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拳は決意のためにある

 何も特別な事を言おうとするのではない。人間であれば当たり前だった筈のことが当たり前でなくなっている。それに多くの人は気が付いていないか、見て見ぬ振りをしている。

 例えばコンビニで買い物をする時、あなたは店員の顔を見るだろうか。レジにいる店員の目を見て話をしているだろうか。店員はあなたの目を見て心からありがとうと言っているだろうか。

 例えばクレーマーが店員のあなたに言いがかりをつける時、その人はあなたが同じ一人の人間であると分かっているだろうか。どうしてくれるんだとあなたに詰め寄る時、その人がどんな困りごとに遭遇しているのかあなたは考えることがあるだろうか。
 こんな時はこうしましょうと予め決められたシナリオ通りにセリフを言う以外にあなたがしていることはあるだろうか。心を閉ざして思ってもいないセリフを吐いてはいないだろうか。

 不器用と言うべきだろうか、私たちはなるべく人と関わらない様に生きるようになった。親しげに話していても、相手の思いに真剣に耳を傾けるなんてことはない。ただ小気味よく、テンポを遮らない程度に相槌を打つだけだ。話の内容など最初から興味はない。自分の事を理解してもらいたい一心だ。

 僅か15cmの壁の向こうに居るはずの隣の部屋の家族連れは、引越しの日に遭って以来、見たことが無い。そんなことは無いだろうか。
 毎朝バス停で見掛けるあのサラリーマン風の男性がどんな人でどこまで通っているのか気になることもない。そんな生活を送っていないだろうか。
 逆にどんなに近くの人でも余計な詮索はされたく無いと思っていないだろうか。

 当たり障りのない会話や愚痴の言い合いは出来ても、明日の日本がどうしたらもっと良くなるかについては徹底して│他人事《ひとごと》を貫く。
 多くの人がコミニュケーションの仕方を忘れてしまったかのようだ。

 そんな人ばかりでない事は分かっている。心根の優しい人は沢山いるし、別け隔てなく思いやりを持って接する事のできる人は多い。強い正義感と勇気を兼ね備えた立派な人もいる。
 しかし、この場でこんな事を書き連ねている私こそが、日本の未来を憂いている様な振りをしている私こそが一番の意気地なしであることを私は知っている。自分に言い訳をして誤魔化すことに慣れ切って、手を差し伸べることを思いつきもしないズルい人間だ。究極の利己主義に彩られた小さくて醜い人間だ。

 与えられていないのだから与えるものなど無いと開き直って、人を攻撃することしか能が無い。優しさの仮面の下には冷徹な鎧を纏って、持ち切れないほどの武器を携えている。
 ああ、どうしてこれほどまでに無情で愚かな存在でいられるのか。

 こんな私だからこそきっと分かるのだろう。自分と同類の人間が溢れ返らんとしていることを。人を人とも思えない人でなしが黒く覆い尽くさんとしていることを。
 誰の心の中にでもある暗闇に囁きかけて引き摺り込み、足蹴にして踏み越える。そうすることでしか活路を見出だせない卑しさは、いつか自らの重力に逆らえずに埋没していくことだろう。
 それが世界の平和とは無縁であることは分かりきった事だ。

 光を放って翼を開け。
 暗闇に必要なのは灯火だ。道を照らし行く手を指し示す明かりを灯せ。
 目を見合って心を開いて、手を取り合って歩むのに根拠や理由は必要ない。
 口は心を穿つ言葉を吐くためにある。
 耳は悩める心を聴き入れるためにある。
 脚は強く踏み出すためにある。
 拳は決意のためにある。

おわり

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