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言葉くづし 20―内川虹の橋

聡子さんに浅野川高校まで送ってもらった私は、深々とお辞儀して車を降りた。

霧島宅にお邪魔して聡子さんと話していたら、お昼の十二時を過ぎていた。ショールを脱いでクラスTシャツ姿になると、そろそろと文化祭の入口アーチをくぐった。

穂乃香たちはすぐに見つかった。向こうも勘が良いことに、穂乃香が私の存在に気づいて手を振ってくれた。

文化祭に遅れた気まずさと、迷惑をかけた申し訳なさに胸が詰まる。

「みんな、心配かけて、ほんとにごめんなさい」

頭を下げた私を、みんはいつもと変わらず迎えてくれたことが救いになった。

「なーに言ってるの。元気そうで安心した! そのクラTも似合ってるわよ。さすが、私がデザインした衣装なだけあるわね!」

「美咲、そこ自慢するとこじゃない」

「そうそう」

穂乃香と明里のツッコミに美咲は狼狽える。

「ひどい奴らね、まったく!」

プンスカしてる美咲が面白くて、思わず笑ってしまう。きっと彼女なりの気遣いなんだろう。

「もう、笑わないでよ、冬花……。まあいいわ、さてさて、このまま私たちだけで文化祭楽しんじゃいましょうかね〜! こそこそ隠れてたら分かんないもんね、お二人様!」

美咲の言葉に私ははっとする。あたりを見渡すと、鯛焼き店のテントの陰から夏炉と冬兄がバツの悪そうな顔で現れた。特に夏炉に再会するのは、私があの晩に倒れたとき以来だ。

驚きと喜びと後ろめたさが胸の奥底を刺す。
けれど、すぐに美咲たちが私を囲んで学校を歩こうという話になったので、そんな感情は隅に追いやられた。

「ねえ冬兄、私の知らない間に夏炉と何かあったわけ? いい感じに仲良くなっちゃってさ」

「そんなんじゃねーよ。今日、お前が来るかもしれないって夏炉に喋ってたら、ちょうど車からお前が現れたもんだから、突然あの子が俺を連れて隠れちまったんだ」

「ふーん」

ちょっと冬兄の顔が朱く染まってる気がするけれど、まあ不問に付すとしよう。

「さてみんな! どこから回る?」

美咲の先導で、私たちは片っ端からクラスの出し物を見て回った。人びとの喧騒と足音、マイクをこぼれる高めのノイズ、校内に流れるラブソング、ステージ発表の司会者の声などが、文化祭特有の粘っこい熱気のなかで渦巻いていた。

お化け屋敷で夏炉と一緒に怖がったり、穂乃香と美咲が縁結び神社で念入りに願掛けしていたり、明里が古本バザーから離れようとしなかったり、いろいろなことがあったけれど。

そのすべてが楽しくて、現実のものとは思えないような、そんな気さえしていた。

冬兄は黒一点なのが気になるらしく、私たちの集団からは距離をおいていたけれど、単独行動をとることなくついてきてくれた。

「冬花、もう来ないかと思った。安心したよ」

冬兄の穏やかな声に私も緊張の糸が緩む。

「お義母さんにばれたら一大事だけどね」

「そのときはそのとき。俺もなんとか庇うよ」

冬兄はそう言うと、そっと夏炉のほうへ視線を向けた。

「あの子のこと、気になる、だろ?」

私は無言で頷くと、カバンに忍ばせたイヤリングを革の上から触って確かめた。夏炉は私と遊ぶことばかり話題にしていた。あの晩、私が倒れてしまったこと、そして聡子さんからの手紙については敢えて触れないでくれているのが、彼女の小さな背中から伝わってきた。

「きっとチャンスはあるぜ。お前たちなら」

冬兄がどれだけ話を把握しているか知らない。けれども、彼の微笑む姿を見ていると、きっと大丈夫だと信じることができた。

そのとき、校内のアナウンスが鳴った。

「文化祭実行委員会からのお知らせです。楽しい文化祭も残すところあと一時間になりました。午後三時半から閉会式を始めますので、生徒は午後三時十分までに各クラスに集合してください」

「もうそんな時間? 早すぎるよ〜」

あちこちで閉会を惜しむ声が上がったが、そこはみんな大人だ。文句を言いながらもゾロゾロと教室に向かっていく。夏炉は一年のクラスなので、私たちとは別の階に別れることになった。別れ際、夏炉はそっと私に耳打ちして、神妙な顔で走っていった。

私の身体は雷に撃たれたように痺れ、そして興奮していた。

彼女の伝言の意味を、ゆっくりと頭のなかで反芻する。

閉会式が始まっても、人の密集した体育館のなかで、私ひとりだけがぽつんと浮いているような気分がした。副校長先生の挨拶や出し物ランキングの発表なんか、まるで耳に入らなかった。

「それでは、いよいよ文化祭最後を締めくくる、名物のエンドムービーのお披露目です!」

生徒たちのざわめきが一気に高まった。
夏炉が精いっぱい、たくさんの写真を撮影したものだ。写真のアングルや編集はとても上手かった。きっと彼女だけの力ではない。いろんな人の協力があって初めて実現した、素敵なムービーになっている。

でも、私がそれ以上に驚いたのは、BGMで流れてきた、初めて聴く曲だった。

――冬花、エンディングの曲は私が作詞したの。
――昔のお母さんたちが頑張ってたみたいにね。

ああ、まさか。
こんなことが起こるなんて。

私たちの真実を知らないはずの彼女が。
こんな歌を作ってくれるなんて。

私の頬に大粒の涙が零れた。

私のなかの神さまが、泣いていた。


傘を持たない僕らは
雨の冷たさを知っている
弾けては 流れていく
ナミダみたいな感触

青信号を待つ僕らの季節は
いったい いつ晴れるのだろう
水たまりに浮かぶ鱗雲が
不思議に尊く見えるよ

飲み込んだ哀しみの数だけ
打ち消した言葉の数だけ
感じ取れる真実がきっとあるから
あなたの歩みを止めないで

たとえ僕らが生まれ変わったとしても
なにげない朝の優しさとか 
さわれない星の眩しさとか
いまある世界の美しさに嘘はつけない

たとえ僕らのすべて終わりになっても
笑ったこと 泣いたこと
そして あなたと出会えた 
ここにある過去の記憶に嘘は要らない

ふるふると言葉が散って
さめざめと夜空が泣いて
めくりめく人生のなかで
明日の言葉を生み出せたら


泣きつづける私の背中を、穂乃香はいつまでも優しく撫でてくれた。

(つづく)

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