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感情の再評価 - reappraisal

 感情と理性、どちらも脳の機能だ。
 感情を司る扁桃体へんとうたい、理性を司る前頭前野ぜんとうぜんや。動物的なものとそれをコントロールしようとするヒト的なもの。私達の脳の中ではこれら2つの闘いが繰り広げられている。

 前頭前野の発達はヒトに特徴的なもので、ヒトをヒトたらしめるものと言われている。
 前頭前野の発達により、感情をコントロールし、考え、記憶し、判断しながら、発明発見を行うことが出来るようになったヒトは世界を征服した(つもりになっている)。
 しかし完全征服することを目指した場合、敵は外では無く内にいるものだ。

 人間の脳にとって、つまりヒトにとっての敵は感情だ。人間がヒトである以前に動物であることの証左であるが、これが前頭前野の活動の邪魔をする。
 感情は建物で言えば火災報知器みたいなものだ。警戒しなければいけないことや直ぐに対処しなければいけないことが発生した時に警報を鳴らす。
 しかしこの報知器、時代物なので現代の基準から少々ずれてしまっている。だからそこに天敵などいないのに、錯覚して天敵がいるのと同じくらいの感情的反応をしてしまうことがある。
 不安や恐怖、怒りといったような負の感情は、危険な場所を察知して近づかないようにすることや、近づけないようにすることを誘引するための脳の機能だ。そうやって生き長らえてきた。
 大昔は本当に危険な場所でしかアラートを出さなかったこの機能が、今では色んなことをキッカケに発報するようになっている。これには記憶が関与しているのではないだろうか。過去の悪い記憶を覚えているのは野生動物やペットでも同じだが、ヒトの場合はもっと複雑な記憶を持っていて、思考がそれをより複雑にしている。犬猫に比べればかなり昔のことまで覚えられる記憶力もある。

 嫌なことが起こりそうな予感の大半は思い過ごしなのに、人は頭の中で勝手に不安を増幅してしまう。
 不安が言葉となって思考を巡り、そのことがまた不安をあおる。その繰り返しで増幅されていく。
 ヒトがヒトたる機能そのもののが感情という野生のアラートと融合することで、不安の元を実物以上に肥大化させてのしかかってくる。

 感情も理性も同じ脳内で起きている化学反応の一種で、同じ刺激が繰り返されることで反応回路が強化されていく。その意味でも不安が不安を呼ぶことになる。
 しかし逆に、訓練をすれば理性によって感情をコントロールすることができる。感情という化学反応が生じたときに、理性という化学反応を自ら引き起こすことで感情から伝わってこようとしている反応の流れをさえぎることが出来る。
 精神医学では再評価というらしい。
 き起こってくる感情を頭の中で言葉を用いて解説することを通してコントロールを理性に引き戻すのだ。いま自分はこう感じてる、というように感情の状態を言葉に変換することで感情を客観視出来る。すると次に考えるべきは、どうしてそういう感情になったのかだ。その結果自分はどういう行動を取ったか。

 もちろん、急に感情が湧き上がった時にそんな冷静でいられないのが現実だろう。だから、どのタイミングでもいい、どこかで立ち止まって制御を取り戻すと良い。
 例えば怒りに任せて手元にあった本を床に投げつけたとしたら、怒りが爆発する前に立ち止まるのが理想的だが、本に手を伸ばしたタイミングでも良いし、最悪は投げつけた後でも良い。
 立ち止まって感情を言語化し、その後の行為を言語化することで、状態を感情から理性の方へ、化学反応を扁桃体から前頭前野に移行させる訓練をする。そうすることで、次第に立ち止まるのが上手になってくるという。

 そのためには、何かキーワードを用意しておくと良い。
「再評価」という言葉がしっくしこないのであれば、「ストップ!」でも良いし、「ちょっとちょっと!」でも良い。自分の中で理性を取り戻すシグナルをきっかけにして立ち止まる癖をつけるのだ。
 
 私も今日から再評価を心がけてヒトとしての人生を楽しみたい。

おわり

▼参考▼ 


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