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スマートではない日本のDX

 親の病気の関係で週末に急遽帰省が必要になって、仕事でも使ったことのあるスマートEXで新幹線予約をしようとした。しばらく使っていない間に登録したクレジットカードが期限切れになっていたりパスワードを忘れてしまっていたりでなかなか手間取った。まぁそこまでは私のせいなので別に良い。

 いざ予約をしようとすると、選択できる駅が全て新幹線の駅になっていて、私の家の最寄り駅が無い。普通に切符で買う場合は特定都区市内の乗車券割引が使えるが、スマートEXでは使えないらしい。うむ。その代わりに少しだけ安くなっているのか。うむ。でも新幹線駅までの乗車券がスマートEXの割引(200円)以内とは限らない。スマートEXの方が高くなる場合があると確かに注意書きがある。うむ。

 何がスマートではないかというと、切符を予約する段階で、どういう選択をするのが一番得で便利なのかを利用者がスマートに選択することを強いられる点だ。
 運賃としてはスマートEXを使った方が得なのかそうでないのか、紙の切符を買いに行くとしたらいつ行けるか、それを子供たちにどう渡すか。やっぱりタッチするだけで乗れる方が便利じゃないか。という具合に、私の頭の中に複数の天秤が出現する。その最適解を瞬時にはじき出すスマートさが求められる。うむ。

 もう一つ謎なのが、スマートEXを利用する際に改札機から出てくる紙だ。これスマートか? と思うのは私だけだろうか。しかも、あれを実現するためにどれだけの時間とコストが投入されているか。
 特定都区市内割引にしても改札機から紙が出てくることにしても、開発段階で反対者は絶対にいたはずだ。そんなのスマートじゃないでしょと。それでも延べ何十人何百人の会議を経て決まったのはスマートで無い方。画期的な法案が施行段階では骨抜きになっているのと同じ構図だ。利権の絡み合いや責任のなすりつけ合いが垣間見える。

 システム開発の技術が進歩してデバイスが進化しても、人の行動原理や組織の構造、利権を守ろうとする思惑等が変わらない限り良いものは出来ない。プロトタイプは良いものでも製品化される過程でスポイルされてしまう。
 だからトランスフォームしなければならないのはデジタルではなく人の方だ。そして、デジタルだけでは仕事やサービスをトランスフォームすることは出来ない。

 デジタルに置き換えるには、既存のアナログをどうデジタルで実現するかという発想では駄目で、私たちの行動原理をデジタルに馴染みやすいものに変えていく必要がある。
 決めてからでないと動かないのではなく、決めながら動くというアジャイルな手法が期待されつつも世間一般にそれほど浸透していないのは、それを拒む勢力があるからだ。
 スマートなデジタル化を進めるにはゼロベースで構築する必要がある。それが出来ない社会の仕組みや組織構造、社会の力関係を含めてゼロベースで作り直す必要がある。

 でも、そうなると、そんなことの責任を誰が取るんだとなって、私たちは袋小路に突き当たる。
 そうやって、スマートではない日本のDXが出来上がる。

おわり

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