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【40代の練習帳】正しいおばさん的生き方とは?

正しい“おばさん”像とは一体何なのか?
最近は、そんな“おばさん”の生き様について研究中の『tobira.』店主のれいです。

数年前、とある友人の前で「もうおばさんだから」と何気なく口にした時のこと。

「そういう言い方、しないほうがいいんじゃない……。」

私の何気ない発言を、そう軽くたしなめた友人。

「私もつい言いがちなんだけどね」と、つぶやきながら……。

そのとき私は思ったのです。

なるほどおばさんとは、決して胸を張って名乗るべきものではないのだと。

とはいえ、我を“おばさん”と称した私だって、卑屈な笑い(古い…)を込めて、自らを“おばさん”と名乗っていたことは否めない。

得てして私たちが“おばさん”という表現を使うとき、それは加齢によって失うことことばかりにフォーカスされてしまう。

人生の先輩としての“おばさん”という存在に、なぜ敬意を払えないのだろう。

■“おばさん”という表現はどうしてネガティブな響きを持つのか?

20代の頃、年齢にとらわれることなく人生を謳歌している女の先輩がいた。彼女は当時40歳前後。私は彼女が大好きだったけれど、なんせ誰に対してもはっきりモノ申す性格ゆえ、特に年配の男性からは敬遠されていた。

年配の男性社員は彼女がいない隙に陰口を叩き、“おばさん”という表現をさも殺し文句のように使っていた。そのときから私はどこかで恐れを感じていたのかもしれない。ただ年齢を重ねるだけで、私自身もいつか“おばさん”と揶揄されることを。

またあるときは、20代の年若い女性があのときの男性社員同様に“おばさん”という表現で女の先輩を貶める光景をたびたび目にすることがあった。

だけど、若さを過ぎればあなたも私もいつかはおばさんという道にたどりつく。自分たちが向かうその先にあるものを否定することは、自分自身を否定することにもなる。その事実に気づけぬほど、若さとはあまりに眩く、その視界を狭めてしまうものなのかもしれない。

■“おばさん”とは次世代へ未来を紡ぐ力を授ける者

文筆家・岡田育さんは著書『我は、おばさん』のまえがきにこう記している。

おばさんとは、女として女のまま、みずからの加齢を引き受けた者。護られた側から護る側へ、与えられる側から与える側へと、一歩階段を上がった者。世代を超えて縦方向へ脈々と受け継がれるシスターフッド(女性同士の連帯)の中間地点に位置して、悪しき過去を打ち切り、次世代へ未来を紡ぐ力を授ける者である。カッコよくて頼もしくて、社会に必要とされ、みんなから憧れる存在であっても全然おかしくない。

思い起こせば私自身もまた、“おばさん”と呼ばれる女性たちの存在にずいぶん影響を受けて、生きてきた。

彼女たちは両親が決して与えてはくれなかった文化的な豊かさをずいぶんと与えてくれたものだ。それはときに遠い親戚にあたる近所のおばさんであったり、物語を通して己の生き様を示してくれた女性作家であったり……。

彼女たちのゆるぎない世界観は、大人になっても変わらず好きなものをそのまま好きでいていいんだと私を勇気づけた。

たとえば小学生の頃、頻繁に訪れた近所のおばさんの部屋は、彼女の愛するもので埋めつくされていた。独特なワールドミュージックが流れる部屋にあふれる膨大な漫画、バリで購入した風変わりな雑貨、嗅いだことのない香りを放つお香……。

私も早く大人になりたい。好きなものに囲まれて暮らしたい。そう願ってばかりの幼少期を過ごした。それなのに、大人になった私は自立した女性を迎合しない社会と、それこそ女性が経済的自立を果たすことの難しさの壁にぶつかり、あの頃憧れたおばさん像はただの夢物語に過ぎないと感じるようになっていた。

■正しいおばさん像とはおばさんであることの豊かさをつなぐこと

そしてすっかり時代は移り変わり、おばさんが胸を張って自分らしく生きられる社会になりつつある。

かくしておばさんになった私はというと、やはりそんな世間の波にのって、憧れの“おばさん”像をこの手に取り戻し始めている。そのことがどれだけ私自身の心を救っていることか。もう決して夢物語ではなく、あの頃描いたおばさん像を私の足でちゃんと歩んでいこうと心に誓ったのだ。

少女から老女になるまでの「おばさん」の期間はとんでもなく長い。だからこそ、“おばさん”という存在をネガティブにとらえることはいかにもったいないことか。

そのためにもおばさんであることを恥じず、たくましい後ろ姿を見せられる先輩おばさんであることは、極めて重要なことだろう。正しいおばさん像とは、社会的な模範を演じられるかではなく、おばさんであることの豊かさをつなげることでもある。

若い女の子がかつての私のようにおばさんになることに怯えずにいられるよう、おばさんは己の後ろ姿を逐次チェックしておくべきかもしれない。別にカッコ悪くてもいい、思い通りの人生を生きていなくてもいい。キラキラしたビジネスウーマンだけが成功のカタチではないのだから、多様化したおばさんの生き方一つひとつに小さな希望を見つけられる世の中になればいい。


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