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あなたは結婚したい? という質問が見当違いなワケ

 未婚の友達同士で結婚やその後の子育てなどについて話題にするのはタブーだと言う。それは友達同士だけではなく、恋人同士であっても持ち出しにくい話題のようだ。それは何故だろうか。
 価値観の決めつけは良くないという論法が主流のような気がするが、それだけでも無い気がする。

 恋人同士になる、つまりお付き合いをするにも告白と同意という手順が重んじられる。手続なしに付き合いを続けていると、どんなに親密になっても「私たちって付き合ってるの?」という疑問が生じるらしい。
 結婚前の性交渉など有り得ないという時代で、結婚前提の交際しか無かったような頃は逆に分かりやすかったのかもしれないが、今では寝たからと言って恋人とは言えないからややこしい。

 友達と恋人との境界線が手続次第というのは考えてみればおかしなことだ。昨日までは友人でしか無かった二人が、手続を経た途端に恋人になる。実態としてはそんなの形式的なものに過ぎないとも言えるのだろうが、二人の間では結構重要だったりするらしい。

 お付き合い手続のおかしなところはそれだけではない。恋人の定義の問題がある。恋人という関係性が手続次第ということは、極端に言えばそれ以外の要件は無関係ということになる。その時の心情は別として、手続さえすれば恋人で、手続を踏んでいなければ恋人認定されない。手続が無いと、相手が本当に自分の恋人なのか分からなくなるとしたら問題は深い。だから、付き合って下さい、の一言は重い。
 それもこれも、私たちの社会が未だ自由恋愛に不慣れなせいだ。

 同意の手続の事を一般的には契約と呼ぶ。結婚だって契約のひとつ。
 恋人になる為に契約が必要ということは、感情が置き去りにされていることでもある。もちろん当事者にとっては、感情ありきの契約だ、となるのだろうが、ふたりの間で温度感が同じかどうかは分からない。

 結婚して夫婦になると熱が冷めたり恋人から同志のように関係性が変わったりする事がある。これは、結婚が永遠の恋人であることの証としての契約ではなく、社会的なレーベルとして機能しているから。つまり結婚はある種の記号であって、社会的には愛とか恋とかとは関係ない。
 記号だからこそ人はそれにこだわる。
 あえてその話題を避けて通るのも、こだわりがある証拠だ。
 
 契約ごととは離れ、感情や心情に寄り添った人間関係として関係性を深めるのがある種の理想だろうと思っている。形式的なことはあくまで後付けで、それを目的にするのは本来的にはおかしいと思うのだ。
 恋人や結婚は目的にすべきことではなく、そうなった時の状態を表している。その意味では、あなたは結婚したい? という質問自体が見当違いということか。

おわり

 

 

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