case01-20 :確保
着いた駅は、最初に出会った大井町駅であった。
なるほど、ここに別宅があるのか。
初めて会った際は、お互いのアクセスの関係で大井町になったと考えていた。実際は単純に別宅の近くだったということだ。
東口を抜けたあと、狩尾は迷いなくスタスタと歩いていった。紺色のスーツにヒールを履いた始業式用の後ろ姿は、ちょっとしたOL風にも見える。時間にして15分程度だろうか。既に位置関係としては青物横丁駅に近い場所に5階建てのアパートがあった。
都合よく道路から各階の通路が見える構造であったため、遠目から確認できる位置に移動する。1フロア5部屋あるうちの4階一番奥。そこに狩尾は入っていった。
ようやく見つけた。口元が緩んだ。
完全に扉が閉まるまで確認し、携帯を取り出す。
「あ、松澤くん?いつものお願い。狩尾って女の件でな」
ポケットの煙草をゴソゴソと探す。
「ああ、うん。知らん男と住んでる。人の出入りがあったタイミングで連絡して。住所はまたあとで送るから」
しばらくはここを離れても大丈夫だろう。金は多少かかるが確実な方法だった。やっと見つけた煙草の箱は空になっていた。
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その時がくるまでファミレスで「仕事」をする。
「はい次のお客様~」とまではいかないが、どこにいてもひっきりなしに希望者は出てくるのだ。中には親の世代のような人もいるし、大学生が来る場合もある。生活保護から一部上場企業勤めのギャンブル狂までステータスも様々だ。
仕事をしながらも次々と松澤からメールが入ってくる。
[13:05 指定住所前到着しました]
[17:20 女が部屋から出ました]
[19:10 女が部屋に入りました。買い物帰りの模様です]
[20:15 男が部屋に入りました]
正直、気が散って仕方がない。最後の"お客様"のひとりを見送った後、彼女の家まで歩いていくことにした。固まった足の筋肉をほぐすにはちょうどよい距離だ。
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大井町はこれから飲みに行くのか、いや飲んだあとなのか、今日も楽しく生きた、明日も楽しく生きられるに違いないと信じている人間たちでいっぱいだ。
自分だけ全然違う世界に取り残されているかのような妙な孤独感には慣れていたが、こうも行き交う人間がどいつもこいつも幸せそうな顔をしているとその孤独感が鋭利に突き刺さる。
きっと今から向かう"そこ"も「今日も良い日で終わった。明日も良い日だ」と信じているのだろう。でもそうはならない。今日は終わってもいないし、良い日にもならない。
大井町の飲み屋街を抜ける。突然訪れる静寂が五月蠅いような雰囲気の中、狩尾の住むアパートの前に立つ。オレンジ色の灯りが暖かい。
黒のセダンが路肩に止まっていた。相変わらずどこか近寄りがたい車を乗り回すのが好きなやつだ。窓をコンコンと叩くとウィーンという音を立てて窓が開き、いつもの人懐こい顔をのぞかせる。
「おお、どう?中にいんの?」
「あれ?どうしたんですか、言ってくれれば迎えに言ったのに」
「まぁなんとなくだね。で、中にいんの?」
「メールで送った通りっすね。中でよろしくやってんじゃないですか?あと鍋でもするような感じの買い物袋でしたよ、ネギ出てたし」
「そんなとこまで聞いてねぇよ、アホ」
言いながらいつもの茶封筒を渡す。
「いつも毎度です」
「まぁちょっと色つけといたわ。松澤くんも家族で鍋でもやんなよ」
「お、あれ?俺は行かなくていいんですか?」
「いいよ、そこまでの相手じゃない」
「分かりました、そしたら気を付けて!」
半分ほど窓が閉まると突然、松澤が声をかけてくる。
「あ、藤嶋さんそういえば」
「なに?」
「俺、別に恨んでませんから」
そういうと勢いよく車が発進した。
やっぱり分かってたか…と多少バツの悪い気持ちになりながら車が交差点を曲がるのを見送ると、アパートに向き直り煙草に火をつける。
あまり長くアパートを眺めていると、気が重くなってきてしまう。眺めながらいつの間にか根本まで煙草が焦げていた。
「…あつっ」
赤くひりつく指に苛立ちながら煙草を簡易灰皿の中に放り込むと、アパートへと向かった。
ロビーがオートロックタイプの場合はまた面倒が多いのだが、こういったアパートであれば入ることは容易だ。エレベータに乗り込み、「4」のボタンを押すといつしかのカラオケボックスで初めて会った雑居ビルを思い出していた。あれからまだ半年というところか。早いものだ。
「あんときは妙な人懐っこさに驚いちまったよなぁ」
誰に話しかけているわけではない。強いて言うなら”あの時の狩尾に”話しかけていたような感覚だった。4階に辿り着くと、まっすぐに奥のドアへと進む。ドアに表札はかかっていない。
一息ついてからインターホンを押すと奥から「はーい」という聞きなれた声が聞こえた。
いまだにその時の顔は忘れられない。
不用心に狩尾がドアを開けた瞬間
「みつけた」
狩尾は人懐っこい笑顔を残したまま、目を見開いて凍り付いた。