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「アンスクーリング その6」次男編「職種 農家」


次男は現在10歳です。
学年にすると小学校5年生です。
(もちろん行っていないので本人の中では自分が何年生だったか、
なんていうことは忘れてしまうし、家族もみんな忘れています…)

小さい頃から植物を育てる事が好きで
ハーブや花、樹木、そして今は野菜を育てています。

自宅のそばのお寺の土地をお借りして
全て種から育てる野菜作りをしています。

基本的に食べるものも菜食思考なところがあります。
それもあってか熱心に野菜を育てています。

農家といっても農家さんに弟子入りしたわけではないので
自己流でやれる範囲内で農作物を作ることを楽しんでいます。
でもこれから先の未来を思い描いたとき
かれの生きる道には「農業」が大きな割合を占めているようです。 

基本的に種から育てること
農薬や肥料に頼らず野菜がどのように育っていくのかを
様子を見ながら育てているという感じです。

寒い冬も、暑い夏も野菜の世話に外へ出ると
しばらくは黙々とその作業に精を出しています。

わからないことは自分で調べて実践していきます。
成長過程に合わせ、必要なことを施します。

外へ出ても植物のことをとてもよく知っているので色々と教えてくれます。
我が家では元々長男が植物にも詳しかったのですが
今は生物担当:長男、植物担当:次男という具合にうまく担当わけがなされています。
彼らと散歩へ出ると教えてもらう事が山のようにあり、全てが勉強になります。

そして次男が野菜を育てることは
彼が自然と共に生きていることの象徴でもあります。

農薬を使いたがらないのは野菜への影響はもちろんですが
土壌に薬品が浸透していくことへの拒否感でもあります。
安心して食べられることも大切ですが
自然のあるべき姿というか…彼自身が理想とする
「自然の姿」というところにこだわりを感じます。

植物を育てるときも、次男は市販のプランターを買いません。
必要とあらば自分で時間をかけて木製のものを作ります。
なるべくあるもので自然の素材に近いものを好みます。

種も極力、収穫できそうな野菜を残しそこから種を採種します。
それ以外で必要な時は、固定種の有機種を探して購入します。
そこも彼なりのこだわりという価値なので親としてはできる支援として
高価であろうとその種を購入するためのお金を支払います。

お寺の土地に水道はないので敷地内にある井戸から
大きめのジョウロに水を汲んでは何往復もしながら
水やりをしています。
水道水ではない事がむしろ気に入っているようです。

小柄な子なので、水汲みはさぞ大変だろうと思い声をかけると
その井戸水を汲む、運んで水をやるという行為すら彼は楽しいと言います。

野菜の周りに稲藁を敷き水分の蒸発をコントロールしたり
何かと得た知恵で自ら実践していく姿はなかなか面白味があります。

例えば我が家の子供達は火を焚くことも好きです。
今は諸事情でお隣さんから禁止されているのでやれていませんが
火が持つ力みたいなものをよく知っているようです。
だから火を焚くことができた時は五寸釘を熱しては金槌で打って
最後は研いで、小さなミニチュア刀みたいなものを作っていました。

祖父母宅の横には小さな用水路が流れており
いつも水がコンスタントに流れているので
庭の一角を掘れば水が出るのではないか、と思ったらしく今、穴掘り工事中です。
おそらく井戸とはならないと思うのですが
本人が納得するところまでやると何かしらの気づきはあるのではないかと
ほっといています。

自然が与えてくれる恵は自分が生きて行くために必要なものだと認識しています。

土と水は人が「生きる」ための「食」にとって
欠かせないものです。
そこに着目して、自分なりに観察しながら農作物を育てることは
これから先の未来を生きていくうえで、必ず生きる力になっていくことと思います。

実らないものもあります。
実っても数個、とういうこともあります。
まだまだ観察も研究も、おそらく価値のある肥料の投入なんかも
場合によっては必要なように思います。

この地球が背負う様々な環境問題がありますが、食糧危機は
食料自給率が低いこの国の子供達にとって他人事とはとても言っていられません。

まさに彼らはこれから先の未来を生きていく人材です。
ですから、その一つとして、植物のこと、土のこと、水のこと、
それを栽培することを具体的に知っていることは大きな力です。

育む事の楽しさ、食すことの喜びと
消費のサイクルに組み込まれない食の在り方を実践して
いずれはそれが他の誰かのために繋がれば…
そんなふうに思いを巡らせた時

10歳が培う畑には大きな意味がありそうだと感じます。

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