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贖罪について
妻の話をします。わたしの妻は昨冬、自ら命を絶ちました。なお詳細はこの辺(http://reunionest.blog.fc2.com/blog-entry-326.html)をご参照ください。
呪われたかった。
恨まれて、自分の人生ひとつでもってあがないとしたかった。
今でも思うんです。
あの時、医療保護入院を継続しないで退院とし、わたしも何か月か仕事を休んで看病に充てればよかったのではないかと。過食の直後は希死念慮の高まりが急激で、だから、ずっとそばにいてあげればよかった。
妻からの最後の手紙があります。要するに遺書です。
『あなたと出会えてよかった。一緒に過ごした時間は生涯の宝物だった』。
それで、わたしはだれからも非難を浴びることなく憐憫の情さえ向けられ、こうして呑気にキーボードを叩いている。ほんのひとこと、『無理やり入院させられて人生が狂った』と書いてくれていたら今、どうなっていたか。
あの子は心優しい、よき伴侶、よきクリスチャン、よき相棒でした。最後の最後でわたしを守るためについた嘘が『あなたと出会えてよかった』だとしたら、妻は人生をかけてわたしを庇ってくれたことになります。
もしくは、最後くらいいいひとであろうとしたのか——。
亡くなったのは11月3日。
いまだにだれもその死を受け入れられず、遺族たちも自分を責めています。でもね、集団ってだれかしら共通の敵を作れば均衡がとれるそうです。認知的均衡理論(バランス理論)っていうそうです。つまるところ、遺族の中で悪者を作れば、場は安定する、と。
でも、妻はそれを望まなかった。
だれも悪くない、だれも責めない、ただ病気があっただけ。
上記の認知的均衡理論でいうと、だれも責めようがない病気に苦しみ続け、最終的に自死を選んだ。
以前、大学生が心中を計画する小説を書いたことがあります。19万字くらいの。妻は優しすぎたのだろうか、それとも、恐怖をもはねのける心理状態にあったのだろうか。
ほんのヒントだけでいいから、どうやったら償えるか、教えてほしい。
妻へ
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