恋愛には「終わり」があると思っていた

タイトルの通り、恋愛というものは必ずいつかは終わりが来るものだと思っていた。最初はこの人と結婚する!と思うほど好きで付き合い始めても、だんだんと冷めていって、最後には別れる。そういうものなのだと思っていた。

結婚する人々は冷めないうちに結婚して、結婚してから冷めても離婚する家庭は少ないのかも、とか、冷めるスピードが遅いだけかもしれない、と考えていた。私から見て母も祖母も、父や祖父に恋をしているという感じはしなかった。母に至っては、私が5歳の時に父と離婚している。じゃあなんで結婚したんだよ、と何度思ったか分からない。今では理由を何となく察してはいるけれど、それでも「結婚する前に分からなかったのか?」という思いは残っている。

最近、とあるYoutuberの動画を見始めた。メイクの勉強のためにその人の動画を見ていると、たまに動画内に旦那さんが出てくる。一緒に映る二人は、よくあるカップルチャンネル的なラブラブ感ではなかったが、お互いのことをよく分かり合えているような感じがした。漠然と、こんな関係いいな、と思った。

この二人は結婚しているけれど、恐らくはまだ「恋」の延長線上に立っているのだと思う。家族でもあり恋人でもある。さらにどちらかと言うと、気を許し合った友達のように見えた。私もそんなパートナーと支え合って生きていければなぁ、とI wishする。つまり叶う見込みがあまりないということ。I wish I could have the best partner.

終わりのない恋愛は無いと思うけれど、それは恋愛が「家族愛」に形を変えるだけであって、その奥底にはきっと恋愛がある。祖父が亡くなった時、祖母は「もっと一緒にいたかった」と泣いた。その言葉の中には多分、恋人だった祖父への恋情も含まれていただろう。もっと言えば、恋愛も友愛も家族愛も、等しく「愛」だ。祖母は祖父を愛していた。母もきっと、父を愛していた時があった。

「家族愛」に終わりがあると感じたことはない。それは私が恵まれた家庭で育ったからで、虐待や育児放棄など、家族から愛されることがなかった人はその逆のことを思うだろう。

じゃあ「友情」はどうだろう。絶交という言葉があるから、終わりは勿論ある。けれど、ズッ友なんて言葉が流行ったように、永遠の友情に憧れる人々は多い。私とてその一人だ。生まれた時から一緒にいる幼馴染がいるが、彼との友情が途切れるかもしれない、と感じたことはあまりない。お互いに干渉し合わず、適度に連絡を取り合っているからかもしれない。彼と恋愛関係になる気配は幸い微塵も無いし、この友情はもしかすると、終わりがないかもしれない。

結局、終わるも終わらないもその人次第なのだ。旅人は答えた。「終わりなどは無いさ、終わらせることは出来るけど」まさしくその通りだと思う。だから、いつかは果てが見えそうな感情でも、終わらせないようにすることだって出来る。

まあ、私はそもそも始まってないんだけど。


あるこ


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