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「エシカル」とか「サスティナブル」とか。地球の危機とこれからの暮らし

皆さん、こんにちは。『tobira.』店主、れいです。

前回のnoteは思い切って色々と書いてしまい、なんだかトゲトゲしく、感情的な文章になってしまったことを反省していました……。

気持ちばかりが先走る性格なので、いつもこうやって後から振り返って「しまった〜」なんて落ち込んでばかりです(笑)

そして今回は、『tobira.』のテーマにもなる「エシカル」「サスティナブル」ということについて書きたいと思います。

耳タコかもだけど「エシカル」とは…

「エシカル(ethical)」とは「倫理的な」という意味を表す形容詞ですが、わかりやすく言えば、「正しさ」や「公平さ」といった人間の良識に従って行動しようという概念を表す言葉。

私たちが普段食べたり、身につけたり、使ったりしているものが、自然や動物を犠牲にしていたり、誰かの長時間労働や低賃金労働の上に成り立っていたりするものだったら?

おそらく多くの人が、自分の買い物が自然や動物、人を犠牲にすることに加担していることには気づかず、大量生産・大量消費の世界を生きてきたというのがこれまで。

しかし、そんな現実を変え、「毎日の買い物や暮らしのあり方を考えつつ、工夫しながら世界を変えていこう!」というのがエシカルという言葉が表す人々の行動のあり方なのだと思います。

「サスティナブル」を意識しなければならない現実

そして「サスティナブル」とは、日本語で「持続可能な」という言葉通り、地球環境を大切に守り、資源を無駄使いしないことで現在の地球環境を維持し、良い状態で次世代にバトンを受け継いでいくことでもあります。

これがめちゃくちゃ大事。

なんだけど、それがもはや危うい状況にまで到達しているのです……。

例えば、2020年以降の気候変動問題に関する国際的な枠組みを作った2015年の「パリ協定」では、「世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする」という目標を掲げています。が……

残念ながらこのまま改善なく人々が生活しつづければ、早ければ2030年にも世界の平均気温が産業革命以前より1.5度上昇すると予想されているのです。

これは相当にやばい。

豪雨や巨大台風が頻発することで、水害により都市のインフラが麻痺することも起こり得る話であり、逆に降水量自体は減り、水不足、食料不足の問題が現実的となる……。

自然の生態系は崩れ、7〜9割の生物が減少するとも言われている…。

さらに恐ろしいことが、ティッピングポイントとよばれる閾値を越えることで、地球のシステム全体で取り返しのつかない変化が起こるのですが、

この閾値はこれまでは4度までの上昇と言われていたのが、それがどうやら1.5度〜2度の間にあるのではと科学者の間で分析され始めているということ。

これらの問題は、『脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスへの潮流』堅達京子著 (山と渓谷社)のなかに書かれている内容です。

著者の堅達さんいわく、それは“ドミノ倒しのような悪夢の連鎖が始まる”ことであり、“人類が暮らしていけないほどの惑星に変貌してしまう予測”がすでになされているのです。

だけど生活はすぐに変えられない。わたしたちができることは?

地球環境の問題は、私が小学生の頃から口すっぱく言われていた問題でした。

これはおそらく少子化の問題と同じく、見て見ぬ振りをしてずっと放置されていたのかもしれません。

そう言えば、今から15年前にも今と同じように「持続可能な」というメッセージを投げかける雑誌がいくつか出たり、イベントなども盛んに開催されていました。

みんながヨガを始めたりして、ほんの少し時代の変化を感じ始めたのが2005年くらいだったように個人的に思います

だけどその後ファストファッションが流行り、時代は大量生産・大量消費、高性能なものが低価格で手に入り、無敵なくらい便利な時代がやってきました。

便利なのはうれしいけれど、なんとなく無意味にものがあふれ、消費され使い捨てられていく風景は、何か大切なものが抜け落ちていくような気がしました。

目に見えない大切なものまで、消費され、消耗されていくような気分。

とは言っても、突然すべてを変えることは本当に難しい。

なぜなら「持続可能な生活」とはもっとスローで不便を受け入れる余裕をもつことから始めることだと個人的に思うから。

忙しいから、時間がないから、経済的に余裕がないから、そんなさまざまな理由から安いものを使い捨て、もっともっとと便利に依存する。

ありきたりなことしか言えない自分がはがゆいけれど、今できることを考えるなら......

例えば「こだわり」を感じる「自分の大切なもの」を日常的に使うというのはどうだろう?

それこそいつも身につけるネクタイだったり、バッグだったり、少し価格はするけれど、ずっと大切に使えるもの、作り手がこだわりを持って作っているものを身につけると日々の暮らし方、考え方ってやっぱり変わると思うのです。

不思議と、「モノを大切にすること」を肌で学べるし、モノを選ぶ基準も自分のなかでできたり、安いからと理由だけで安易に買い物をしなくなる。

モノを大切にすることは、周りの人を、自分を、そして地球を大切にすることにもつながる。

結局、そういう何かを、誰かを慈しむ心こそが今の私たちには必要なんじゃないかと思うのです。

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今回は長々と書いてしまったけれど、個人的に環境問題などについてはあまり書かないようにしていました。

正直こういった問題を発信してくれている人はたくさんいるので、自分が書いたところでありふれたものにしかならず、すぐに多くの情報に埋没し、消費されていくだろうと思っていたので。

でもやっぱり必要だなという想いにかられ、今回は書いてみました。

相変わらずありふれた内容だったかもしれないけれど。

でもよい意味で頭の整理もできた気分。

次回は、「サスティナブルの暮らし」と私の原風景について書いてみたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!










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