見出し画像

わからない心と向き合う

今朝、朝ごはんを食べ終えた小2の娘が、思いがけない言葉をかけてきた。

「ママのばあばとじいじは、幸せそうでいいよね。いつも美味しそうにご飯を食べて、ドライブして。毎日特にやることもないし」

そうか、この子から見たら私の両親は今、そんな風に見えるんだ。驚きとともに、少しうれしい気持ちにもなった。

今の私と同い年くらいだった頃の彼らは、経済的にも精神的にも色々と問題を抱えていて、子どもの私から見ても、とてもじゃないけど“幸せそう”には見えなかったな。

同時に親子関係も最悪で、私が大学生になると、経済的なプレッシャーに耐えきれず、母親は精神的に不安定になるし、顔を合わすたびお金のことで責め立てられ、私は長期休みに下宿先から実家にほとんど帰らなくなっていた。

奨学金とバイト代で学費と生活費をやりくりするのに精一杯な毎日で、希望とか夢とか、そんなものはドブに捨てるような気持ちで生きていた気がする。サンミーをかじっては、弁当屋の「のり・カラ弁当」が贅沢品の日々。志など、持つだけ無駄なように思えた。そのことがいわば、私自身の逃げ道や言い訳となっていったのだけれど。

あのとき、両親もきっと戦っていたのだろう。人生の重みにただ耐え忍びながら、精一杯役割を演じ切ってくれたことに今は感謝している。

今このとき、自分から見えるその人とは、その人の一部分でしかないんだろう。娘の言葉を聞いて。つくづくそう感じる。とはいえ、私の目から見た両親が彼らのすべてではきっとない。私が思うよりも遥かに幸せだったのかもしれないし。今なら笑って話せることがたくさんあるだろう。

人はいかにも衝動的で、説明のつかない気持ちで何かをやらかしてしまうこともある。だから、誰かに投げかける「なぜ?」が無意味で空虚な言葉であることを随分と思い知らされてきた気もする。

これほど言語化や可視化が進むこの世の中で、「わからない」に向き合うことはすごく理不尽に思えるんじゃないだろうか。答えがないってなんだよ。考えればわかるだろって。でも、人のことってほんとにわからない。

あの時の両親の本音も、貧乏でみじめだった私の本心でさえ、今となってはまったくわからないのだから。確かに最悪だったけど、当時の私は不幸だったかというと、そうとも言い切れない。あの頃は自分が持ち得ないものばかりに目がいって、自分の手の内にあるものを何ひとつ大事にできていなかった。きっと、自分自身のことを受け入れられなかったんだろうな。もっとわかりやすく、単純な存在でありたいと願いながらも、そのことを拒否してしまう、不器用でわかりにくい自分のことが。

一方、両親は歳をとったことで、ようやくこれまでのしがらみから解放されたのだろう。無理な押し付けをしてくる老人たちもいなくなり、ようやく彼らは彼らの人生を生きているようにも思える。よく耐え抜いたよな、と思う。その土台の上にそれなりに幸福だった私の子ども時代があったと思うと、彼らにはもっと幸せであってほしいし、私がやるべきことは、まさにこれからたくさんあるように思う。











この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?