見出し画像

短編小説|縁結びのソイラテ #4

第3章 前編 くつろげない日々


私は今、全速力で走っている。
ちょっと踵が高い靴だけど、まだ20代だと言っても過言ではない体力には自信がある

大通り沿いなのに歩道の幅が狭いから、人とすれ違うのがちょっとしたアトラクションのよう。
時折、路上に置かれている自転車に苛つきながらも、クライアンとであるイタリアンのお店には最速で到着できた。
ちょっと息が切れているけど・・・これは都合がいい。
大至急向かってきたと伝わるはず。

「はぁ、はぁ・・、ふぅ・・・」

と、グッとつばを飲み込んで、準備中の店内に吸い込まれた。

「こ、こんにちわ・・」
「あっ、イコールさんですね」
「こっ、この度はっ!」

そう言うと深々と頭を下げる。

「ああ、どうかお気になさらずに。間違いは誰でもあるものですから」

私と同年代と思しき男性はすぐに弁明の余地を渡してくれた。この方はこの店のオーナー兼店長さんの島田さん。
ゆっくりと顔を上げて、申し訳無さそうな表情をしながら島田さんの顔色を伺うと・・・。

「店の名前、そんなにややこしいですかね」

表情はにこやかだが、明らかに目元はご立腹だった。

「すいません!私の確認不足でして・・」
「もういいよ。謝っても時間の無駄だから。もう一回作り直してくれればいいからさ」
「は、はい」

そのまま店主は右手を差し出す。握手にしては、掌の角度が上向きすぎる。その瞬間、私は呼吸が止まりそうな急激な恐怖感を感じた。

「で、直したやつ持ってきてくれたんですよね?見せて下さい」
「あ、いや、その」

そのまま再び頭を深く下げた。私の顔は相手に見えていないのに、目はギュッと閉じている。

「無いの?こんなに時間かけて、もしかして謝るためだけにきたの?」

答えづらく、無言になってしまった私を、更に煽ってくる。
明らかに怒りの感情が高まっていることを、その場の空気が伝えてきた。

「・・ったくふざけんなよ。何しに来たんだよ」
「すいませんっ」
「おたくら、この辺じゃ有名な会社なんだろ?それが、こんな対応なのかい?」

何も言えなくなってしまい、たった数秒の沈黙が永遠に続いたと感じた。
しかし疑問も浮かんでいる。本当に私が間違えたのか、って。

結局、島田さんの叱責を受け止め、要望通り2時間以内に修正して印刷までして納品するという事で許された。
なぜ今日にこだわるかというと、はるばる遠方から親戚を呼んでいて、プレオープンのパーティーが今日だから、という理由だった。
・・・正直言ってこの際理由はどうでもいい。
間違えた私が一方的に悪い、それが事実だから。

私は男性の機嫌が悪い気配というのがとても苦手。
さっきのような恐怖感は、夫を亡くしてからも数回直面した。
いつも呼吸が止まりそうになる。
それが嫌だから女性だけの職場を選んだ。
しかし、男性も女性も平等に働くものだから、男性との接点はいくらでもある。生きていくには避けられないことは十分に理解してる。
でも・・・でも・・・苦手なものは苦手。

🌱🌱🌱

チラシの修正は想像よりもずっと早く終わった。
奇跡的に風間さんが印刷機をスタンバイ状態にしておいてくれたのもあった。
納品も風間さんのバイク便でお願いし、私はもう島田さんには直接会わないようにした。
もちろん、高月さんが再度謝罪に出動したのは言うまでもない。

帰り道は一度も視線をあげずに、足元だけ見て帰った。
怒られはしたけど、別に致命的なトラブルでもない。
よくある・・こと。
だけど、ご飯もお風呂もどうでもよく、部屋の電気もつけずにベッドに体を預けた。
・・・私はちっぽけな心臓を持った気分屋。
今日のことは飲み込んでしまってさっさとトイレにでも流れれば良い。
とにかく早く忘れよう、そう爽やかな気持ちを心がけた。
そんな心とは真逆に、忘れられないほど目元はグシャグシャになっていた。

翌日、私は会社を体調不良と称して休んだ。
冷静に考えれば広告業務も終わっているので何も問題ない。
だけど、後ろめたい気持ちはあった。
数十秒前に高月さんから、

「最近立て続けに担当していたから、しっかり休んで頂戴」

と折返しの電話で一方的に言われてしまった。
その一言は嬉しかったけど、「前職のあの時」と全く同じで苦々しい記憶が呼び起こされる。ああ、私は7年経っても変わってないのか、と重力が3倍になったように肩を落とした。

お腹が空いたと感じつつも、ベッドから起き上がれずにSNSばかり見ていた。流石に11時を過ぎていたのでのっそりと外に出る準備をする。

そう、こういった日はあのお気に入りのカフェで時間を潰すのに限る。
お買い物に出かけるのも良いかと思ったけど、人混みは疲れる。
今日も適当な服装で妥協した。誰にも会う予定がないから。
そうと決めたら、湿っぽい自分とお別れするために玄関に鍵をかけた。
気持ち良いくらいのちょうど晴れた日だったし、心地よい初夏の風が足取りを軽くしてくれた。

「いらっしゃいませ」

落ち着いた店内に似合った声色の男性店員が、いつも通り迎えてくれる。
人差し指でいつも通り一人だとお知らせすると、いつもの席に歩み寄る。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「え~と・・ソイラテ」
「シナモンフレーバー、ですよね?」
「え?は、はい、それで」

急に心を読まれたかのような展開に、思わず店員さんの顔をチラ見する。
いつもこの人だっけ?という疑問を持ちながらも、常連扱いされていることに小さな幸福感を感じた。
早速スマホをチェックするも、特に新しい通知もなく。
先日からバッグに入れっぱなしだった小説を取り出してみるものの、なんだか読む気にはなれず。

怒ったり、落ち込んだり、喜んだり。
感情が豊かなのは分かっているけど、それは私にとって欠点でしかない。
この感情のゆらぎで、いつも誰かを困らせてしまっているから。
だから、だから・・・私は、私一人でマイペースで生きていれば良いと思ってる。仕事へ熱意を向けることがちょうどよかった。

「彼の旅立ち」を見送ったあの雨の日から、そう決めている。

ついつい、最近の自分のダメダメなところばかり回想していると、
眼の前に用意されたマグカップのシナモンが私の鼻をくすぐる。

と、スマホがかすかに震える。一通のメッセージが届いた。

『鳥居さん、今どちらにいらっしゃいますか?出社されていないと、高月さんから伺いまして』

風間さんだった。
ほどよく仕事のことは忘れていたので、なんだかなぁと残念な気持ちが優位になる。

『本日はお休みで、カフェにいますけど』

素直に返信した。すると、

『そうですか、ちょっとお話したいので、伺ってもよいですか?』

また仕事でトラブったかな、と勘ぐり、早速お店の場所を伝えた。
10分もしないうちに、風間さんはカフェにやってきた。
店内に入るとすぐさまこちらを見つけてきた。

「いやぁ、すいません急に」
「いいですけど、また何かトラブルでも?」
「いえいえ、先日から鳥居さん元気ないなぁと感じていて、お話を聞こうかなと思いましてね」
「そ、そうですか」

せっかくの休日なのに仕事の悩みをわざわざ想起するのは迷惑。私はどちらかと言えば現実逃避したい。

「よろしければ、お悩みを聞かせて下さい」
「はぁ・・あの、実はあまり悩みはなくて・・」
「いえ、最近の鳥居さんはらしくない感じがしてますよ?」

年上のおじさんから真顔でそう言われると、まぁそういう気もしてくる。
ここで明確に拒絶するのが正しいのだろうけど、男性の機嫌を損ねたくない私はここから自分の気持ちを押し殺して会話を伸ばしてしまう。

「そうですね・・最近感情的になってしまうことが多くて」
「なぜですか?心当たりはありませんか」
「え・・と、まぁ・・。ちょっとココのところ案件が多くて納期が短かったからかな、・・うん」
「それは忙しかったですね」

とりあえずの会話をしているのに、風間さんが真剣だからより一層気まずい。私は一人で大丈夫、という事を早く伝えたい。

「でも忙しいのは慣れてますから。前職のほうがもっとハードでした」
「たしか、鳥居さんはご主人を亡くされて・・いますよね」

流石に小声で申し訳無さそうに、私の表情を伺いながら聞いてくる。慣れてはいるけど、積極的に触れたい話題ではない。

「そうです、それが何か?」
「ああ、いえいえ。寂しさが仕事の疲れが取れない原因の一つじゃないかと思ってまして」

その瞬間、再び恐怖感を感じた。
恐らく風間さんは、次の言葉で「私の寂しさを埋めたい」とでも言うつもりだ。たしかに誰かと話たいと寂しく思うことはあるけど、それは男性的な要素ではない。ヤバいという直感が、この状況打破できる的確な言葉を選ぼうとするが、どうも間に合いそうもない。

「よろしければ、今度お食事でもしながら」
「ご注文は、よろしかったでしょうか?」

足音すら聞こえず、風間さんの右斜め後方に店員さんが顔をのぞかせた。

「へ?ああ、そうですね」

慌ててメニュー表を開き、物色している風間さんを横目にし、

「すいません、風間さん、私もう時間なのでここで失礼しますね」
「え?あ・・もうですか?」
「はい、またご機会あれば」

そういって私は無事にこの難局を退避できた。
注文を取りに来た店員さんが、私の支払いを優先してレジまで誘導してくれた。足早に支払いを済ませ、またあの湿っぽい部屋に戻ることにした。

🌱🌱🌱

翌日、一連の出来事を蜂屋さんに相談した。

「それって、結構やばくない?」
「ですよね、あり得ないんですけど」
「風間さんって奥さんと子供いるのに・・・明らかにりいちゃんを狙ってるでしょ」
「蜂屋さん、どうしたらいいんですかぁ~・・」

うなだれた感じで対処法を請う。
単なるお節介の範囲なのかもしれないし、一方的な被害妄想かもしれない。
しかし、会社関係としては非常に有望な協力先なので、その立場も利用されている気がした。

「とりあえず高月社長に相談すべきね。公私の分別をしてもらいたいわね」

ややムスッとした感じで腕組みして私の気持ちを代弁してくれた。
と、タイミングよく高月社長が外回りから帰ってきた。
高月さ~ん、と泣きつこうとした矢先、明らかに表情が硬かった。

「鳥居さん、ちょっとあっちで話いい?一昨日の件を含めて」
「は、はい?」

事務所の奥にある来客用スペースはパーテーションで区切られていて、重要なことは周囲に漏れず会話できる。
バタバタとしながら対面で着席すると、硬い表情のまま私を見つめて会話が始まる。

「あなた、一昨日イタリアンのお店には何時頃に到着したの?」

いきなり厳しい点を突かれる。そう、私はあの時スイーツ店の取材を優先したから、イタリアンのお店には昼の12時半くらいに到着していた。

「あの・・お昼ごろに」
「オーナーの島田さんから電話があったのは9時前よ。すぐに向かうと言いながら、何してたの!?」

これはいわゆるお説教。私が悪い。

「すいませんでした」
「謝るんじゃなくて、理由を教えて」
「・・はい。スイーツ店の取材を優先・・しまして」
「・・そう」

意外にも薄いリアクションだったので、理解してもらえたと思った。
しかし。

「そうやって楽しい予定を優先して、お客様の困りごとを疎かにするんですね、あなたは」
「い、いえ、そんなつもりは」
「そう?あなたの行動は、そう思っているようにしか見えない」
「す、すいません・・」
「文化振興課の稲葉課長さんに対してモノ言ったり、石黒さんの眼前で言い争いしたり・・・気持ちはわかるけど、感情のままに行動するのはどうかと思うよ」

たしかにここ数週間のわたしの行動は褒められたものではない。
そしてあろうことか、全て高月さんに事態の収集をさせてしまっているし。

「ウチの会社の従業員として、もう少し礼儀正しい振る舞いを考えてちょうだい。ここに来て半年以上経っているけど、単なるアルバイトじゃないのよ、あなたは」
「・・・はい」
「それと、もう一つ」

また小言を言われるのかと、顔は下向きのままにした。

「この後、11時にスタイルオブユーの木崎さんが先週のポテンシャル調査結果を報告してくれるそうなんだけど、私は事業活性化委員会の会合に出席するので代わりに応対してほしいの」
「それなら、大丈夫です・・」

元気なさそうに答えた。

「くれぐれも、木崎さんには丁寧に応対しておいて。事業提携の件については私が返答するから、あなたのほうから結論付けないように」
「わかりました」

要件を伝えると、高月さんはそそくさとその場を立ち去り、出張用の準備を始めた。
パーテーションで区切られていたとはいえ、恐らく聞こえていたであろう蜂屋さんは我関せずといった面持ちだった。そりゃ、誰だって不手際のオンパレードでは救いの手を出しにくいと思うだろう。
笹山さんは本日は非稼働日でいない為、より一層重たい空気感だけが事務所にのしかかっていた。

後編に続く

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

第3章後編はコチラ。

本編の序章はコチラ。

#創作大賞2023

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?