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短編小説|追い詰められた愛情

結婚はゴールではなくスタートだと良く言われるがまさにそう思う。
今、目の前で妻がドラマを見入っている。
リラックスしている時間帯だから安易に声をかけてはいけない。
先月学んだ。

結婚して3か月が過ぎた。
まだまだ、彼女のことが分からない。
機嫌のいい日と悪い日の差が激しく、地雷を踏んでしまう事を恐れてしまっている。
ただ、時折見せる可愛い笑顔でそんな恐怖はリセットされてしまう。

お互いに働いているから、家事は分担している。
女性は朝の支度が忙しいという事を知ってから、朝食の準備と片付けは僕が担当している。
洗濯は妻が担当しているが・・・時々出発時間に間に合わないとヒステリックを起こすので、極力手伝うようにしている。
夕食は彼女が作るが、残業で遅くなりそうな日は僕が作る。
週に2~3日くらいかな?

とにかく、声をかけて確認を取らない方がいい。
さりげなく自然にやっておくことが肝心。

そして「今日もありがとう」という言葉を欠かさず掛けて寝ている。
それでも、妻からありがとうやお疲れ様という言葉が返ってくることはない。なぜか?

旦那が妻をねぎらうのは、当たり前だから。

ー2018/6/9

1.永遠の誓い


僕たち夫婦は、お互いの役割が入れ替わったような性格をしている。

妻、夢美ゆみ、30歳。
大手広告会社でデザイン部に勤めている。趣味が仕事と言うくらい、自分の夢を叶えるためなら何でも突き進む努力家で、メンタル的にもタフ。バームクーヘンが大好きで、Instagramで頻繁に投稿している。

その夫、敬優たかひろ、32歳。
税理士の資格を持っていて、小さな税理士事務所で見習いとして働いている。人を助ける事が好きなせいか、出世や稼ぎよりも社会貢献に強い充実感を感じる。優しすぎる見た目と性格のせいか、よく他人に罵倒されることがある。

妻のほうが残業も多いせいか、彼女の稼ぎのほうが多い。お互いに貯金通帳はオープンにしているので露骨に比較されてしまう。

「隠し事は、なしにしよっ?」

結婚生活初日から言われたことだから、それは愚直に守っている。
他にも約束事はたくさんある。
僕は彼女を失望させたくないから、必ず守ることを誓った。

とある日、妻が職場の飲み会が来週あると教えてくれた。
もちろん僕は快くOK。
大事なコミュニケーションを邪魔してはいけない。
その時、妻がこんなことを口にした。

「ちょっといつもと違うメンバーでさ、着ていく服が無いんだよね」
「今週末に一緒に見に行こうか?」
「ううん、一人でいい。ゆっくり選びたいから☆」

少々残念ではあるが、他愛もないことで妻の意志を挫く必要もない。
これが、僕なりの妻に対する愛情表現だ。

後日、飲み会の日。
何故か僕に風呂に入ることを進めてきた。18時台でかなり早いが、それも悪くないと湯舟でぼんやりしていた時、妻はバタバタと出かけて行った。
風呂から上がり寝室の前を通過した。
ふと、クローゼット周辺がちょっとした惨事になっていたのを見かけた。
いつもの癖でさりげなく片づけていると、控えめなフォントサイズで「110,000」と書かれた小さな紙片を見つけた。

男のカンなんてものは存在しないが、そこまで気合いを入れる飲み会なのかと考えてしまった。
もちろん、僕が寝た後で妻が帰宅したのは言うまでもない。

しかし、こんなことはどうでもよかった。
確かに機嫌の差はあれど、妻は基本的に良く笑ってくれる。
明るく社交的なところに惹かれたから、結婚したんだ。
僕自身は、職場でもまだ下っ端ということもあって、修行のような事を課されていた。
それでも耐えていた。家に帰れば妻がいる・・・その一心で。


ところが、結婚から半年ほど経ったある朝、僕は強い目まいに襲われた。
おぼつかない足取りで寝室からリビングのソファーに倒れ込む。
目も満足に開けられず、寝ぼけた口元からキッチンにいた妻に状況を話した。

「寝不足なだけでしょ?いつも夜遅くまでゲームしてるからだよ」

否定はできない。
だから、昨晩はすぐに寝ていたという事実は言い出せなかった。
そのままではほとんど歩けなかったため、なんとか妻を見送ったあと再びソファーで横になっていた。
救急車を呼ぶか迷ったけどさすがに大げさすぎだと思い、掛かりつけの内科に電話相談をした。

・・・その3時間後、僕はこの町で2番目に大きい総合病院にいた。
脳梗塞と医者から宣告されて。


2.絆


全員とは言い過ぎだが、「脳梗塞で倒れた」という情報は親戚一同に広まってしまった。
妻はもちろん、義理のお父さんお母さんも病院に駆けつけたそうだ。
緊急手術となったことから、大げさに言って僕は人生で初めて生死の分岐に立ち寄った事になる。

いわゆるドラマで見る待合室とは打って変わって、病院の大きなメインロビーで座り心地の良いソファーに3人が腰かけていた。
緊急手術とは言え即刻死ぬことはなく、むしろ術後の後遺症が気になる程度だと看護師から聞いていたそうだ。
妻はそれを聞いた後、会社の人と電話を頻繁にしていたそうだ。

義理のお母さんは何度もたしなめたそうだ。
妻の抱えている仕事は僕には想像できないくらい責任が重い。
妻の仕事を、キャリアを阻害してしまったという気持ちすら僕にはあった。

「無事でいてくれればいいが・・」

お義父さんが不安そうな声で呟く。

「結婚してまだ半年だというのに、神様はなんて残酷なの・・」

お義母さんもしきりに悔やんでいる。

「もうなっちゃったから、しょうがないよママ。普段の生活が悪かったんだもん」
「っ!ちょっとあんた!病人を追い詰めるような事をいわないのっ!」
「だって水分あんまり取らないし、ゲームを遅くまでやってるし、悪いのは敬優の生活態度だよ?」

妻の言い分は最もだ、そう、この病気は僕自身が招いた結果だった。

「だからって、こんな時に正論ばかり言っても意味がないのよっ!」

母と娘の口論がヒートアップしている。

「おいおい、今はそんな事で争う時間ではないはずだろう・・・」

お義父さんが慣れた感じで仲裁に入る。
時刻は夜の8時。病院はすでに診療時間外で、ロビーは数か所の照明しか点いていない。
そろそろ手術が終わる時間だった。
遠くから看護士らしい人物が近づいてこう告げたそうだ。

「敬優さんのご家族でしょうか?担当医からご説明がありますので、3番診察室へお越しください」

昼間のような明るさの診察室へ。
まもなくして、担当医が疲れ切った表情でやってきた。

・手術は無事成功した
・容態は安定している。
・後遺症については1か月ほどの入院生活で経過観察する

とのことだった。
妻には入院手続きや保険申請、僕の職場への連絡など、様々な事をやってもらった。
本当に、迷惑をかけてしまった。

それから1か月間、リハビリ生活が始まった。
残念なことに、右半身に麻痺が残ってしまい歩行が困難になってしまった。しかしながら、長い月日のリハビリによって治る可能性はあるということで、希望は見えていた。
僕は絶望しなかった。

病室の白いカーテンがそよそよと気持ちよく揺らいでいる時、替えの寝巻きを持ってきてくれた妻に告白しようと思った。

「・・・仕事、辞めようと思う」

僕は神妙な表情で話かけた。

「なんで?税理士の資格あるなら続けられるでしょ?」
「自分でわかるんだけど、日常生活すら大変なんだ。介助が必要だから」
「辞めるのは勿体ないよ、事務所にヘルパー雇ってもらったら?税理士事務所って儲かってるんでしょ」

個人事務所というのは、大企業と異なって従業員待遇や福利厚生が進んでいない。加えて、事務所の建物も1階部分が全て駐車場の3階建てで、エレベーターが無い。事務所の代表の先生の邸宅と一体になっているから。
そんな厳しい条件を頭の中に浮かべながら、妻の気持ちも汲み取った。

「わかった。この体でも続けられるか、ちょっと打診してみる」

退院まであと1週間に迫った日、税理士事務所から電話があった。
退職金割り増しの、自己退職の説明を聞かされるための。

入院の日々はまだよかった。

退院してから苦痛の連続が僕を待っていた。
あらゆることが一人でできず、常に誰かの手を貸してもらう状態だった。

最初はお義母さんが看てくれたが、1週間くらいで疲弊してしまった。

その後、実家の母が来てくれたまでは良かった。
しかし・・。

「悪いけど、敬優のお母さんのご飯の感性が全然合わないから、もう帰ってほしいんだけど?ここは私たちの家だよ?」

妻の言い分はいつも正論だ。
僕たち二人の生活にこだわってくれたところに、夫婦として生活したという優しさを感じた。

実家の母には、3週間で帰ってもらった。

妻が不機嫌な日が本当に増えてしまった。
あの笑顔は、全くみない。
会話も減った。
出来るだけ自分独りでできるようにと、動かない体を引きずった。
ある時は洗面所で転んでしまい、2時間半起き上がれなかった事もあった。
情けない自分に、何度も涙を流した。
それでも僕の体は戻らない。

一緒に暮らしてくれることが、唯一の支えだった。
それが夢美との絆だと信じて。


3.愛する心


デザイナーの仕事はセンスや納期管理が問われるけど、一番は本人の精神状態が安定していること。
絶対というわけではないけど、より集中できる状態がベストなアウトプットにつながるのは言うまでもない。
だからこそ、夫の思わぬ病がデザイナーとしての仕事に壊滅的なダメージを与えた。

「夢美さん、あなたちょっと休んだらどう?最近、クライアントの条件を片っ端から履き違えているわよ?」
「あ、はい、もうしわけありません。もう一度・・・やり直します」
「いえ、そうじゃなくて、休んだら?」

上司と部下のやり取りの一幕だが、もうすでに会話がかみ合っていない。

「家では、その・・・休めないというか・・」
「・・・何かご家庭の事情でもあるのかもしれないけれど、仕事にまで影響が出てしまっては本末転倒よ?明日から4日間、有給を取ってみては?」

ここまで上司に押されてしまっては、しばらく出社しなくてよい、というメッセージにしか聞こえない。
休みが明けて出社しても、どうせ今の仕事の担当を外されている、と諦めがついた。

通い慣れた夜景をいつもと同じ車両の窓から眺める。
今日一日終わったけど、また明日はやってくる。
会社は休みだけど、家の中で私の休みは無い。
そんな自虐的な自分に酔いしれるのも慣れてしまった。

改札を出る時はいつも、大雨が降ったあの日を思い出す。

あの日の朝もドタバタと身支度をしてたから、案の定傘を忘れていった。
帰りの電車内からお迎えの呼び出しをすることも出来たんだけど、それは流石にワガママかなと思って止めた。
改札を出ると、お迎えされる人達を何人も見た。
きっと温かい家族なんだろうと、他人事のように孤独な世界に入りこもうとした時、

「夢美っ」

あなたは傘を持って私の前に現れてくれた。ほんの少しだけ息を切らして。寂しい思いをさせないと言ってくれた結婚式でのスピーチは、嘘じゃなかったんだって、本当にうれしかった。
雨に濡れたふりして、少し泣いちゃった。
私の事を一番に思ってくれて、絶対に守ってくれる。

・・・そう信じていたのに、1年も経たずに裏切られた。
あなたはもう、私のことを守れないでしょ?

「・・ただいま」
「・・おかえり・・」

遠くの部屋から声は聞こえる。
パパっとコンタクトを外し、部屋着に着替える。
旦那はリビングでテレビを見ていた。

「おかえり、お仕事お疲れ様でした」
「うん」
「今日はお仕事どうだった?」

少しやせているが、以前と変わらない表情で聞いてくれるのが、むしろツライ。まだ新婚気分でいるのかと疑う。

「・・もう、最悪だったよ。明日から強制有給だし」
「え・・?何かあったの?」

アンタのせいだと、何度も言おうかと思った。
いわゆる要介護2レベル相当だけど、認知機能が問題なかったので地域ケアがすんなり受けられない。
そして、本人のリハビリ意欲も相当高いのがネックで、私一人でフォローしなければならない。
おまけに小さな税理士事務所で数年しか働いていなかったので、保険や手当も少ない。

私は何か悪い事をした?
なんでこんな目に合わなきゃいけないの?
仕事をしていれば忘れられるのに、仕事をすることも許されなくなった。

そんな本音が旦那を追い詰めてしまいそうで・・・。

「最近さ、ミスが多くて・・疲れてるみたい」
「そっかぁ・・」

そこで10秒くらい間が開いた後、旦那が声をかけてくれた。

「理由はわからないけど明日休みなら、あのカフェでも行ったらどう?」

結婚する前、よく連れていってくれたカフェのこと。
私はあそこのシナモンバームクーヘンが大好きだった。
でも、言葉尻が気になってしまう。
「行ったら?」ということは以前のように連れて行ってくれることではないから。
思い出した途端、ふとお腹がぐぅ~・・っと鳴るが、晩御飯は何もできていない。考える事を放棄した私は、返事をしないままソファーに飛び込んだ。

鳥の声がかすかに聞こえた。
リビングの時計を見上げると、午前9時20分。
仕事ならとっくに遅刻だが、休みだったことを思い出してそのまま寝ようとする。
昨晩カフェの提案をしてもらったところで会話が途切れていたのを思い出し、周りチラッと確認するが、旦那の姿はない。
恐らくリハビリストレッチの時間だから、寝室だろう。
そのままで寝てしまったので顔がヤバいから、急いでシャワーを浴びる。

私のように、若くしてパートナーが障がいを持ってしまった人はどんな気持ちなんだろうか。
気になってSNSで少し調べてみたけど、やっぱり自分が選んだパートナーだからと前向きに考えている人が多い気がする。

私自身は、どっちなのかわからない。
上っ面のセリフはいくらでも言えるけど、本当はどっちなのか分からない。二人の自分が、毎日のようにいがみ合っている。

10時30分。
出かけるには程よい時間だ。
部屋にいる旦那に扉越しで軽く声をかけて、出発する。

「カフェいってくるー」
「・・いってらっしゃい」

これが、私たちの最後の会話になった。


4.あいじょう


旅立つ側は、新しい世界に希望を持つ。

見送る側は、寂しさに震える。

数日降り続けた長い雨の中、彼は出棺した。

身も心も文字通りボロボロになった私は、全ての事から逃げた。

家も。
仕事も。
家族も。

自分からも。

私の本音は、誰に言えばよかったの?

いつだって幸せそうにしてた彼を、どうやったら助けられたの?

誰も・・・誰も助けてくれなかった。

なりふり構わず、責めた。

あらゆるものを、責めた。

最後は、自分も責めた。

静かな雨音が、改札口にお迎えしてくれた日を思い出させる。

彼に連れて行って欲しかったと、何度も後悔した。


せっかく手術によって取り留めた命を、
彼が自分から投げ出したことが全く理解できなかった。

そう、彼の部屋にあった日記帳を見るまでは。


『結婚はゴールではなくスタートだと良く言われるが』

という一文から始まっているこの日記帳。
日付はまばらだけど、1ページ1ページにそれぞれ思いが込められていた。
私に見られた時のことなんて考えられていない、彼の内側がここにあった。

書き連ねた言葉は、全て私への思いやりで溢れていた。

枯れたはずの涙が、何度もぎゅっと絞り出される。

3か月たった今も、全てを読むことができていない。

でも、ゆっくり解きほぐせばいい。

この日記の時間は止まったままだから。


「・・・なるほど、それでは前職のご経験を活かした求人のご案内を今後差し上げます」
「はい、よろしくお願いします」

オンライン上で転職活動ができるなんて、便利な世の中になったものだと感心する。
幸いにしてデザイナーという職業はニーズが高い。
もちろんライバルも多いので弱肉強食のフィールドではあるけど。
並行して、クラウド型の仕事も少しだけやっている。
本当にピンポイントだけど、とあるNPO団体のロゴデザインで採用をいただけた。
素直にうれしい。
それもこれも、まずは仕事だ!という父からの金言による。
先月くらいからようやく私の時計は動き出した。
やっぱり私には仕事が中心になる生活が性に合う。

きっとあなたは、ニコニコの笑顔で生きている私が好きだったんだよね。

ちゃんと元に戻るから・・・ちゃんと見守っててね。

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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