉店が決まっていた(または閉店済みだった)のかもしれません。

その後、久保ビル1階には北海道の不動産チェーン「常口アトム 函館美原店」が長らく入っておりましたが、他店舗との統合のため2020年9月6日をもって閉店し退去。以降は空きテナント状態が続いてます。

一方ナムコは、函館キャロットの閉店と前後して、前述のナムコランドと同じ町内の「湯の川観光ホテル」を連結子会社にし、ファンを驚かせました。
もともと1997年時点で、同ホテルは日活(当時ナムコ傘下)の関連会社であり、社長はイタリアントマトの社長が兼務していたとのことです(ノワーズVOL.16より)。
同ホテルでは、1999年9月に『鉄拳タッグトーナメント』の日本代表選考会が開催され、2005年6月にはチームナンジャによるフードテーマパーク「函館 湯の川温泉らーめんブギ」をオープン。いろいろとテコ入れが図られましたが、結局2008年3月にホテルは売却され、それきりナムコと函館の縁は切れてしまったように思えます。

2022年現在、函館にナムコ(バンダイナムコアミューズメント)の系列店はありません。

■メンバーズカードの中は……?

さて、最初にお見せしたメンバーズカード。
せっかくですから中を見てみましょう。

メンバーズカード中身。

モザイクも考えましたが、あれから何十年も経っているので……田沢さん、袴田さん、藤田さんに捺印していただいたようです。その節はありがとうございました。
藤田さんの捺印は日付入り。昭和63年(1988年)1月24日は日曜日でした。あの日のGIL少年は、ワクワクを胸に秘め、バスで長い道のりを辿ってキャロットに向かっていったのでしょう。

最後はなぜかカイのスタンプに。

カードのスタンプは、なぜか25個目で途絶えています。
今だったら、1クレジットサービスがもらえるのなら、最後までスタンプを押してもらうべく頑張ったことでしょう。
ただ、そこまで至らなかったからこそ、こうしてカードが手元に残り、30年以上の時を超えて当時に思いを馳せることができるのですから、むしろ良かったのかもしれませんね。


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