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言葉と文字

 あなたは考える時にどうやって考えるだろうか。 頭の中でイメージを浮かべるタイプだろうか。それとも言葉を浮かべるタイプだろうか。
 多くの人は何かを考えるときに言葉を使うだろう。頭の中で喋りながら、あるいは言葉を口にしながら思考を紡ぐだろう。
 しかし中には頭の中に浮かぶ何らかのイメージを使って考えることができる人もいる。言葉の論理以外にも思考の道具として使えるものがあるということだ。例えば囲碁や将棋のプロ棋士がそうだ。数学者や物理学者など理系の学者も多くの人がイメージでの思考をしている(と私は想像している)。

 その一方で文字は論理を表現するのみではなくイメージを表現することも出来る。俳句がそうだし、擬音語や流行り言葉のように目には見えない感情を表現することが出来るものもある。小説のように非常に多くの言葉を並べることで作られる空想上の物語が成立するのも、言葉にイメージ想起の機能があるからだ。

 考えてみると、文字のこのような使い方は非常に高度でありながらも日常に溢れていて、言葉が単なる情報伝達手段、情報保存手段とだけ思っていると見誤ることになりそうだ。文字は言葉として連なることで、文字そのものの意味が持つ意味以上の情報を伝えることが出来るようになる。

 さて、言葉や文字は人対人のインターフェイスとして感情を含めた情報の伝達に欠かせないものとなっている。しかし言葉と文字は厳密には違ったものだ。言葉は口頭で発せられるものと記述されるものがあるのに対して文字は記述に用いられる。
 つまり言葉と文字はインターフェイスのレイヤーが異なっているとともに、次元が異なっているとも言える。
 私達が喋るとき、言葉を発するが文字は発しない。相手が発した言葉(音)は私の頭の中で言葉(音)として巡るが、頭の中に文字は生じない。言葉(音)は頭の中を伝わるうちに言葉ようのものに変化する。つまり言葉の中間体のようなものになる。具体的には脳細胞の何らかの状態変化になる(最初は電気的な変化、次に繋がり方の変化だろうか)。

 文字は、頭の中の言葉様のものを音以外の形態でアウトプットするときに登場する記号的絵図のことだ。アウトプットされた文字は視覚を通じて再び言葉様のものとして脳内にインプットされる。
 こうして言葉様のものが文字を介して出入りする際に、頭の中でまさしく言葉が「聞こえる」気がするのは、言葉が聞こえた時の脳の状態こそが言葉様のものに他ならないからだ。
 自分が紙に記述した文字を読み返す時、脳と紙の間には相互作用が起こる。その相互作用はフィードバックと言われる。それが繰り返されることで起こる思考は、脳の拡張形態とも言えるだろう。つまり文字は私達の脳からはみ出た思考過程の一部であり、グロテスクな側面を元々兼ね備えているのだ。

 だからこそ昔の人は口語体と文語体を使い分けたのかも知れない。文字は便利な道具である反面で、言葉とは違ってあからさま過ぎる面が切っても切り離せないのだろう。もしかしたら、文字の持つそうした内面的な表れの性質が故に、文字はイメージや感情を表現することが出来るのだろう。

おわり


 最近話題のAIで御存知の通り、人はより一層文字に頼った方向に行こうとしている。 そんな世の中で案外重要なのは、感性や雰囲気といった人間の心に響くような表現方法なのではないだろうか。

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