見出し画像

欲と意欲

 敢えて善悪で分類するなら、欲が悪で意欲が善だろうか。

 欲という言葉を聞いてその意味が理解できない人はいないだろう。誰しも欲を持っている証だ。何故なら欲は生存するために必要なものだからだ。どんな生物でも生存に必要な行動を取ろうとする。
 それなのにどうして欲は悪に分類されるのか。

 人間は紛れもなく動物の一種だ。そして人間は、動物と人間は何が違うのかと考えてしまうような動物だ。
 動物と人間の違いを見出そうとする時、動物にはなくて人間にあるものに着目するだろう。当然見かけが違うが、人間はそれ以上に脳の違いを意識した。脳の機能のうちでも特に、理性と呼ばれるものを。

 脳の機能の一部である理性は、欲を司る脳よりも後に出来た脳によって作られている。脳は大きくなることで神経細胞のネットワークが複雑化し、世界を抽象的に捉える事が出来るようになった。
 理性が欲をコントロールするという構図は、そんな脳だからこそ実現出来た。

 欲をコントロールするとは、本能のままに欲に従うのではなく、その時々で適切な欲を発動するということだ。しかも時間軸を意識し将来のある点を見据えて欲をそこへ向ける事が出来る。本能的な欲はその瞬間に満たされる事を要求するものであるのに対し、人は理性によって時間的に隔たりのある地点で満たされる欲を開発した。それが意欲だ。

 意欲的な思考は欲求とも呼ばれる。本能的な欲は生理的欲求に分類され、それが満たされると安全や社会的な欲求へと通ずると言われる。その先にはさらに承認欲求や自己実現欲求があるという。そうした欲求は理性の複雑さが導く結果である。

 欲の発動は、それがないと生きていけないという事によって生じるもので、意欲や欲求も広い意味では同じだ。住むところも食べるものも満たされていても心の虚無が人をしに至らしめることは普通にある。

 もっとも、理性がまやかしであるのと同じくらい意欲も欲求もまやかしだ。人の脳が抱く幻想だ。それは脳細胞のネットワークが複雑になると構造的に浮かび上がってくる幻想で、脳の中を巡る電気信号のループや自己参照クラスのようなものだ。

 さっき食べたばかりなのにまた食べたくなるという類の欲求は本能的なものではない。満たされフラグがバグっているか、条件分岐がバグっていてループから抜けられないだけ。
 バグる理由は様々だが、あらゆる化学物質を口にする人間の場合、快楽物質による強化が生じる場合がある。何も麻薬を持ち出すまでもなく、砂糖やアルコール、ニコチンによって私たちの欲求プログラムは改変されてしまっている。

 理性支配の結果沸き起こる意欲によって動物的で悪なる欲から逃れたはずの人間は、化学的あるいは文化的に改変されたプログラムによって暴走しやすくなっているのだ。
 つまり今となっては欲も意欲も悪の道に堕ちてしまったということか。

おわり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?