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顔が見えない

 登校せずにリモート授業が行われ、学生同士の対面での交流が少なくなったこの3年間が経ち、今年は過去に行われていた学生生活を伝えられる先輩がいない世代になる。
 先輩学生にしても、昨年辺りから学内での授業が始まったものの、対面で会うようになってもマスクで顔の半分が見えない状態が長く続き、生でお互いの顔を見る機会が極端に減った。

 マスクなどで顔に隠された部分があると、人は勝手に想像して欠けている情報を補う。補われる情報は見る側の人にとって良い方向にズレているため、マスクをしていた方が美男・美女に見えることになる。
 スキーやスノボに興じる人々が通常以上に良い顔に見えるのも同じ理由だ。
 マスク付きで見えている(良い)顔は、当然ながら実際よりも良い人という印象を持たれることになる。顔だけではなく他人に与える人柄の印象にも影響するということだ。
 初対面の人と会う場合、先に写真などでマスク無しの顔を見ていると、まずその状態での人柄印象が記憶に残る。その後に実際にお会いすると良い方向に上方修正されようとすることになる。しかしこれがなかなか難しい。一度少しでも悪い印象を抱いてしまうと、目の前にいる(良い)人の顔は素直に良くは見えなくなるからだ。
 だから履歴書に添付されたマスク無しの顔写真と、目の前にいるマスク付きの顔写真を見比べた時の違和感は、なかなか修正出来ない。
 話を続けるうちに、だんだんと目の前の(良い)顔に慣れてきて、抱く人柄も良い方向に軌道修正されていく。そうすると今度は、写真のお顔が目の前の当人と同一人物とは思えなくなっていってしまい、結局のところ良い人なのかそうでないのか分からなくなって来てしまう。

 マスク生活が長く続くと目から入る顔情報はあまり信用できないものになってしまうだろう。さらにその状況が継続することで、マスクの有無に関わらず「顔」の持つ情報は疑いの目を以て見られるようになっていく。

 これまで私たちは相手の顔を見ることで円滑なコミュニケーションを行って来た。声だけや文字だけのコミュニケーションが必ずしも交流のための情報を正確に伝えられないものであると理解してきた。
 しかし今や私たちは無意識のうちに顔情報を信頼出来なくなってしまっており、顔を会わせて交流をしたところで、そのコミュニケーションは極めて希薄になってしまった。
 特に成長過程をそうやって過ごした学生の場合は、眼の前で喋っていても、まるでメッセンジャーアプリのように文字のやり取りをしているようなコミュニケーションを行うようになった。それは、横から見ると厚みのない薄っぺらいものになりがちだ。
 そんな学生たちが面接で志望動機を語っていても、どこか顔が見えない印象が拭えないまま、掴みどころが無いままなのは私だけだろうか。

おわり

 


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