ペンライト

スペルノーバ 1


 10月の夜9時。僕は明日締切のレポートを完成させるため、ノートパソコンに張り付いていた。徹夜の必要はないにしても、急がなければならない。が、どうにも眠くなってきた。マグカップにコーヒーを補充しようと、ヘッドホンをはずし、立ち上がった。

 窓の外が何やらうるさい。音楽と、男たちの声。気分を上げようと大音量でメタル音楽を聴いていたから、全然気が付かなかった。いつからそんなに騒々しかったのだろう。
 実家から持ってきたカップにコーヒーを注いで、机に置いた。外の騒音は収まる気配がない。気になってカーテンを開けると、思わず「わっ」と声を出してしまった。

 マンションの3階から見える、少し広い公園。僕は時折、コンビニで買ってきた酒をそこで飲み干し、設置されているゴミ箱に捨てて帰る。自分にとってそんなやさぐれたイメージの公園が、きらきらとカラフルに輝いている。

 眼鏡の度が弱くて何が起こっているのかあまり見えないが、音楽も男たちの声も、その公園から聞こえてきているようだ。

 僕は2000字残っているレポートのことを思い出し、再びノートパソコンに向かった。


 次の日、11時起床。12時半、大学に到着。レポートを印刷して13時の授業開始と同時に提出し、そのまま帰路についた。このレポートさえ出せば単位をもらえる一般教養科目だから、最低限の力だけ出しておけばいい。4時限目と5時限目には必修の授業があったが、出席はしなかった。法学部生は期末テストさえ乗り切ればなんとかなるのだ。

 帰宅して、少し昼寝。起きてまた準備をして、バイトに向かった。客に言われた通りのドリンクを順番に渡して、いつも通りなあなあに済ませた。慣れた作業を頑張る必要はない。バイトには、忙しいふりをして週2程度でしか入っていない。面倒だからだ。

 22時過ぎにバイトが終わり、僕は再び家をめざす。店から自宅マンションに近づくにつれ、ガシャガシャした音が大きくなってきた。

 またあの公園が騒がしい。

 家に帰るにはその公園の前を通らなければいけない。野次馬精神で少し見物してみることにした。厄介事が起きそうならすぐ帰れば良い。

 公園には、20人ほどの男たちが光る棒を音楽に合わせて振り回しながら歓声をあげていた。ペンライトというものだろうか。彼らはテレビで見るような、いわゆる「オタク」たちだった。友達も趣味もない僕には新鮮な光景が広がっていた。
 公園の端にある四角く小高いスペース。男たちの視線の先には、その上で踊る1人の少女がいた。

 男たちの大きな歓声に隠れていて気付くのが遅れたが、少女は歌っていた。小鳥のような高い声で、一生懸命歌っていた。ライトアップされた顔は小さく白く、踊るたび揺れる黒髪は夜の空気を優しく撫でていた。

 20人の男たちの後ろで、僕は彼女に見入ってしまった。夜に溶けきった僕を綺麗にすくい上げてくれたような、そんな気がした。
 数十分して、彼女の「ライブ」は終わった。澄んだ声で「今夜もありがとうございました」と言い残し、すぐに暗闇へと消えていった。

 彼女の強烈な光にくらくらしながら、周りの男たちに彼女は一体何者なのか、と尋ねた。彼らは案外優しく、たくさん教えてくれた。

 彼らによれば、正体はまったく不明。名前、年齢、事務所など、一切のプロフィールが明かされていない。1か月ほど前から不定期にあの公園でライブを行うようになり、そして決まって夜に開催されるらしい。そういえば最近は夏休みで帰省していたり、バイトでやむを得ぬ残業をしたりと、この時間に公園の前を通る日が少なかったし、家ではメタルを聴いていたから、いくら近所とはいえ彼女の存在に気付かなかったのも納得だ。
 ライブ開催告知は常に運営アカウントがSNSで行うのだという。夜限定の野外ライブ、それも住宅街で、という新鮮さから地下アイドルの追っかけの間でひそかに話題になっているらしい。ただ告知が遅いので、ライブに来られる人はどうしても限られるとのことだ。

 さて、名前のない彼女をなんと呼ぶのか。彼らは「星」と呼んでいた。暗い夜に輝く一点の星。非公式の呼称ではあるが、名を明かさない運営側もSNS上で「星のライブ、今日です。」と告知しているのを確認した。フォロワーは352人で、僕が加わったことで353人になった。

 僕はその日から「星」のことで頭がいっぱいになった。告知があれば必ずライブに行った。
 握手や会話などコミュニケーションが取れる機会はない。暗がりの中、彼女からは恐らく僕たちファンの顔も見えていないだろう。覚えてもらえる機会などない。だが、それで良かった。応援さえできれば満足だった。

 僕は初めて何かに熱を持つこととなった。いちばん「星」っぽいかな、と思う黄色のペンライトを買った。




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