トンネルを抜けるから、眩しいのさ。【前編】
世の中の理不尽さを、あなたは受け入れることができますか?
唐突な問いに困惑すると思いますが、例えばニュース番組を見れば毎日のように凄惨な事件を目にします。そういった情報で心を痛めていたり、行き場のない憤りを感じている人は、理不尽さを受け入れることが苦手かもしれません。
それは、「なんとかしたい」という「善意」が根底にあるからだと思います。
そんな「善意」こそ、人として社会的・文化的に必要不可欠なものです。
ところが、そんな「善意」はとても壊れやすく、いとも簡単に踏みにじられます。
善良な行動を通じて「世のため人のため」を地で行く人が、報われないどころか大きな損失を負う事を、何度も目にしてきました。
私自身、世のため人のためという大義に重きをおいて社会貢献活動に尽力してきました。
それが当たり前で、「善意」は誰しも持っているものだと信じてきました。
・・・しかし、残念ながらそういった「善意」を持った人々のほうが、世の中は少数派だという事を、会社生活15年を経て気づきました。
そして、私自身の善意が踏みにじられることを経験しました。
しかし、そこから再起することもまた、経験することができました。
前後編で綴ってみます。
1.急がば回れの10年間
会社(民間企業に限らないとは思いますが)では「組織」という仕組みが最も重要視されます。
本質的には効率的に利益を上げるためのルールに過ぎないですが、気づけばそこで働く人々の人生観や人格までも管理しています。
「組織」がもたらすデメリットの一つでしょう。
会社(=事業)を通じた社会貢献と銘打って高い目線で仕事をしてきた私にとって、目の前の管理者(上司)たちの極端に狭い視野にはほどほど悩まされてきました。
『労働者の身分は、指示された事を実行することだ』
そんな物言いをされながら新入社員は育成されるのが現実です。
「善意」なんてものは一目散に削がれることでしょう。
自分の「善意」を実現するためには、組織の中でより高いポジションを取る必要性があります。
それには、上司からの評価を得るしかないのです。
この記事を書いていて残念な気持ちになりますが、それが「組織」において自分の「善意」を成し遂げるための近道になります。
だから、15年間、一心不乱に「指示されたこと」をこなしてきました。
辻褄を合わせるために上位者の顔色を伺い、目障りの良い情報を並べたことも、日曜日にこっそり出社して作業を進めていたこともありました。
おかげで、入社から10年くらいは順風満帆でした。
もうそろそろ「善意」を全面に出してもいいだろうと思い始めた11年目から「組織」との戦いが始まりました。
2.善意の崩壊
最初のうちは穏やかだった管理者たちとの関係性も、いつしか口論するようになり、ついには同僚たちと影で恨みつらみを語り合うようになっていきました。
ただ、それが世を嘆くサラリーマンたちの実態だと共感でき、自分だけが苦労しているわけではないと実感することができました。
「善意」形に示すには、最初の一歩(踏み台)となるための管理者たちを説得するか方法がありません。
ところが、彼らこそ目の前の表面的な作業に忙殺されていて、「善意」などという単語から最も距離のある場所にいます。
それどころか、会社として事業を拡大し利益を確保するという視点すら忘れ、ひたすら自身の財布に定期的にお金が入ってくるかどうかの心配をします。
その心配を払拭する為に、目の前の表面的な作業をこなすのです。
その状況を鑑み、表面的な作業が原因だと思い、管理者の仕事を丸ごと手伝ってみた時期もありました。
労務時間、業務目標管理、グループの年度重点方策の進行、人員育成計画、
他部署との業務トラブルの折衝、行政との交渉、予算管理。
私自身も管理者への昇格を前フリされていたので、真剣でした。
しかし、それが一番の悪手でした。
『君ができることは分かった。ただ、そうやって手伝われるこっちの気分も考えろよ』
感謝すら微塵も感じさせない管理者のその一言で、私の思い描いていた「善意への道」は簡単に崩れ去りました。
3.会社生活の終わり
10年以上に渡って人生という時間と労力をかけていた会社に対する忠誠心は、急速に冷めていきました。
「助けたり手伝ったりすることは、その人のプライドを傷つける」
「時間をかけて指示された仕事をこなしても、それが自身の便益になることはない」
社会人として得た答えは、現実味溢れるものでした。
私は「組織」に負けたと、認識できました。
そうなると、人は簡単に堕落していきます。
家族へ八つ当たりすることも増え、暴飲暴食、衝動買い、娯楽に浸かり自分自身の体調不良にも繋がりました。
またたく間に、会社生活が終わった事を実感しました。
「善意」に溢れている人ほど、それらを持っていない人に淘汰されていく。
持っている人のほうが「異分子」なのです、組織にとっては。
世の中は、思っていた以上に理不尽でした。
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