見出し画像

ヤフーを辞め、リクルートを辞め、次はどこへ

本日で32歳になりました。早いような長いような不思議な気持ちです。

2012年から社会人が始まり約10年経とうとしており、節目のこのタイミングでこれまでのキャリアを振り返ると共に今後取り組む事について書き留めたいと思います。


はじまり

2022/1/31 リクルートを退職致しました。

こちらのツイートにもあるように、次を決めずに退職だけ決めました。

これをきっかけに約100社からお声がけいただきまして、沢山の方々とお話する機会を貰いました。

きっと今後スタンダードになっていくと思うのですが、NDAを結んで社内情報閲覧や社内ミーティングの参加をさせていただいたり、時にはアドバイスをしたり双方で理解を深めながら就職活動が出来てとても有意義な時間となりました。
その結果、転職する事に決めたので背景含めて報告させてください。ここ数ヶ月の間で関わった皆さん本当にありがとうございます。この場をお借りして感謝を伝えたいと思います。

ここから本題となりまして、これまでを振り返りながら今後の話をさせていただきます。

1社目

Yahoo | 2012-2016

生まれてから大学まで地元の岩手県で生きてきたのもあり、岩手県内の就職を主軸に就職活動をしておりました。

その中、東日本大地震があり岩手県内企業の採用が見通し立たない状態になり、必然的に東京での就職活動となりました。

折角ならば華やかな事が出来る環境に身を置きたいなと思った時にWebサービスで日本で1番有名な所は何か考えたらYahoo!だと思い応募しました。

運良く?採用していただき入社する事になり、社会人人生の始まりはYahooのトップページのAndroid(eclipseが無理すぎたのでiOS転向させてもらいました)とiOSアプリ開発業務となりました。

今までの人生の中で尊敬している人が3名いるのですが、ここで2人出会いました。自分の根幹を作っていただいたと言っても過言ではないので、自分が生きてるうちに何らかの形で恩返しできればなと思っています。

Yahooトップページでは多くのことを学ばせていただいたのですが、特に覚えている尊敬している2人のエピソードを紹介します。

配属されて1回目の上司との1on1で「Yahooトップのフリクエンシーはなに?」と問われてフリクエンシー???となり、「自分が担当するサービスの数値を把握してないのはダメだよ」と言われた事を今でも思い出します。

今でこそ理解できるのですが、サービスのWhy/Whatや健康状態を把握しない事には正しいものを考えられないので、そういった助言をしてくれたと理解しています。

また、ある機能開発を担当していた時に、企画者からこういう事出来ないか?と問われた時にめんどくさい実装になりそうだなと思い、「ちょっと難しいです。出来ないです。」と返した時にその時の上司に「エンジニアが出来ないと言ったら終わり。カッコ悪いよ。」と言われました。

今自分が出来る事の範囲でしかやらないのは、プロダクトと自身の成長を妨げる事になるからキツめに言ってくれたと理解してます。

この環境で1, 2年経った時に、エンジニアとしてただ作るだけでは提供価値に限界があると感じたため、違う環境でエンジニア以外の役割に挑戦することにしました。
※その前に個人アプリで「スタバで呪文」というアプリを開発しリリースしてみたりしました。App Storeで1位を取ったり、TVやラジオで紹介された事からエンジニアリングの範囲外へのチャレンジに自信を持てたと思っています。

ヤフートップページから環境を変え、新規事業の立ち上げの部署に異動しました。そこでは役割を変えプロダクトマネージャーとして新規サービスの企画立案と推進を行いました。自身がiOSアプリエンジニアだったのもあり、iOSの新機能(サードパーティのキーボード)を利用したサービスを企画してリリースしました。
Androidでリリースされている競合サービスを分析しながらポジショニングを考えたり、ターゲットユーザーのニーズを知るために定性調査の設計と実施を繰り返してリーンキャンバスを何度もアップデートした記憶を思い出します。インタビューしながら即座にコードを書きビルドして触ってもらいフィードバックを貰って更に修正してみたいな経験が出来たのはとても貴重でした。

技術的にも面白く、Swiftが出たタイミングで即採用したり、Extensionの制約に悩まされたり、日本語変換エンジンをオムロンさんから提供していただく中でスマホアプリやサービスとして必要な要件は何かやり取りしたり(京都に出張もしました)とエキサイティングな時間でした。

リリース直後は思いの外、反響があり数日間はApp Storeで1位となり、気づいたら100万ダウンロードを突破し、ユーザー数がグングンと伸びていました。

順風満帆には間違いなかったのですが、当初から考えていた起業への挑戦機会が同じタイミングでやってきた為、とても悩んだ末に立ち上げたサービスを離れ社内起業にチャレンジすることにしました。
それは、ヤフーに籍を残しながら外部のインキュベーターのもとで新規事業の立ち上げを行う制度で、Hack Dayで入賞したプロダクトで挑戦しました。

諸事情で当初立ち上げたかったサービスからはピボットし、レコメンドEC→デーティング→カップルSNSとしてリリースしました。(1ヶ月くらいでiOSとAndroidアプリをリリースしたのは今でもすごかったなと思います)
結果としては、良くなく1年ほど経ってからサービスクローズとなりました。

社内起業に失敗してからはヤフーに戻り、ヤフー乗換案内のiOSアプリを担当したり、新規事業のiOS開発などしていましたが、物足りなさと自身の不足しているスキル経験(ビジネスとして成立するプロダクト開発)を得たいと考え転職を決めました。
※ヤフーが嫌とかではなく自身のスキルアップを優先すると環境を変えた方が早いと判断しました

2社目

リクルート | 2017 - 2022

インターネットのサービスでビジネスとして凄そうなところはどこか?と考えた時に1番に想起できたのは、リクルートでした。たまたまお誘いもあったので入社することにしました。
ただ、オファーいただいたタイミングと子供が生まれるタイミング(育休を取ってきちんと向き合いたかった)がかぶってしまった為、辞退も仕方がないと思いながら相談したら落ち着くまで待っていただける事になりました。
1年までは経ってないですが、長期間待っていただき企業としての器の大きさや人に対する熱量を感じたシーンでもありました。
入社時はオファーのポジションはなくなり、ホットペッパービューティーアプリのエンジニアとしての採用となりました。
ヤフーの身近な人からはエンジニアやる事に驚かれたりしましたが、「どんなにいい事業/プロダクト/機能を考えられても、それを実現出来なかったら意味がない」と考えて、最初はiOSアプリエンジニア兼スクラムマスターとして、システムリプレイスPRJを担当しました。

1年ほどかけてシステムを作り変えリリースし、特に問題も発生しない大成功な形でプロジェクトを終えました。
そのタイミングくらいで、エンジニアではなくUXディレクターというUXデザイナーとWebディレクターに職種を変え、「どう作るか」ではなく「なにを作るか」を主戦場とするポジションになりました。

役割を変えてからは少しずつ地味に改善を重ねました。
例えば、ユーザーに価値提供する上でユーザーの理解が足りてないと思い、定性調査(ユーザーインタビューとユーザビリティテスト)を定常的に実施する為のプロセス策定と合意形成。施策検討時の要求フォーマットの定義(所謂PRD)と検討プロセスの最適化。施策の振り返り(評価)の必須化。KPI策定とモニタリング環境の構築など。
ただ施策検討するだけでなく、持続性や再現性がある仕組みを意識して取り組みました。勿論、施策として短期効果の大きい事も中長期で意義のある事などバランスを取りながら立案と推進をしました。
そこからプロダクトオーナーというラベルがつきプロダクト方針策定と推進を行うようになりました。
他にもデザイナーチームの立ち上げやUXディレクター/PdM候補の採用などプロダクトに直接的な貢献ではなく、組織の側面での貢献が増え新たな経験を積む事が出来ました。

プロダクト開発を進めていく中で組織課題が増え、満たしたい成長速度から乖離するようになった為、プロダクト開発チームの組織化を行いました。
と言っても、人生の中で尊敬している3人目の方のサポートがあってこその組織化と今でも思っています。
組織化に伴い、GMという役職となりプロダクトオーナーと管理職の両軸の役割(プロダクトと人)でマネジメントを担当する事になりました。

組織化してから取り組んだことは、プロダクトと組織におけるMVVの策定、プロダクト戦略/戦術/計画の策定と推進、KGI/KPI/KSF/NSM策定、プロセス最適化、メンバーミッション策定とフォロー、体制変更と採用、育成とメンタリングなど多岐に渡り、短期だけではなく中長期で成果を最大化出来るように仕組みを作りました。
パブリックには出しづらい内容が多いものの、実例としてこのような取り組みを協働で行なっておりました。

数年前と比べたら段違いで使いやすくて必要とされるプロダクトに変わったと思っています。
ヤフー在籍時のように再び順風満帆に進んでいたのですが、複数の理由から退職を決めました。

年末の振り返りでも書きましたが、このような考え方です。

1. 決定事項
- 入社してすぐに、この会社この事業で自身が達成したい(すべき)仕事を決め、それを達成するまでは辞めないと決めていました。社内でも何度かこの話をしていました。それが達成されたからです。
- 2020年2月に会社を設立しており、その前段階では既に別理由で退職を決めていました。会社設立前後で組織マネージャー(GM)の機会をいただける事となった為、自分の力や時間が事業や会社並びに人に対して応えられるのであれば、ロスタイムを受け入れようと決意した背景があります。勿論ロスタイムは、妥協せず取り組み、力を尽くしました。

2. 価値の証明
- 大企業大規模サービスのプロダクトオーナーと組織マネージャーをしていると純粋な力がわからなくなってきます。支援者協力者なしで自分は何が出来るのか、そしてこの5年間で作り上げてきたプロダクトと組織の価値は再現性あるのか試してみたい気持ちが強くなったためです。

3. 価値観の変容
- 健康面の変化、家族友人との関わり、広がる趣味を通して、100%仕事に向き合うのは自分らしくなく、その比重と価値観は別な人に任せるべきだと考えました。自分の人生における今のフェーズは100%仕事で向き合うのは間違っていると感じたのです。この仕事が自分の人生ではなく、自分の人生の中にこの仕事がある状態に変えたかったわけです。
- 上記の理由から地方へ移住することに決めました。リモートワーク環境も整いはじめ、ルールとして地方移住も可能となりましたが、この移住はルール適用外の場所となったため、これもタイミングなのかもと感じたところです。
2021年の振り返りと気づき | Toshiki Chiba

特に2にある価値の証明や再現性は新たな環境で取り組まないと難しいと思い次の環境を幅広く探しました。様々な人や企業と関わっていく中で、自身が今求めていることが整理できました。

  • 再現性への挑戦 - 退職理由2に該当

    • プロダクトや組織のマネジメントで成功に導けるのか

    • 人もいなく権限もない、なるべく何も無い状態で始めて到達できるのか

  • 人間が持つ欲求の「楽しい」に応える - 就職活動で見つけた観点

    • 今回の転職先とは別の企業が「楽しい」を軸に価値創造していくビジョンを持っており、「楽しい」を考えるようになった

    • 元々「楽しい」という欲求はオプションだと考えており、昨今の世の状況から削られる対象と思っていたが、反して「楽しい」は失われず今後もなくならない欲求と理解し魅力を感じた

  • シナジーの創出経験 - 就職活動で見つけた観点

    • 今回の転職先とは別の企業がM&Aをテーマに取り組んでおり、関連課題を知った

    • 今後増えていくと思われる統合課題に対して 事業/プロダクト/組織 観点で解決し成功経験を積んでみたいと思った

結論、少し自由に選択していくことにしました。

3社目

GENDA | 2022 -

たくさんのオファー、そしてとても魅力的な待遇の提示がありましたが、GENDAという会社で働くことに決めました。

最近、話題になっていたので知ってる人もいるかもしれませんが、これまで所属していた企業に比べたらまだ小さい企業でゲームセンター運営やオンラインクレーンゲーム事業を主軸にエンタメ領域で事業展開していく会社です。

「楽しい」に応える、「M&A」を武器にしている、「何もない」状態で求めている条件が揃っていることとネットの外側(ゲームセンターやオペレーション)があることで、これまでネットの中のデザインから範囲を広げられる経験ができることに魅力を感じました。

Technology人材にあたる社員はまだ少なく、まだ数人しかいません。
その環境の中で、1人目のプロダクトマネージャーとして入ります。
プロダクトマネジメントの他にも、PdMとDesigner採用やプロダクトマネージャー組織作りにも挑戦します。

「正解」が定義しづらい難しいテーマなので、今回関わりを持った皆さんと是非今後も情報交換できれば嬉しいなと思います。

まだ何も成果を出せていないので話せることは今日はここまで。

おわり

改めて、今回の就職活動で関わってくださった方々ありがとうございました。また、リクルートでお世話になった方々にも感謝を伝えたかったのですが、諸事情で伝えることができなくなってしまい申し訳ありません。勝手ながら、もう少し成長できた姿になれたら感謝を伝えにいきたいなと思っています。

もし、GENDAに興味を持った方がいましたらご連絡ください。
※採用ページすらまだないです

本当の最後に一応

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?