見出し画像

全ては経営者の責任?

 日本企業の生産性が上がらないのは、何をおいても経営者のせいだ。最終責任が経営者にあるからというだけではない。合理的な判断が出来る経営者が極めて少ないのだ。

 合理的な判断をするためには客観的な事実の把握が必須だが、日本の経営者の多くは客観的事実よりも、人間関係にしか目が向いていない。
 どうしてそうなるかと言えば、人の入れ替えが出来ない労働制度だからだ。やめさせたくとも首に出来ないのだから、内部調和が何よりも大切ということになる。
 これはもはや経営者の力の及ぶところではない。その通りだ。だから、経営者だけに合理的な判断を求めるのは酷な話だろう。

 経営上の重要な事項に対し、自分の提案を聞き入れてくれないと不平を言い出す従業員がいる。会社はもっとこうあるべきだと大口を叩く社員がいる。もちろん建設的な意見は誰にでも言う権利があるし、経営者も耳を傾けて然るべきだ。しかし、この会社はおかしいと文句を言う人は、個人的なメリットのことしか頭に無い場合が多い。俺の境遇を改善しろ、と。そんな社員は大抵仕事が出来ない。自分だけが楽をして稼ぎたいだけだ。
 傍から見ていて、だったら辞めればいいのにと思うが、辞めさせられないことを良いことに甘えている。

 日本では、会社の収益に貢献できない社員を、その理由だけで解雇することは出来ない。これでは経営者は合理的な判断など出来るはずもない。
 だからといって、自身以外のせいには出来ない。全ては経営者のせいになるのだ。

 つまり、生産性を上げようにも日本は構造的に詰んでいる。だからこそ、労働市場の流動性が重要となる。でも労働力に市場性を持たせれば、殆どの人が仕事を得られなくなるか、応募が少ないが故に仕方なく仕事が出来ない社員を雇わざるを得ない状況になる。これもまた詰みだ。

 正社員になりさえすれば安心が獲得出来るという社会は、これからは成り立たない。全員が活躍出来なければ社会は回らなくなる。一部の非正規雇用に押し付けておけば済む問題ではない。勝ち組だ負け組だと言っている場合ではない。このまま行けば、全員が負け組になる。それが世界だ。そんな世界だ。

 全て経営者のせいだと言うのは確かに正しい。ただしそれは、一つの企業においてはという条件付きだ。一人の経営者が社会全体に対して責任を負う立場であるはずもなく、もしあなたが不遇なら、そしてあなたの将来が不遇なら、それはあなたにも責任がある。自己責任というのとは違う。一人一人がその人自身に対してだけでなく、社会に対して責任を負っていると早く気付いた方が良い。誰かのせいにして済んだのは、単にこれまでの日本が恵まれていたからだ。

 過去の延長線上に未来がある、それほど悪いことは起こるはずもない。人はそう思いがちだ。直ぐに都合よく解釈してしまう。でも余裕が無くなった時では遅い。そうなる未来に比べれば現在はまだ大分余裕があると言える状況だ。後になってから時間を無駄にしたと思わない為に、今始めた方が良い。社会に対して責任を果たす行動を。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?