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DIYとデジタル化の精神

 DIYブームらしきものが時々やってくる印象がある。今の流行りは差し詰めDIY女子だろうか。YoutubeでもセルフリフォームやDIYの動画が国の内外含め結構ある。
 こうしたことからすると今はそれなりのブームといったところか。

 これは私の勝手なイメージでしかないが、日本ではブームだからちょっとやってみたという域を超えたDIY人口はそれほど多くない気がする。
 つまり直して使う派よりも買い替える派が多いように思う。もったいない精神が普及しているはずの日本にしては不思議だ。

 少々大袈裟な言い方をすれば、DIYは課題見つけ、それを自分の力で解決することだ。見様見真似で日曜大工をすることではない。
 手始めとしては、作ってみました系の動画と同じものを製作してみるのも良いだろう。しかし、それは練習にはなったとしても自分で課題解決するというDIYの本質とはズレている。

 DIYで解決すべき課題は多岐にわたるが、根っこにあるのは人が生きるために必要な課題だ。
 その意味で言うとDIYは昔の日本では当たり前に行われていた。野菜を育て鶏を飼い、道具を造り、着るものを作り、物を大切に修理をして使い続ける生活が当たり前だった時代があった。
 貴族でもない限りそれは海外でも同じだっただろうと思うが、何故かそういったDIY精神が日本では他国よりも乏しくなってしまった気がする。戦時下の貧しさを思い出させるからだろうか。

 自ら課題を解決する思想の欠落は、日本でのデジタル化の遅れが深刻な理由にもなっている気がしてくる。
 デジタル化は単にコンピューターを普及させることではなく、課題解決にデジタル技術を使うことを意味する。
 人口密度が高いアジア諸国では、とかくマンパワーの大量投入でなんとかなってきたという成功体験からか、無駄に手数がかかることをあまり問題視しない傾向があるように感じられる。
 溢れる人々にあまねく仕事を与え生きる糧を得てもらうには、省力化や効率化は寧ろ天敵だったのだろう。

 翻って今の時代を、それから未来を展望してみると、同じことをより少ない労働力で回さなければならない時が差し迫っている。
 官庁の役人不足に至っては既にその未来に突入していると言ってもよいだろう。労働時間管理をせよと世間に指示している本陣がオーバーワークになっている。
 

 与えられたことや決められたことを忠実にこなした人ほど優秀だとされる時代はもはや過去の遺物だ。
 課題解決する思考が無いとこれからの日本は立ち行かない。ただでさえ課題は山積している。
 自らで切り開く、生きるチカラを備えたDIY人が求められる。
 そしてそれ以上に、そういった人を空気を乱すと言って排除しようとする雰囲気を作らないことが大切だと思う。

おわり

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