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【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第8話

8 二人でランチデート ④


「どうですか、売上のほうは」
紙袋を受け取ると、ムヨクさんは鳥飼さんに問い掛けた。
「……ああ、そっちのほうね。おかげさまで、結構順調だよ。まぁ、損することはないだろうなとは最初から思ってたけどね」
ムヨクさんの手に渡った紙袋をちらりと見やった鳥飼さんは、腰に手を当てて平然と笑って答える。
そっちのほう、とはなんの話だろうか。紙袋の中身に関係していることらしい、ということは察したが、それ以上のことは判然としない。
「そっかそっかぁ、そりゃよかった」
「いやいや、余公さんの人脈があってこそだよ」
「そんなぁ、最終的にはトリさんの経営判断じゃない。ちょっと話しただけで、翌月にはもう事業が始まってたから、さすがにちょっと引いたよ」
……事業? 置いてけぼりにされた一抹の孤立感を誤魔化ごまかして、私は努めてアルカイックスマイルをつくって、二人のやり取りを聞いていた。
「まぁ、また僕に協力できそうなことがあれば、なんでもグイグイ言ってよ。あ、来週末だったかな、リザパレ、ムヨクさんも来るかい?」
「あれ、リザパレって、もう来週末だっけ。何、トリさん、行けるの? なんやかんや久々じゃない?」
リザパレ。また、知らない単語が出てきてしまった。
「ん? 待って、再来週の末だったかな。ああ、来週の土日は東京のほうでレプティ・マーケットか。ごめんごめん、規模感が似てるから、そっちと混同してた。ははっ、全然把握しきれてないな」
レプティ・マーケット? レプティってなんだろう。コミックマーケットとかフリーマーケットみたいな、何かの即売イベントだろうか。
「あっはは、お店が忙しすぎて、完全に社畜社長だねぇ」
「いやはや、商人冥利みょうりに尽きますなぁ……なんてね。いや、小忙しくさせてもらってるのは、本当にありがたいことではあるんだけどね。でも、今年はたしか、リザパレの日が予定空けれそうだったはずだから、少し覗きに行くつもりだよ」
「おぉ……! リザパレは……うん、再来週末だね。あたしもどっちかには顔出そうかと思ってたから―――」
リザパレ、とやらの日程を思い出すように首をかしげたムヨクさんは、そこで一瞬だけ言葉を区切ると、そのすきにふっと私を一瞥いちべつした。
「トリさんが来るなら、リザパレ、あたしもふらっと遊びに行こうかなぁ」
「ほんとに現れるかなぁ。余公さん、そう言いながら案外神出鬼没だったりするからなぁ」
鳥飼さんはその瞬間に勘付く様子もなく、ムヨクさんに微笑みかけている。
完全に油断していた。今、私はどんな顔をしていたのだろう。ムヨクさんは私を見ると、不意に鳥飼さんに背を向けて、紙袋をげたほうの手を高々と上げた。
「それはお互い様でしょうに……。さぁて、それじゃあ、おこぼれも頂いたことだし、私たちはこれにて退散します」
「はっはっ、違いない……。じゃあ、ガマ子ちゃんもまたね」
唐突に鳥飼さんが私に振り向くものだから、数学の授業で急に先生から当てられた時のように、私はビクッと面喰らってしまった。
「は、はいっ! え、あっ……また、ご……ご、ごちそうになりますっ!」
「ええ、もちろん。いつでも、お待ちしております」
ガチガチにかしこまってしまった私に、鳥飼さんは柔和な微笑を浮かべて、しなやかな所作でお辞儀をしてくれた。それにロボットのような挙動で会釈えしゃくを返して、タイミングをはかったかのように歩き出したムヨクさんに合わせて私もその場を後にした。
そっちのほうの売上、リザパレ、レプティ・マーケット……。私の脳内には、換気扇をぶん回したくなるほどのモヤモヤが充満していた。解ったことと言えば、ムヨクさんと鳥飼さんが、そのリザパレとやらで再び相まみえようという口約束をした、ということぐらいだろうか。
「ごめんねぇ、話弾んじゃって。ガマ子、退屈だったよね」
並んで歩くムヨクさんが私に視線を流して、さらりとびた。
「い、いえ、そんなことは……、聞いてるだけでも楽しかったですよ」
二人の雑談に入れなかった私をそれとなく案じてくれているのだ、と解るから、余計に私はもじもじしてしまった。
ふと、懐かしさがじんわりとこみ上げてきた。一緒に働いていた時は、お昼休憩の最中や、取引先との商談にのぞんだ日、会社の飲み会がお開きになった直後とかも、ムヨクさんはこんなふうに、たびたび私を含めた後輩部下に気を配ってくれたものだ。
苦笑いを浮かべて、誰に問うでもなく、私は胸の内でぼんやりと考えた。三人中二人が顔見知りで、その二人だけが共通の話題で盛り上がってしまった時、取り残された一人はどうやってその時間をしのぐのが正解なのだろう、と。
「そう? 朝の社内定例会議で座ってる時と、おんなじ顔してたよ?」
「ぐっ……」
それでも、そんな絶妙に不意を突くムヨクさんの一言で、わだかまる私の心はふっとほぐれて軽くなるのであった。

庭園を出ると、示し合わせたわけでもなく二人でお店の中に戻って、直売所の長蛇の列に加わった。
「鳥飼さんも、爬虫類お好きなんですね」
ひと息ついて、私はようやくつぐんでいた唇をゆるめて、当の鳥飼さんに振るべきだった話題をムヨクさんに持ち出した。
「トリさんはどちらかというと、もっぱらの鳥ヲタクだけどね。リザパレとかレプマでも、インコとかアヒルとかフクロウとかのブースばっか見てるような人だからさ」
「そう、それっ! 何ですか? その、リザパレ、とか、レプティなんちゃらって」
「ああ、ごめんごめん。そういう、爬虫類の即売会が各地であるんだよ。『リザード・パレード』と『レプティ・マーケット』は、ほぼ同じ時期に開かれる、エキゾチックアニマルファンにはたまらない、二大巨頭イベントなのだ!」
ムヨクさんの声優顔負けの抑揚に満ちたナレーションを聞いて、脳内で飽和しそうだったモヤモヤを押し出す勢いで、どっと私は溜息を吐いた。手遅れではあるが、やっと鳥飼さんとムヨクさんの雑談に、一言二言ぐらいは口を挟めそうな気になってきた。
「ほぇー、爬虫類メインの即売会なんてのがあるんですね!」
「そうそう、割と大きな規模で開催されててね、毎年お祭り騒ぎしてるんだよぉ。爬虫類専門のペットショップとか爬虫類カフェとかが、各々のお店の個性的な生体とかグッズとか持ち寄ってね」
「うわぁ……楽しそう!」
爬虫類専門でやっているペットショップやカフェなんてものもあるのか、と思わず私は驚愕した。
が、それ以上に、未知すぎる領域に片脚を踏み入れてしまったような、そんな昂揚こうよう感が私を満たした。空っぽだった胸の器に、すさまじい好奇の波が、その鳴動を響かせて轟々ごうごう雪崩なだれ込んでくる。「これより先、爬虫類の世界」と書かれた札が貼られた重厚な扉を、私は今、そっと押し開けてしまったのだ。
「ちなみにだけど、“lizard”は『トカゲ』のことで、レプティは“reptiles”の略、つまり『爬虫類』って意味だよ」
ムヨクさんは惚れ惚れするほどの素晴らしい発音で、私の頭を攪乱かくらんしていたカタカナの意味を教えてくれた。
「そういう意味、だったのかぁ……!」
に落ちて叫んだ時、私は、鶏肉のショーケースを挟んで目の前に立っていた店員のおねえさんとバッチリ目が合った。
いつの間にか、先頭まで進んでいたらしい。その若干気まずい目線をスッと移すと、彼女の胸元の名札には「トーカゲ」という片仮名の名前と初心者マークが、カラフルでポップな手書きの字体で刻まれていた。
新人のアルバイトさんだろうか。トカゲの話をしていたら、トーカゲさんに遭遇してしまうとは。脈絡も因果も何も関係ないのに、なんとなく運命じみた出会いに、つい嬉しくなってしまう。
「なんだか、よく分からないけど……、な、謎が解けたみたいで……、よかったです」
トーカゲさんが丸々と見開いていた目をジトッと細めてぽつりと呟くと、私たちの背後に伸びる長蛇の列から爆笑の嵐が渦巻いて弾けた。
落ち着け。興奮しすぎだぞ、羽賀真子よ。テンションが打ち上がってしまい、思わず幼気いたいけで無配慮な子供みたいな声量を発してしまっていたことに気づかされ、急激に気恥ずかしさがこみ上げてくる。
「ああっ! す、すみません! お騒がせいたしましたっ!」
今すぐに煙のごとく消え去りたい衝動に駆られた私は、丸鶏を一匹、そして手羽先を五ピース、さらに鶏卵けいらんを一パック、半ばさらうように購入し、そそくさとお店から逃げ出した。
サウナと化していた車に乗り込んでエンジンをかけ、すぐさま私はクーラーの風量スイッチをMAXまでひねり回した。ムヨクさんは後部座席を開け、ムヨクさん製の吐瀉物を浴びた私のポーチとスマホが突っ込まれたクーラーボックスに、鳥飼さんからもらった紙袋と、私が直売所で買った品物をねじ込み、それから軽やかな身のこなしでするりと助手席に飛び込んできた。クーラーボックスには冷蔵庫用の脱臭剤も仕込んであるらしいので、私の丸鶏が熟成された嘔吐物おうとぶつ味に変わる心配はないだろう……たぶん。
「よぉーし、山菜採りの時間だぁ!」
「行きましょーう!」
ムヨクさんの掛け声を合図に、私は力士がドスンと四股しこを踏む……ぐらいの気持ちで、けれど実際はふわふわの羽毛に触れるほどの力加減で、優しくアクセルペダルに足を掛けた。


* このは物語はフィクションです。実在する人物や団体、イベント等とは一切関係ありません。

9 二人でランチデート ⑤

【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん


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