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短編小説|縁結びのソイラテ #6

第4章 夢なら醒めて


食事だけ、という誘いだったのにー。

お会計をした後、手首を掴まれた。
乱暴な感じはなく、そっと・・・優しく。
だからこそその瞬間、電撃を感じた。
ときめき・・・なんてものじゃなく、ただただ恐怖の感情だった。
そしてその時の「彼」の表情は、決して私に安心感を与えるものではなかった。
真顔で、虚ろで、舌なめずりをされているような。

とっさに手を振り払ったタイミングで、バランスを崩す。
慣れないヒールだったし、肩の空いた服だったしで、私は肩に痛みを感じながら尻もちをついてしまった。
慌てて彼が寄ってくる・・・が、二度目の拒絶には、声がちゃんと出た。

「だ、大丈夫ですからっ」

その場で顔もあげず、左手を突き出して静止させた。
来た方向もさっぱりわからないまま、とにかくその場を立ち去った。
静かな夜を駆けながら、右肩の痛みがジンジン響く。

息が切れてからようやく、周囲の景色を見渡す。
おぼろげにも繁華街の明かりを頼りに駆けていたけど、前の職場の近所だったとわかった途端、泣けてきた。

私は、『何をしていたのか』って。


「えっ?どうしちゃったのよ、りいちゃん!」
「私ドジって、家で盛大に転んじゃって、えへへ・・」

大げさに右腕に包帯巻いているから、蜂屋さんのリアクションは最もだと思う。

「その腕の状態で、仕事できるの・・?」

笹山さんは不思議な顔をしている。いや、たしかにフツーは休むよね。
あくまで平然を装うとして、逆に不自然なことに気づいたがもうトキオソ時すでに遅し
そして二人の後方で、唖然としている高月さん。

「ちょっと、あの・・正直言うと、マウスも持てなくて・・えへへ・・」
「鳥居さん、そういう時はすぐに連絡しなさい」

笑いを取るつもりが、更に逆効果。高月さんは真剣な眼差し。

「はい・・すいませんでした」
「その様子だと病院には行けてるのよね?どの程度の怪我なの?」
「あ、2~3日あれば」
「じゃ、それまで休みなさい」
「え・・でも最近その、休みばかりで」
「気にしなくていいから。万全の状態で来て頂戴」

明らかに不機嫌なご様子なのは声色だけで判定可能。
こんな時は従っておけと、先輩二人が視線で教えてくれる。
私はノソノソと、見上げた空とは真逆のしょんぼり気分で家に引き返す。
気のせいではない程度に腰が重かった。

間違っても、風間さんに誘われた・・・なんて言えなかったから。

🌱🌱🌱

ここのところ感情が不安定なのは十分理解している。
でも、自分を一番に行動しているだけであって、何かを耐え忍んでいる訳では無い。
亡くなった夫の日記帳にも書かれていた。
『ニコニコのままの私で生きてほしい』
という願いを実践しているだけ。

でもなんでかな?
周囲の人と、何かが噛み合わない感じが、いつもある。
私らしさが受け入れられてない。
私のことを理解してもらえない。
そんな不満足感を抱えながら、毎日を過ごしている。
そういった環境に、私の何かが悲鳴を上げているのかもしれない。

リセットしたい。

そんな単語で脳内で満たされてきた。

気づけば夕方だった。
昼から何も食べていなかった。
どうしようと考えていると、スマホに高月さんからのメッセージがポップアップされていた。

『その怪我じゃ家事できなくない?今からお手伝い行こうか?』

いつもの優しい高月さんに、私は即甘えることにした。


20分後、高月さんが訪れた。実は入社する時に新居も一緒に探してくれたから、当然のように私の家を知っている。

「すいません、だいぶ散らかっていて・・」
「いーよ。私の息子の部屋なんて10万倍汚いから」

最近注意を受けてばかりだったので気まずい気がしたけど、高月さんは明るいムードを振りまきつつ、そのまま狭いキッチンに買い物袋をドサッと置いてすぐさま料理に取り掛かった。
こういった気持ちの切り替え方、私には到底できそうもない。

「んーと、包丁はどれ使えば」
「一番右のやつです」
「りょーかいっ」

手際よく野菜が刻まれていく。私はついつい見とれてしまった。
7歳年上の女性の料理さばきなどあまり見る機会はないから。

「りいちゃん、夏が近いからって冷たいものばかりじゃダメよ」
「え・・なんでバレました」
「見てればわかる!今から、生姜入りポトフとチキングラタン作るから」

オシャレかつ暖かそうなメニューでその場で小躍りしてしまった。
料理をしている高月さんは、仕事の時の真剣な眼差しとはまた違った充実感に溢れた表情に見えた。きっと、料理も好きなんだろうな。

そして、このタイミングで私は悩みを打ち明けようと思い立った。
・・・後から考えれば2度目の判断ミスになったけど。

「あの、高月さん・・相談したいことが実は・・」
「ん~?どうしたの?」
「木崎さんのポテンシャル調査の件で」
「そういえば、その話聞けてなかったわね」

あっけらかんとした雰囲気だったので、話易かった。

「現状の業務効率と売上を照合すると、たしか12%くらいは改善の余地があるって」
「そうかもね~」

やっぱりあっけらかんとした雰囲気だった。もっと話に食いつくのかと思っていたので意外だった。

「ただ、デザインスキルについては好評でした」
「それは、そうさ。私達の仕事の質は大手と遜色無いはずよ」

鍋に材料を放り込んで、ぐつぐつ煮出しを開始していた。

「特に、私の個人スキルについても木崎さんからお褒めの言葉をいただいて・・・」
「ふ~ん・・・そう」

やっぱりあっけらかんとしたままだった。料理に集中しているから聞き流しているだけなのか。ちょっとリアクションの薄さもあって、私の話にもっと乗って欲しかったから聞こえの悪い言い方をした。

「向こうの会社のデザイン部門に配属されても遜色ないって、言われちゃいまして」
「・・・そう」

鍋がふつふつと煮える音がしばらく続いた。

「わざわざ、そういう事を言うのね」

高月さんのその一言は、主語を捉えていなかった。
だけど、私は自分自身で「退職したい」と遠回しに言ったことに気がついた。しかし、それは隠していた本音の一部であって発言を撤回するにはまた別の「ウソ」が必要となってしまう。
必死に考えを巡らせて次なるセリフを探したが、考えるほどに高月さんにも考える時間があたえられていた。

「とーりあえず、できたわよ。グラタンは自分で焼いて頂戴。食べたいときに」
「あ、ありがとうございますっ」
「ポトフのほうは味薄かったら塩コショウ足してね。・・あと、水分はノンカフェインのものを摂るのよ。紅茶や緑茶はNG」

チラッとキッチンの脇においてある空のペットボトルを見て言われた。高月さんはそのままシンクでささっと手を洗い、まくっていた袖を元に戻した。

「それじゃ、私は帰るわね」
「あの、明日は」
「腕の調子次第で、どっちでもいいわよ」

優しい言葉なのだが、どことなく遠ざけられているようにも聞こえた。そのまま買い物袋の内容物を簡単に説明され、ささっと玄関から出て行ってしまった。目を一度も合わせずに。
心配されて来たはずなのに、ほっとかれるように去ってしまった状況は、いよいよ関係性の終末感が漂う。

悩みを吐露したはずが、逆に状況を悪化させている自分を恨んだ。
高月さんからしてみれば、ここ1ヶ月の私の言動の「真因」を聞かされたわけだから、全てが合致してしまったのだろう。

また私は、自分を追い詰めてしまった。

高月さんの仕事のやり方に疑問が芽生えていたし。
木崎くんから個人昇格案件の話も悪くないし。
風間さんからの怪しいお誘いから離れたいし。
スタイルオブユーからの業務提携だって、私が個人で転職すれば、皆の会社への接触は無くなると思うし。

そんな全てが丸く収まるちょうど良いチャンスが転がってきている。
私にとっては、これはラッキーなんだと言い聞かせて、温かいポトフをまずは口に運んでいた。
情けなさと、嬉しさが同居した涙で、ちょうど良い味になった。

🌱🌱🌱

これ以上の迷惑はかけられない。
その一心で退職届を準備した。

ほんの少しだけ痛む右腕が隠れる服に着替えて、いつものカフェに向かう。
別に行く必要はないのだけど、なんとなく大きな選択をするときは験担ぎげんかつぎをしたいから。
いつもの通りをスタスタと歩く。心なしか雲が厚くて、湿気を帯びた土の匂いがした。午後から大雨予報だけど、強がった私は傘を持たずに出かけた事でもう後戻り出来ない覚悟を表現した。

「いらっしゃいませ~」

今まで意識していなかった店員さんの顔を確認する。
この前、風間さんに押しかけられた時に起点を利かせてくれた人ではなかった。ちょっとお礼がいいたかったのに、と思いながら、人差し指一つで常連だと誇示する。
いつもの席に腰掛けて、ちょっと重たいバッグを横のイスに置いた時、いつもと違う気配に気づいた。

「ご注文をお伺いしたいのですが・・いつものソイラテが売り切れてしまいまして、店長オススメのココアでもよろしいでしょうか?」
「え??あ、はっ、はい・・それで」
「かしこまりました」

そういうと店員さんはカウンターの奥へ消えていった。普通はお客側に選択の余地があるのに、なぜオススメの品で決めさせてくるのか理解はできなかった。ただ悪い気はせず、常連だと認識されているんだと勝手に解釈しておいた。いつものが飲めないという・・・ちょっと残念なことと大きな決断を前にいつもの調子ルーティーンが狂ってしまうのが気になるけど。

なんだかなと思いながら、バッグの中から大事そうに一枚の封筒を取り出す。私の汚い字で、それには「退職願」と書かれている。
と、すぐに先程の店員さんがカップを運んできてくれた。

「お待たせしました。本日のオススメのバニラココアです」

ふわっと甘くてコクのある香りが、香水のようにも感じた。でも、季節に合わないホットだった。

「大変お熱いので、お気をつけてお飲み下さいま」

と、次の瞬間ー。

ガシャン。

「きゃあぁ!」

コントのように、店員さんはカップを盛大にテーブルの上に落下させた。
入魂の退職願は一瞬にしてココアに染まった。

「も、申しわけ有りません!お怪我は有りませんか!」

店員さんはすぐさま私の状態を確認してくる。
店内は一気に静まり返る。離れた席にいたおばちゃん二人組がこちらを遠巻きに眺めてくる。
私は自分の服にダメージが無いか確認した。特に被害はなさそう。
店員さんが猛ダッシュで店の奥からおしぼりを取ってきて、退職願の封筒をケアしていたが・・・トキオソです。

「大変申し訳有りません、大事な書類を・・・」
「いえ、いいです、大丈夫です」

ココアまみれになった退職願はコミカルな雰囲気を醸し出した。
少しだけ、滑稽に見えてきた。

「服は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫・・・です」
「それは良かった。お代は結構なので、代わりのものをお持ちしますので」

申し訳無さそうにヘコヘコしている店員さんが、なんだか自分のようにも見える。遠目からこちらを見ていたおばちゃん達も、すっかりこちらには興味がなくなっていた。
猛スピードで机周辺を拭き上げ、足元もテキパキと確認すると、小さく一礼をした後またまた店の奥の帰っていった。

店内はおしゃれなジャズのBGMが流れているが、珍しく店の奥から話し声が聞こえてきた。

「あれ、店長なにやってんすか?」
「あーちょうどいいとこに来てくれた、たかひろくん」

そんな会話、普通は聞き流すのだけど、亡くなった夫と同名だったので思わず会話の方角に振り向いてしまった。

「1番テーブルでちょっとやらかしてね、悪いけど、バニラ準備してくれへん?」
「え、ああ、いいっすよ、1番っすね」

その「たかひろ」と呼ばれた店員さんが、不意にこちらを見る。いつもの店員さんだったけど、その瞬間目があってしまった。
私は気まずくなり、すぐにバッグの中にある小説に手をかけた。ただ、小説には目を向けているだけで、退職願をまた準備するべきかどうか、考えを巡らせていた。
大きな決断をするつもりだったけど、このイレギュラーな感じが「その時」ではないと教えてくれている気がした。
木崎くんのエントリーシートの件はまだ来週だし、退職願は私のタイミングで出せば良い。
だから・・・また今度だね。
そうやって一人作戦会議を終えると、不意にあの店員さんがカップをもってきた。

「先程はすいませんでした、ソイラテのシナモンです」
「え?ソイラテって売り切れじゃ・・」
「ああ、さっき僕が仕入れてきたので」

なんとも穏やかな笑顔だった。
そして私の「いつもの」を運んできてくれたこともあって、急激にこの店員さんのことが知りたくなった。

「私のお気に入りを覚えてくださってるんですね」
「いつも来ていただいている常連さんですから」

何気なく、思いつきのまま来ていただけなのに、覚えてくれているというのは包容された感覚に陥る。

「それでは、ごゆっくり・・」
「あのっ」
「はい?」

呼び止めたまではいいが、目的を全く考えていなかった。ただ直感的に、この店員さんなら相談したいという気持ちになっただけだった。

「いつも・・ありがとうございます」

わけのわからないお礼に、店員さんは不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだろう。
しかし、

「いつでもいらしてください。僕たちはホッとする時間を提供するのが役目なんで」

という言葉とともに、店の奥に行ってしまった。

🌱🌱🌱

それから一週間後。
私は高月さんに退職の意思を願い出た。
風間さんの件も全て素直に話した。

初夏を迎えた事務所内が一瞬で凍りついたのは言うまでもない。

自分は仕事を通じてニコニコした毎日を送りたい。
その為には、苦手な営業までしなきゃいけない職場も、怪しく言い寄ってくる不誠実な取引先も、必要無い。
デザイナーとして高い報酬が得られるのであれば、それが一番良い。

私の結論に、高月さんは異を唱えることは不可能だったに違いない。

私は、私の意思で、株式会社イコールを退社した。
そしてそのまま、株式会社スタイルオブユーに入社した。

続く

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

第5章(終)はコチラ。

本編の序章はコチラ。

#創作大賞2023

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