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気質と、それでいい。と思える場

昨夜はヨガのオンラインクラスを行いました。

今はメニューを準備中なので
(こんどの新月には公開したいなぁ)
これまでヨガを対面で受けてくださっていて、「オンラインでもやりたいです!」
と声をかけてくれたメンバーとZoomレッスンをしています。

昨夜は、4年ほど月一回ヨガの会を開催してくれていた、京都の南丹市の古民家サロンのメンバーと。

主催してくれているのが、若くして農的な暮らしをしている女性たちで、
やぎを飼ったり、
野菜や米を自給したり、
古代小麦でパンを焼いて販売したりと、
田舎での暮らしを逞しく朗らかに楽しんでいます。

サロンで対面クラスを行っていたときには、自家製の農作物がたっぷりと使われた美味しい晩御飯やおやつとのセットでの開催。
集まってくださる多彩なメンバーとのお話しも楽しかったなぁ。

さて、
昨夜は地区の会議やらトラブルやらで二人が来れなくなり、ひさしぶりのお二人だけだったのですが、

何度もご一緒していることもあり、誘導の言葉がすーーっと
染み込んでいくというか、自分でも「ああ、こんなことを感じているんだ」
と思うような感覚が言語化されていくような不思議なスムーズさでした。

ここに集まるのは自然に近く、どこかアーティスティックな感性を持つメンバーたちということもあるのかもしれません。

「わたしの感じ方は繊細である」ということを最近何人かに改めて客観的に言ってもらってから、気質についても意識していたのですが、

ヨガの時間はどうやら、日常ではちょっと言葉に出すのを憚られるような、
自分のまんなか近くで感じていることを、
誘導にのせて表す、あらわにするということをしているのだと気づきました。

そしてその幾らかを受け取ってくださる方、
心地よいと感じてくれる方が、繰り返し来てくださっていたのだなぁと。

一般的には生きづらいような特性であっても、「それでいい」と思える表現ができる場所があること、

受けてくださる方に喜んでいただけるようにと、考えるのは当たり前として、

自分自身にとってもこんなに嬉しくありがたいことだったのだと、改めて実感できました。

これを読んでくださっている方にも、自分の感受性の強さに悩んでいる方も居られるかもしれないけれど、

その豊かさが生かされていく時代にきっとなっていくのだと、
直感的に感じているこの頃です。

(余談)

自分自身のまん中に触れて、いつも以上に素直になっていたのか、
ヨガを終えてベッドに入り、彼のぬくもりを感じただけで
「この人がいてくれるのはなんて奇跡で、幸せなんだろう」と泣けてきてしまいました。

案の定、ギョッとされ(まぁ彼も慣れてるw)
「泣くなー」と言われながら、(その後、秒でいびきかいてるけど)

不思議な安堵感に包まれて、一層ぐっすり眠れた夜でした。





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