検索は便利か
何かを調べようとするとき、たいていの場合、検索窓に何かを書き込むことからはじまる。
自分の正しい検索ワードの選択によって、一発で知りたい情報が示された時には、何となく誇らしくなったりする。
数多ある情報の中からどんな優先順位で選ばれているのか知らないが、検索結果の中に欲しい情報があると信じて次から次へと次ページを見ていくこともある。
やがて期待していたものに遭遇出来れば調査終了だ。
今では、調べることと検索することは、ほぼ同義と言えるだろう。
では、特に調べたいことがない場合はどうやって検索すれば良いか。
調べたいことがないのなら、検索は不要なのは当たり前だ。
では、少し方向性を変えてみる。
今まで誰も知らなかった情報を調べようという場合はどうやって検索すれば良いか。「誰も知らない情報」とでも入力するのだろうか。
Googleさんの答えはこうだ。
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物事には関連性がある。
関連性を手掛かりにすることでデータの検索が成り立つ。
他方、新たな発明や発見は、一見関連性が無いもの同士に新たな関連性を見出すことによって起きるという。違ったものの組み合わせが予想外に上手くいったとき、発明が浮かび上がる可能性があるということだ。例えばアボカド醤油みたいに。
では、これまで誰も関連性を見出していなかったもの同士の関連性は、どうしたら検索できるか。
答えはネガティブだ。発明は検索出来ない。
新たな発明は検索結果のページをいくらめくっていっても現れない。
何を当たり前のことを、と思うだろう。だけど、社会には解決しなければならないことが沢山あって、解法がどこにも書かれていないことも多い。正答が用意されている問題などは実践ではあまりお目に掛かれないものだ。つまり世の中は実は小さな発明の集合体でもあるということだ。
だから、例えば面接の想定問答集や事前のシナリオ構築はまず役立たない。面接はあなたの周辺知識やあなたの見識をひけらかす場ではなくて、あなたと面接官の間で生じるコミュニケーションによって生み出されるケミストリーが必要だからだ。その場の化学反応によって新たな発見が感動を生み出したとき、面接官の心が動くのだ。
あるいは、検索によって調べた結果を羅列して纏めても腰の抜けた不毛なレポートしか出来ないのは、それが単なる検索結果の寄せ集めに過ぎないからだ。それは、いわば既に誰かが知っている知識でしかなく、むしろ雑多な情報の詰め合わせは幕の内弁当のように無味乾燥なだけだ。
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どうせ同じ時間を掛けるなら、その辺に転がっている知識を寄せ集めるのではなく、知恵を磨きたいものだ。
知恵は受け継がれるものでもあるけれど、新たな知恵はあなた自身が、あなたの頭脳で、あるいはあなたの直観によって造り出すものだ。日々の実践的問題を解決して行く上で欠かせないものだ。
では、知恵を磨こうと思い立った時、果たして検索は便利だろうか。
この中に答えがあるだろうか。
おわり
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