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スケジュールを埋めたくなる時

大学受験の浪人時代、友人のひとりがスケジュール手帳をいつも手にして、スケジュールに空きがあると予定で埋めたくなると言っていたのを不意に思い出した。

私は予備校に行っておらず浪人生のくせに日がな家でゴロゴロしていたので予定を埋めたくなる衝動は全く理解できず、忙しいんだねと呑気に受け答えしていた。


それからしばらくして社会人になった時私は、ビジネスマンたるものスケジュール帳が必要だと思い立って大型雑貨店でコンパクトな薄型のタイプを購入し使っていた。システム手帳というルーズリーフタイプのものが流行っていたが、私にはどうも大仰に見えて手を出さなかった。

しかしいつまでたっても私のスケジュール帳は浪人時代の友人のようには埋めることが出来ず、空欄が目立っていた。そこで私はその日に買ったCDを書き込んで見たり、仕事で使った交通費をメモしてみたりしてスケジュール帳を埋めようとしていた。

数年後に発売された電子手帳(シャープのザウルスというPDAだった)に移行してみたが、分厚くて重い割に大して便利ではなく、そのうち使わなくなってしまった。

スケジュール帳も電子手帳も持たなくなった私が困ったかと言えば、全くそんなことはなく、こう言うと暇人のようだが無ければ無いでなんとかなるものだ。

人にはスケジュールを埋めたくなる衝動というのがあるのだろうか。
予定を埋めなきゃと思ってしまうのは、不安や寂しさ、自信の無さからの現実逃避の影響という説もある。
浪人時代の友人はまさしくその渦中だったのかもしれないし、社会人なりたての私が思い立ったのも不安があって自信が無かったからだったのかもしれない。
現実から逃れるために現実の予定を多く入れるとは皮肉なものだ。

不安や寂しさから逃れる方法は様々だと思うが、自信が無いことに起因しているのだとすれば、自信が持てれば良いということになる。
自信の有る無しは、案外、人の評価によるものだったりして、自己承認欲求なんかとも関連してそうだ。

自分がやったことが人に評価されることで自分の価値を確認し、それが自信に繋がって不安が解消される。逆に、自分がやったことが否定されることで自信を失い、不安に苛まれる。

自分を信じられるかどうかと他人の評価は関係なさそうに思えるが、「自分の心」が周囲との関係性の中で形成されるという観点で考えれば、他人の評価が重要となって当然だ。
別に誰にも評価されなくてもいいと拗ねている人がいたとしても、評価されることで変わるはずだ。

他人の評価をSNSに置き換えれば、「いいね」が押されるかどうかだ。
多くの人がSNS上での「いいね」を求めるのは、寂しさや不安の裏返しなのかもしれない。


ちなみに最近の私といえば、記憶力の限界をとうに超えたため、会社で利用しているグループウェアでスケジュール管理をしていて、これが大助かりだ。
 ダブルブッキングに注意しなければならないほどにはスケジュールが入るようになったが、お陰様でスケジュールを埋めることに執着せずに済んではいる。

おわり

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