【掌編小説】今日が最期だとしたら

人生の最後にやりたいこと。
明日地球が滅ぶとしたら、どうする?
明日もし死ぬとしたら、あなたは今日、何をしますか?
今になって振り返ると、こんなたぐいの質問が、学校の自己紹介アンケートや卒業アンケートでは定番だった。
『好きな物ぜんぶ食べる』
『好きな子に告る』
『何か書き残す』
『友人と過ごす』
『家族と話す』
『ペットと全力で遊ぶ』
『ひたすら寝る』
『ゲーム』
『その日決める』
クラスメイトは皆、感心するほど達観していたことをよく憶えている。子どもながらに、「死ぬ」という得体の知れない現象について、何かしら考えていたのだろう。あの頃はまだ、「死」がどこか、自分よりも遥か遠い場所にあるものだと、そう思っていた。
『持ち物を全ててる』
これは、いつかのぼくの回答だ。自分でも呆れてしまうほどに、あっさりと運命を受け入れていたクールな少年だった。
「高校時代にさ、イマリっていたじゃん。スエトキイマリ。憶えてる?」
ふと、妻が言った。
日曜日の、それはそれは穏やかな朝だった。
「ああ、スエマリ。いたな、憶えてるよ。忘れるわけがない」
末時今理すえときいまり。ぼくと妻の、高校時代の同級生だ。
『何が何でも明後日あさってを迎えてみせる!』
―――明日死ぬとか、まじあり得なくない?
「ギャルだったな」
「うん、ギャルだった」
仮にスクールカーストなる暗黙の序列がクラス内にあったとするならば、スエマリは常にカースト最上位に君臨していた。
ギャルではあったが、知的なギャルだった。いや、この表現では、ぼくがギャルは総じて知的ではないという偏見をもっている、ギャル蔑視べっしだ、などと非難されてしまう危険がある。
ギャルではあったが、良いギャルだった。いや、この表現では、ぼくがギャルは全員ヤンキー・不良だという偏見をもっている、ギャル蔑視だ、などと非難されてしまう危険がある。
まあ、このお話がギャルの眼に触れることなどあるわけがないし、別にいいか。今回はお話を進めるために、ぼくのギャル蔑視発言に関する侃々諤々かんかんがくがくとした謝罪会見については、態度の改変を迫られた後でもよおすとしよう。
「どうかした?」
妻が不意にぼくの顔を覗き込む。
「なんか、キモい顔してるよ?」
「よーいしょー」
突然のキラーパスに文字通り面喰めんくらい、ぼくはぶつけられたボールを明後日の方向へ蹴り返した。
妻の鋭い眼光に射抜かれて、ぼくはにっこりと笑った。
ひとつ、重要なことを忘れていた。そういえば妻も、元ギャルだった。しかも、スエマリとは別派閥の、ちゃんと悪いほうの、ゴリゴリのザ・ギャルだった。
錯覚していた。結婚してから性格も体躯たいくも随分と丸くなっていたから、てっきり、ぼくのすべてを優しく包み込んでくれる聖母マリアかと。なんだ、よく見たらただのアイアンメイデンじゃないか。ああ、危うく騙されるところだった。あぶない、あぶない。
……なんの話をしていたんだっけ。そうだ、良いほうのギャル、スエマリの話だった。
―――え、無理無理、普通に生き延びる方法考えるっしょ。
「な、懐かしいなぁ、スエマリ」
記憶がよみがえる。スエマリがいるクラスは、必ず良い方向にまとまっていたように思う。定期考査、文化祭、体育祭、球技大会、修学旅行……。彼女は自分の取り巻きを統率し、あらゆる行事でクラスの先頭に立ち、とても周到に全体を導いていた。
「そう、その懐かしのスエマリ。今、あいつ何してるかな」
妻の視線が宙を彷徨さまよう。
「あれ、仲良かったっけ?」
ぼくは、ジッと妻を見つめた。妻とスエマリが一緒につるんでいた光景など、記憶にない。むしろ、学年で問題になるほどの犬猿の仲だったはずだ。
「ううん、くっそ悪かったよ」
妻は花のように柔らかく微笑んで、毒を吐き捨てた。
「うん、だよね」
スエマリは女子からも男子からも好かれ、持ち味の圧倒的カリスマで上手く組織を形成し、クラスの絶対女王として頂点に立っていた。反対に、妻は近寄る者は容赦なく喰い殺す凶暴な一匹狼で、孤高で最凶だった。ゆえに、二人はお互いのことが心底気に入らず、散々憎み合っては、度々学校の壁を越えて激しく衝突していたのだ。
正義と悪、光と闇、表と裏……。誰が見ても、妻がスエマリと対極的に相反する存在であることは明白だった。そんな妻が、高校卒業から十年以上も経った今になって、スエマリの近況を気にしている。
ぼくの戸惑いを察したのか、妻はぼくと目を合わすと、
「いやいや、別に大したことじゃないんだけどさ」
と困ったように歯を見せてヘラリと笑った。
「ここ五年ぐらい、毎年夏に、高校の同窓会やってるじゃん?」
「……ああ、うん……、同窓会」
「そこに、あいつ一回も顔見せないんだよね……」
―――いやいや、一旦、一旦宇宙に退避じゃない?
「かつての取り巻きに訊いても、誰も今あいつと繋がってないっぽいし……」
―――なんだっけ、あれ、クマムシだっけ、宇宙連れてかれても死なないバケモン。どうにかして、あいつの能力ゲットできないかな。
「緊急連絡網あたっても、音沙汰なしらしいし……」
―――死ぬ間際にさ、光の速さで走り続ければいいんじゃない?
あの、誰よりも生き抜こうとしてたスエマリが?
あの、誰よりもみんなの中心にいたスエマリが?
あの、そんなことより、ぼくあての招待状は?
「「……まさかね」」
日曜日の、それはそれは穏やかな朝だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?