仕事の習い方
こんにちは、都知事です。
実に半年ぶりに筆を持つ事となりますが、それ故に乱筆となる事をどうかご容赦ください。
今回、友人の吉村さんに共有頂いた過去の記事を多くの方にご覧頂いており、自分の経験が人様のお役に立っているのかもしれないと思うとこれほど嬉しい事はありません。
ここ最近で私自身、教えを乞う側、仕事を習う立場の事が多かったので、その環境を改めて皆様に共有させて頂きたく存じます。
※この記事は仕事に対する意識の個人的な考えであり、これが正解とか、絶対に正しいと言ったものではありません。
また、この記事の内容を一方的に信じず、ご自身に必要な部分だけ持ち帰って頂けると幸いです。
では、お話してまいります。
①始めに
【教えを乞う時、自分への自惚れやプライドを捨て、恥を味方にせよ】
仕事を教わる時、一番に邪魔をしてくるのが自尊心です。
仕事を覚えたいから仕事を教わろうと言うのに、「こんなこと言われなくても知っていた」とか、「自分はこの仕事をしていてしばらく経つのに、今更こんな基礎の基礎から教えられるなんて腹が立つ」という事を思っていては、得られる物は少なくなってしまいます。
まず、ズブの素人ではない限り、今までの経験や実績が教えを乞う際の邪魔になる、そして、教えを乞う時は未熟な自分を認識せざるを得なくなり恥をかく、というご認識だけお持ちいただければと思います。
(私はこれを鼻から理解しておらず苦しみました)
では、自分の中にマニュアルを携えるように教えを乞う時、何に注意するべきなのか。次の章から具体的にご説明して参ります。
②師を選ぶ
まず、これが一番最初の課題です。
教えを乞うにしても、自分より能力が低いとか、尊敬できない、言う事を聞く気にならない人を師にしても、自分の成長にも、相手の為にもなりません。
特に、【仕事の出来ない人ほど、仕事を教えたがってくる】ものですから、こういった人間は自らの意思で弾かなくてはなりません。
師匠を選ぶポイントとしては
・仲の良さは関係ない
・自分の知らない事を知っている
・会社や仲間からの評価が高い
・大きな現場や仕事を任されている
・人の嫌がる仕事をやっている
・独り善がりな運用をしていない
・物の言い方、教え方を嫌に感じない
【補足】・先輩後輩、年上年下を問わない
など、ざっくりこんな感じです。
特に、【仲の良さは関係ない】というものに驚いた方もいるのではないでしょうか。
仲が良い事は素晴らしい事ですが、教えを乞う立場の人間からすると、「めちゃくちゃ嫌われている訳でないなら仲の良さは関係ない(必要ない)」のです。
嫌われていたらそもそも仕事なんて教えてくれませんからね(笑)
このように、自分が知らないことを知っていて、この人の言うことなら聞ける!という確信を持った人には積極的に付いて回り、仕事を教えてもらうようにします。
【補足について】
公開後に大切な事に気付きましたので、失礼ながら追記をさせていただきます。
師匠を選ぶ際、「年齢」「経験」「性別」は関係ありません。
時には自分の部下が師匠となる事もありますし、得意分野は人それぞれ異なります。
ですので、上の条件を満たしているのなら、年齢や経験、性別を考慮する必要はないのです。
これらの要素が邪魔するようなら、「始めに」でお話した邪魔なものにまだ支配されているということです。
(与太話)
私は教えを乞うべきでない人から教えられようとした時、拒絶の言葉を伝えます。
もちろん、「お前の言うことなど聞くに値しない」なんて言ってしまえば戦争が勃発してしまいますが、私は自分に必要のない教え(自分が尊敬しない人や正解がないものに正解を押し付けようとされた時)には
「自分はこれ以上成長するつもりがないのでw」と言います。
こう言う事で、相手を否定せず、言う事を聞きませんと言うことを表明出来るのです。
もちろん、相手のキャラや自分の評価によって変わるとは思いますが、与太話としてお聞きくださればと思います。
③全てを教えて貰えるわけではない
教えを乞う時気をつけるべきは、「師匠は全てを教えてくれるわけではない」と言うことです。教えてもらうことは自分で探す、が前提です。
師匠にも仕事があるので、手取り足取り教える訳にもいきませんし、こちらの分からないことはもちろん分かりません。
なので、自分でアンテナを張り、師匠を観察し、「なんでそれをするんだろう」「こういう理由があるからじゃないか?」と疑問を持ち、疑問には自分なりの答えを用意して、それから初めて師匠へ聞きに行きます。
また、仕事を与えられた時、道具の使い方が分からない、資料の読み方が分からないなど、【考えても答えが出るまでに時間がかかりすぎる問題】であれば、すぐに聞くようにします。
例
「どうして〇〇をする時、△△をするんですか?自分は〇〇だけでいいのではないかと思うんですが」
「ああ、これはやらない人が多いんだけど、僕は昔〇〇をした時に△△をしてなかったが為にお客様との約束に遅れてお叱りを頂いた事があったんだ、それからはリスクヘッジの為に△△をするようにしてるんだよ」
↓
今後、自分が〇〇をする時、同じように△△した方が良いかを【自分で考え決定する】
師匠は、結局自分の経験に基づいた事しか教える事が出来ません。
その教えが自分にとって必要かどうかを決めるのは自分自身です。
必要な教えだけを考え、悩み、取り入れていけば、きっと自分の考えも含めた総合的な教えが自分の中に生まれることでしょう。
師匠の教え+自分の考え
=自分の中に生きる新たな教え
師匠の教えはレッドハーブ、自分の考えはグリーンハーブ。
レッドハーブは単体では使えませんが、グリーンハーブと混ぜれば、グリーンハーブ本来の効果を大幅に高める薬となります。
教えも同じで、自分の考えや行動、指針に組み込む事で更に価値を高めてくれます。
【教えの主役は師匠ではなく習う側】なのです。
④師匠の言いなりにならない
自分と全く同じ人間が存在しないように、教え子が師匠をコピーし、師匠と同じ仕事が出来るようになる事はほぼ不可能です。
よって、教えられたことの中から、やるべき事やるべきでない事を選別して、自分の中に振り分けておく必要があります。
「師匠がやっているんだからきっと間違いないだろう」と思考停止したまま仕事をすると、本来の自分のキャパシティを越えてしまい、余裕が無くなる危険もあります。
同じ親から生まれた子供が全て等しく育たないように、仕事に対する教えも同じです。
与えられた教えをどう育てるかは、親である自分次第。師匠は種を渡すだけの存在に過ぎません。
(補足)
「自分の考えもなしに読書をするのは著者に洗脳されるのと同じだ。読書とは一方的な受け身ではなく、著者に反論をぶつけて戦いながら進めるものだ」という本の言葉を思い出しましたので、紹介をしておきます。
(ショウペンハウエル 読書について だったかも?)
https://onl.bz/MgtcgLJ
⑤メモを取る、写真に残す、記録する
これは私が以前書いた記事でも述べているものですが、とにかくポイントをメモに残し、写真に撮り、時には動画も撮ります。
これにより、その場限りの風景が保存され、何度でも見返し、研究する事が出来るのです。
また、写真はスマホの中に時系列で残るので、整理整頓せずとも順番通りに並ぶ。つまり都度写真を撮るだけでその場を保存する事が出来ます。
写真を撮り、メモとして「〇月✕日△△の業務にて」「①集合②点呼③説明④打ち合わせ⑤その後の具体的な行動内容…」と示しておけば、簡単なマニュアルの出来上がりです。
とにかく写真さえ撮っておけば、それだけで【少なくとも自分だけは理解出来るマニュアル】が完成します。
仕事は多くの場合流れが決まっているので、写真で手順の確認さえ出来れば他の人にも伝える事が出来ます。
⑥自分の記録を師匠に見せる
これには
・自分の理解の方向が間違ってないか
・写真を撮った時の状況が活かせるか
の確認の意味があります。
せっかく撮った写真も、間違っていたり、理解の方向が違えば無意味です。
また、撮りまくればいい訳でもなく、場面に応じて、シーンに分けて撮影する必要があります。
↓写真撮影の例
一見同じに見える写真ですが…
(被写体 実家の猫 タケちゃん)
自分が必要だと思ってとりあえず撮った写真、師匠に相談すれば「3枚とも同じ写真だね」と言われるのか、「これはそれぞれ必要な角度から撮影出来ているね」と言われるのか分かりません。
自分で判断が出来ない場合は、取捨選択を師匠に手伝ってもらいましょう。
仕事の風景を撮影していると、そのうちスキルが磨かれ、要所要所の特徴を捉えた撮影が上手くなります。
ただ、その裏には「この写真、なんの意味があって撮ったんだっけ…」「この時に何してたっけ…」と頭を捻る努力の時間が必要です。
【メモも写真もとりっぱなしにせず見返す】
【メモと写真の意味を考え、決定する】
例
→「これは〇〇の作業から△△の作業に移行する時の準備をしている様子を撮影したものだ」
→→「つまり、この写真の通りにやれば〇〇から△△に移行ができる」
→→→「この認識で間違いないか、師匠に聞きに行こう!」
ここまで来れば、自分の成長が楽しくなり、師匠へ聞きに行く足取りも軽くなります。
きっと、そんなあなたの姿を見れば師匠も嬉しく思う事でしょう。
⑦終わりに
以上が、教えを乞う時に私が意識している点です。
教えを乞う時に必要なのは、「教えを活かす事」です。教えを乞い、自分の中で考え、研究し、自分だけの教えとして育むことが大切です。
そして、教えてもらった、やってみたら上手く行ったとしても、図に乗らずに謙虚に学び続け、研究し続けることが更なる成長へと繋がります。
結局、【答えは自分の中にしかない】のです。
これを探し続けるのが人生だと私は考えます。
乱筆ではありましたが、ご高覧賜り誠にありがとうございました。
人は何者にでもなれる。
いつからでも、何度でも。
ではまた。
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