noteの人が開催したeスポーツ大会は、ただのeスポーツの大会ではなかった
一夜の夢の宴は興奮の中で終わった。
しかしそれは序章の始まりだった。
これは2021年7月14日(水)の夜、東京オリンピックを目前に控えた日本の片隅で開催された Apex Legends note creator's cup というeスポーツ大会の話だ。
大会関係者でもなく参加者でもない私は、勝手に一人応援団気取りでPCの前に陣取り、呑みながらダラダラ観戦したつもりだったが、興奮状態からか就寝前に測定した血圧は上がっており、ベッドに入っても寝付けなかった。眠りが浅かったせいだろうか朝の目覚めもスッキリしなかった。
興奮の理由は、翌日の通勤電車の中で読んだ、参加者のひとりであるたなか氏が書いた終了後の記事で判明した。
私は彼らの情熱の熱気にうなされていたのだ。
この大会は既報の通り、大会開催経験のないただのeスポーツファンに過ぎない個人が、個人的に発想したことに端を発して、賛同者の協力のもと自力で開催に漕ぎ着けたものだ。
しかし私は完全に見誤っていた。
開催者であるHYS(ひす)さんの想いと力量を。
そこで繰り広げられたのは単なるeスポーツの大会などでは無かった。
参加者たちに自然とモチベーションを与え、知らないうちに自主的な行動を促すような、情熱という熱気に満ちた青春の祭りだったのだ。
そこにあったのは静かなる熱狂とでも言うべき、心の底からフツフツと湧き上がってくる制御できない感情だったのだ。
いわば今まで目にしたことも無い、救済の社会実験に似た何かだったのだ。
noteとは何か
前夜祭でも本編でも、HYSさんの口から繰り返し語られたのはSNSとしてのnoteの特殊性だ。ブログでもtwitterでもなく、FacebookやInstagramでもYoutubeでもないnoteの独自性。
私が思うに、他のSNSプラットフォームが外向きに発信する力と影響力、拡散力を持つのに対して、noteは内向的内省的で、twitterより長い長い文章を書けるにも関わらずtwitterよりも独り言に近い感覚を持ち得る。
広く多くの人に語りかけるのではなく、たまたま通り掛かった誰かが、たまたま目に留めて、時折頷いてくれるという以上は求めない雰囲気だ。
例えれば、街頭演説ではなくて、自分が細々と綴ってきた詩集を手に街角に佇む感じと言えば分かるだろうか。
使い方は自由で自在だが、バズらないことを良しとする。
これがnoteに対する私の印象だ。
大会の趣旨
最初に掲げられていた大会の趣旨を振り返って見よう。
それは2021年5月25日のこのnoteから始まった。
ここにはちゃんと、こう記されている。
【大会を開催する背景】
なぜ大会なのか。どんなことをやりたいか。その背景から考えてみました。 ■プレイヤー同士の交流の場が少ない
■競技としてのApexを体験できる場がない
■ゲームnoteクリエイターの発信、交流の場をつくる
つまりそういうことなのだ。最初からそうだったのだ。
私は草競技としての大会という側面だけに着目してしまっていたが、上の3つの背景のうち2回も出てくる言葉こそ大切なコンセプトだったのだ。それは、
「交流の場」
特に、最後に書かれた「ゲームnoteクリエイターの発信、交流の場をつくる」という一文に明確に表れている。もっとゲームnoteを通じて交流しあおうよ、交流したい! という想いが込められていたのだということが、今の私には分かるが、当時は理解していなかった。
そして、この記事の最後ではこうも書かれている。
noteクリエイターが集まってApexをする機会は面白いと確信しています。
その確信が正しかったことが大会を通じて証明された。
その上で、2021年5月27日の記事で大会の目的を示している。
この記事では、目的について、こう書かれていた。
■Apexプレイヤーの交流の場の創出
■競技シーンへの興味
■noteクリエイターのモチベーションの向上
加えて、こう強調されている。
中でも今回一番重きを置いていて、かつこの大会の特徴でもありますが、『noteクリエイターのモチベーションの向上』
今大会はここにフォーカスをします。
このHYSさんのビジョンがあったからこそ、大会が実現されたことは間違いない。
なぜなら、参加者が参加表明した段階ではまだ温まっていなかったものが、投稿をするという参加者自身のアクションが着火源となって、noteクリエイターのモチベーションに火が付いたからだ。
その火は、HYSさんの丁寧なフォローとリアクションによってnoteクリエイター間に次々と燃え移り、やがて大きな炎へと成長していったのだった。
助走期間
かくして、2021年6月4日、大会開催が告知された。
しかし6月の始めにこの告知がされてから実に3週間の間、参加者登録が伸び悩んでいた。察するに、参加するかも知れないけれど決めかねている止まりの人が多かったようだ。
かく言う私も実はずっと悩んでいた。どうしようどうしようと思いながら手を挙げる勇気を持てずにいた。
大会に向けたチーム練習をしたり、noteに記事を書いたりと考えると、やりたい気持ち半分、面倒くさい気持ち半分。
どうしても人が集まらなかった時は声を掛けてみようと思いつつ眺めていた。
それは2021年6月30日のことだった。
既に参戦を決めていたnoteクリエイターの炎が飛び火したのだ。
最後の数枠が埋まらないのを見ていた私はようやく重い腰をあげて6月30日にHYSさんのtwitterにDMを送った。
タッチの差で枠が埋まってしまっていた・・・。
正直、私は自分の勇気の無さを悔やんだ。
なぜもっと早く行動を起こすことが出来なかったのか思い返そうとした。
時間を巻き戻せたらと思った。
HYSさんにはキャンセル待ちの列に並ぶお許し頂き、息子にそのことを伝えた。
しかし不思議なことに、気付けばそれまでのもやもやした気持ちから抜け出して、応援しようという気持ちに切り替わっていた。
自分が出来ることは大して無いが、外野席からでも応援することは出来る。私なりの応援をしようと思うに至った。
結果的には息子の予定がつかなくなったので、どっちみち参加出来なかったのだが。
集う参加者たち
参加者が増えた頃、急に参加者の熱量が上がってきたと感じた瞬間があった。
きっと参加者が恐る恐る投稿したnoteへの何らかの反応があって、駆動が掛かったタイミングだったのだろう。
HYSさんの狙い通りnotersのモチベーションに火が付き始めたのだ。
HYSさんのページには「note creator's cup 大会note」が出来て、HYSさん自らせっせと記事を集めていた。
このマガジンのアーカイブを見れば火の勢いが垣間見える。
6月15日までの投稿数は約20本、6月後半で約40本、そして7月14日の大会開催日には120本を超えていた。
まさに指数関数的増加だ。
これを私はノート連鎖反応(note chain reaction)と呼びたい。
前夜祭
HYSさん自身のnoteも次々と更新され、「Apex note creator's cup」というマガジンに格納されていった。
そして迎えた大会前日の2021年7月13日。HYSさんのApex note creator's cup ノートの第27回がこちらだ。
ここでいきなり吐露された衝撃の言葉。
【楽しくはない】
いきなりかよってなりますよね。今の僕の正直な心境です。決して楽しいという感覚はないです。
そうですよね。
HYSさんは参加者では無く、いわば神視点。
みんなが浮かれれば浮かれる程に、燃えれば燃える程に、主催者は不安に苛まれストレスが溜まる。
そもそも何をどうやって良いのか分からない状態から始めた大会開催。
終わってみるまで分からないという気持ち、お察しします。その気持ちは当事者になってみないと分からないでしょうけど。
でも、前夜祭(前日配信)で初めてHYSさんの声を聴いて心配は杞憂だったと安心した。
きっと大丈夫、と思えた。
配信開始時間が10分ほど遅れたのは愛嬌として、強力してくれる仲間に囲まれて集った参加者の前でしゃべるHYSさんは不安という言葉と裏腹に嬉しさに溢れていた。こんなにみんなが盛り上がってくれるとは予想していなかったと言った。
今思えば、本当は予想通りだったのでしょ、と言いたくもなるが、もしかして誰も賛同してくれないのではないか、note投稿をセットにするという条件は余計だったのではないか、誰も投稿してくれないのではないかという不安はあったのだろう。だからこそ、大会開始まえにこれだけの投稿をして貰ったと、はしゃぐHYSさんの声には安堵感が満ちていた。
前夜祭配信を聞いていて思った。
HYSさんの大会は成功した、と。
まだ開催前なのにね。
試合当日
外出先で道を歩きながらこの投稿を見た私は、バナーに書かれた「大会当日」という文字を見てうかつにも感動して鳥肌を立ててしまった。
ようやくこの日が来たか。
来てしまったか。
あとは飲み物を用意してPCの前に座るだけだ。
公式チャンネルにあった配信サムネをクリックして、開始までのカウントダウンを横目で見ながら、他のYoutubeを見たりしていた。
時間になっても始まらないのは予想していたので多少の遅れは仕方ないと思っていたが、20分を過ぎた頃だったか、これいつまで待っても始まらないぞ、何かおかしいぞと気づいた。
念のためtwitterに告知されてたリンクを踏んでみると、ああ、すでに始まっているじゃないか。
ダミーを置いておいて引っ掛けるなんて、なかなかやるなHYSさん、とは思わなかったが、途切れ途切れの配信を見ながら柿の種を摘まんでいた。
大会公式チャンネルと、フルチーさんの配信を交互に見ながら、本配信は遅延があるなとか、神視点の操作って難しいんだなとか、いやぁプロがやるeスポーツ大会の配信ってどれだけ人とカネを掛けているんだ、とか思いながら、結局のところ試合の内容はどうでも良かった(失礼な話)。
HYSさんの作った土俵の上で、みんながワイワイやっているのを見ているだけで幸せだった。
きっとHYSさんは、ちゃんと最後まで出来るだろうかとドキドキしながらも、この時が終わらないで欲しいと思っているんじゃないかと想像したりしていた。
それまでの2試合ではため息が多かったフルチーさんが、最終試合で立てこもりからの最後の最後まで残り、狭まるリングと自分の撒いた毒ガスに囲まれながら敵の銃弾に倒れ、残る味方に淡い期待を寄せる息遣いの中で「GAME OVER」を見るという感動の場面に歓声を上げてしまったのは内緒だ。
解放される参加者たち
「こういうのってどうやって終われば良いんですか」という間の抜けたHYSさんの最後の言葉には、どこか余裕すら感じた。
いやぁ、無事終わってよかったー。
みんな楽しそうだった。
大会の配信としては課題だらけだったと言えるだろう。
何より解説のHYSさんの声が小さくて聞きずらかったのは残念。
HYSさんのお顔を拝めなかったのはもっと残念。
次は顔出しでやってくれ。
大会バナーを見ながら音声だけ聞かされるのは味気ない。
いやいや言葉が過ぎました。
素人開催なんですから、全然問題ありません。
それよりも、HYSさんが目指していたものが達成されたことが大事。HYSさんが目指していたのはHYSさん自身の幸せではなくて、みんなの喜ぶ姿を見ることだったのだから。
大会が終わって、普通ならお開きというところだが、参加者にとってはある意味これからが本番。
そう、noteを書かなけれならないのだ。
参加者たちは祭り会場から現実に引き戻されつつ、振り返りをnoteに綴るために散っていった。
熱狂から覚醒へ
大会の趣旨を見誤っていた私は、冒頭書いたように、次の朝になるまでHYSさんがやろうとしていたことの本当の意味に気付いていなかった。
ただ、独り静かに祭りに熱狂していただけだった。
参加者がしたためた記事は全てマガジンに収容されている。
皆様々な思いで大会に参加し、チームと合流し、練習し、交流し、その過程をnoteに綴り、noteを見た人が「いいね」やコメントを送り、それをモチベーションに再び大会への練習をする。
普段の仕事や生活がある中で、数週間そういった時間を過ごした参加者は、noteへのモチベーションはもちろんのこと、年齢に関わらず熱狂の体験をされたのではないか。
そんなみんなが、羨ましいぞー!
大会 × noteによってHYSさんが与えてくれたのは、仲間と一緒にスポーツに打ち込んだ学生時代の記憶が一生の思い出になるのと同じくらい輝いた青春の1ページだったのだろう。
みんなで何かを目指して協力してやり遂げるプロセスを通じて得たものは、自信や歓びに繋がるものだと思う。いつか人生の糧になるものだと思う。
祭りの終わり
そして、祭りは終わった。
まだ暫くは大会noteの投稿は続くだろうが、ゆっくりと投稿は減って行き、いずれ終わりを迎える。
この祭りに次があるという約束はない。
そんな約束を強いるわけにもいかない。
でもnoteがある限り、HYSさんのnote上には、この第一回大会のマガジンがある。いつでも戻って来れる。
でも、戻って来なくてもいい。
もう、しばらくは振り返らなくてもいい。
また、もとの日常に戻って、気が向いたらその時の想いや記憶に留めておきたいことをnoteに綴ればいい。
だれも見てくれないかもしれない。読んでくれないかもしれない。
でも続けていれば何かが起きることは、HYSさんが証明してくれたじゃないか。
キッカケがあれば、noteのクリエイター達が集まれるんだということが分かったじゃないか。この実績は決して小さくはない。
そんなキッカケを与えてくれただけで、感謝してもしきれない。
HYSさん、ありがとうございました。
書きながら何だか涙が出てきて、この投稿をどうやって終わったら良いか分からなくなってきたので、このへんでお開きにしたいと思います。
大会が産声をあげて、育ち、燃え上がり、そして火が消えていく過程を見ているだけでとても楽しかった。幸せだった。
みなさん、ありがとうございました。
おわり
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