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世界の同調圧力

野菜が高くなると、曲がったキュウリでも味は変わらないのだから別にいいじゃないかという話が持ち上がる。
同じ長さ同じ太さでサイズが揃えられて整然と店先に並べられている横で、ひん曲がったキュウリがどこか居づらそうに置かれている。
キュウリにまで同調圧力が働いている。

暗黙のうちに強いられる社会の空気とでも言えばよいだろうか。
人間は同調圧力を作る生き物だ。

同調圧力の源は言葉の発生と繋がっている。
だから同調圧力は日本に限ったことではない。

言葉は共通の特徴を持つものをひとくくりにして記号化する仕組みだ。同じようなものや事は纏めて一つの概念として扱われる。
コップと言えば実際はじつに様々なコップが世の中にあるが、それら全てを引っくるめてコップという言葉に押し込めてしまう。
こんな芸当ができる生き物は私が知る限り人間だけで、この事によって人は知性を手に入れた。

まとめて一つにするという行いは、ものに限らない。主義や主張といったものも言葉にされる。民主主義という主義だってそうだ。民主主義と一口に言ってもいろいろな要素があるのだが、民主主義と言った途端になにか一つの同じ考え方のように錯覚してしまう。

同じような事を同じにしてしまう事が言葉では行われているということだ。これはある種の同調圧力だ。

例えば、民主主義と社会主義。キリスト教的世界観とイスラム教的世界観。
こういった対比される概念同士は、言葉を並べてみるとくっきりハッキリ分断しているように見えるが、実際の境界線は曖昧で両者はシームレスに繋がっているものだろう。
でも、命名した途端に断絶の壁が姿を表す。
対立が明白になる。
そして、どちらかの陣営に立つことを強いられる。

戦後の日本はアメリカ的世界観の元で発展してきた。それは西欧的世界観の亜種みたいなものだ。黒船と一緒に訪れた西欧的世界観は、近代日本の主流となる世界観となった。
鎖国によって守り通してきた日本的世界観は『古いもの』とされ、新しくて洗練された西欧を取り入れることでより近代的に、そして豊かになると期待された。
西欧的価値観は戦後加速して80年弱が経ち、今ではすっかりアメリカ的世界観に毒されてしまった。

我々の幸福感や仕事感、生活感は江戸時代のものとはかなり違うだろう。いまを生きる私達は今の世界感をあまり疑う機会がないけれど、果たして江戸時代は今よりも劣っていたと言えるのだろうか。
当時より日本が発展したと思っているとしたら、今の方が江戸時代より優れていると暗に認めているということだろう。
でも、いま私達が抱いている世界観は、本当に我々を幸せにしてくれるものだろうか。

西欧諸国の世界侵略は、西欧の世界観を世界中に広め、強要することで成り立っていた。強要するための道具として武力が用いられた。
それまで世界各地にあったそれぞれの価値観に対し、西欧の価値観の押し付ける侵略および植民地化という行為は、同調圧力そのものだ。
日本で言われる同調圧力が見えにくいのに対し、西欧の同調圧力は脅迫的強要的だ。
それは征服とも言われる。

私達が目にしている世界西欧諸国はグローバリズム、グローバリゼーションという名の元で、西欧的な価値観への同調圧力を強めている。
アフリカ、中東、アジアには、西欧的価値観に対峙しようという国々があるにはあるが、西欧主義の中では敵対視されていて、恐らく日本人の大半が西欧的考えに同調的だろう。
アメリカ大統領を強烈に非難する中東諸国の人々を見ると、皆テロリストに見えたとしたら、あなたも毒されていると思って良い。彼らの中にテロリストがいるかも知れないが、彼ら全てがテロリストなのではない。
彼らがテロリストだと言うのであれば、逆にあちらから見れば私達全員がテロリストに見えるはずだ。

武力によらない世界侵略が目される中、日本がアジアの一員としてどう考え、どう振る舞い、そして、自らが持っていたはずの『古い』価値観を見直して、現代流の新たな価値観として生まれ変わらせることが出来るか。
より自由な発想で自由な価値観を見出して、皆がより幸せになれる生き方や考え方を追究していけるような社会の実現を目指すには、案外日本は良い立地なのではないだろうか。

日本人としての自覚が問われている気がする。

おわり

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