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短編小説|縁結びのソイラテ #7終

第5章 崩れ落ちた「私」


厳しい、ってのは知っていたけど、まさかこれほどまでとは。

株式会社スタイルオブユーに転職した私だったけど、たった2ヶ月でそれが間違いだったことに気づいた。
たしかにデザイナーとして評価され、デザイン部の4つある課のうちの1課というエース部署に採用された。
が、新入りの私は先輩たちの雑用に追われる。下積みだというのは理解しているけど、毎晩5時間超過はザラなのに残業手当はない。
出来高制という制度は裁量労働制を改編した制度だった。
何か担当を任されれば給料とは別の「出来高」が発生するのだけど、そもそも先輩たちも生き残りをかけているので、かなり無理をして担当を引き受ける。
そんなサバイバルな環境下において、雑用は全部私に回ってくるので担当を預かる余力など全くない。
・・・そう、先輩の誰かが倒れない限り、仕事は回ってこない。

もちろん、私をここに誘い込んだ木崎には問い詰めた。
しかし彼からの答えはいつも同じだった。

「デザイナーとして生きるのであれば、超えるべき壁ですよ」

と。

当然3ヶ月を過ぎる頃には、私のほうが限界を迎える。
ある日、出社する直前に猛烈な手のかゆみを覚えた。掻きむしり、血が滲むほどに。そして、玄関の前で3分ほど靴を眺めながら涙が溢れるといった奇怪な身体反応に、これはおかしいと気づいた。

当然、その日から出社することを諦めた。


誰にも会わず2日が過ぎた頃、風間さんからメッセージが届く。
あの時は恐怖を感じさせてくれた諦めの悪い不倫男であろうとも、こんな時ほど心に響くことはない。
スマホのメッセージに誘われるがままに、お酒をともにした。

全てを打ち明けた私は、とにかく誰かに優しく抱かれたかった。
神々しいネオンでさえ、受け入れるつもりだった。
風間さんのリードに委ねようとしていた時、6時間ほど前のスマホの通知をおぼろげに開く。

『あのバームクーヘンが復活しました!!』

行きつけのカフェのSNS広告メッセージだった。
酔っ払っていた私はそれを見て無性に甘い物が食べたくなり、カフェに行きたいと風間さんにワガママを言った。
仕方なくタクシーで向かうも、当然のごとく営業時間外。
風間さんに諭され再びタクシーに乗り込んだ時、風間さんが慌てふためく。

「財布がない・・・」

そういうと彼は血相を変え、私にここで待つように言い残しタクシーの運転手を馬車馬のように走らせていった。
これから餌食にされようとしていた女ですら、夜の路上に放置されるのかと、いよいよ終末感が込み上げてきた。

普段から人通りの無い通りだけど、怖さよりも一人で落ち着ける安堵感のほうが強かった。もう夏だと感じさせる夜風は、思いのほか心地良くて。

カフェ店の閉まったシャッターに背中を預け座り込み、数日前に掻きむしった手のひらを優しく撫でた。

「リセット、しすぎちゃったかな・・・」

もはやどうにも戻らない人間関係に嫌気が指した。
そもそも戻したいのかすら、疑う。

私は私らしく生きているのに、なぜこんな状況に陥るのだろうか?

「・・こんな毎日なら・・私も連れて行って欲しかった」

夫を追いかけようと、自らを終わらせようとした4年前のことを思いだす。

やっぱり私には夫が必要だったと後悔したところで、灰になった人は戻ってこない。

誰かにそばにいてほしい、でも、私は私のペースで生きていきたい。

そんな矛盾はとっくの前に気づいていたのに。

浅はかな自分に、がっくりと崩れ落ちた。

「あの~、開店までは12時間近くありますよ」

急過ぎる声にビビりまくってヒィッと小さく叫んだ。
暗い店先でゆっくりとしゃがみこむスニーカーが視界に入る。

「ご気分悪いのですか?動けますか?」

相当ヒドイ私の顔面に恥ずかしさを感じながらも、そっとその人物の顔を見上げる。それは、私の知っているこのカフェの店員さんだった。

「は・・はい。動けます・・・」
「良かった。救急車は~必要なさそうですね」
「す、すいません・・・」
「ちょうど帰るところだったのに、シャッターから物音がしたので驚きました」

そう言われ、私はすぐさま背中を伸ばす。

「歩けます?明るいところまでお連れしましょうか?」
「あ、あの・・ごめんなさい、大丈夫です」
「この通り、酔っぱらいが多く通るのであまり安全な場所じゃないんです」

そういうと、彼は優しく手を差し伸べてくれた。
断りきれない優しさに、つい手を預けてしまう。
キャラに似合わずナンパかと瞬時に疑ってみたものの、そんな間もなくそのまま酔っ払いの私を軽々と立ち上げてくれた。

「気分は悪くないですか?」
「だ、大丈夫です」
「それはよかった。安全な場所まで行きましょう」

自然と手は離していたけど、時折ふらつく私を紳士的に支えてくれた。
リードされているのに、歩く速度は合わせてくれる。
その感覚が凄い嬉しかった。

私は彼を知っているけど、彼は私のことを知っているのか気になった。
ただ、こんな醜態を晒している状況では、盛り上げるべき会話は必要ないと思った。

そんなことを酔った脳内で考えているうちに交通量の多い明るい場所までやってきた。3ヶ月前まで勤めていた事務所から見えた、見慣れた通り。

「・・・あの、もうこの辺で大丈夫ですので」
「あ、大丈夫ですか?じゃっ、どうぞお気をつけて」

そういうと彼はスタスタと背を向けた。

もう少し・・・甘えてもよかった。
もう少し・・・会話してもよかった。
寂しさと悔しさに支配された私の心は、原型を留めないほど崩れていた。

流れ出た涙と短い嗚咽が、再び彼を振り向かせた。

・・・わざとじゃなかった。

でもそれが、私の人生の転機となったの。

ゆっくりと、それでいて深く、紡がれていくようにー。

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

本編の序章はコチラ。

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