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AIの普及に備えて、自分の頭で考えることを思い出しておこう

 AIが絵を描いてくれたり、作曲してくれたり、文章の訂正をしてくれたり、プログラミングをしてくれたりする世界が急速に迫って来ている。
 そのうち人間の世界はAIに乗っ取られてしまい、支配されてしまうのではないか。昔流の見方をすれば、そうなるだろう。
 その心配はどうやら無さそうだというのが現在の見方だろうが、それとは別のことが懸念される。

 AIが作る作品や文章は一見新しいものに見える。しかしAI自体は過去の情報を元に構築されている。何が正しいのかを判定するのもこれまでの常識をベースにしたものになる。
 人間の場合でも新しいことを生み出すことの大半は、古い何かと別の何かを掛け合わせただけの場合が多いから、イノベーションの主役が人間からAIに変わったとしても大した違いは無いと言えるかもしれない。
 しかし人間の場合は人間の数だけバリエーションがあるのに対して、AIの場合は人間ほどのバリエーションは無い。仮想的にAIを増やせば人間を超えるとも考えられるが、それぞれのAIが人間よりも低級なのだから数だけ増やしても期待する結果は得られない可能性がある。

 ネットショップのおすすめ商品戦略がまねいた結果を見れば分かるように、ひとりの人間が生活の中でAIと対峙するようになると、その人の趣味嗜好の広がりはかなり限定しそうだと思いつく。
 AIが提示する文章が文法的にも儀礼的にも正しいものだとして、それで作成された手紙やお詫びの文章にはどんな意味があるのだろうか。AIによって作成された企画書や報告書は人間にとって意味を成すのだろうか。
 AIが作った曲を聴いて感動することが無いとは言えないし、人間が作曲した曲よりも効率的にヒット曲を作れるかもしれない。こうしたことは人間にとってどのような意味があるのだろうか。

 AIが直接的に人間を支配することは無いとしても、AIが提示する人間が感動しそうなストーリーや人間が喜びそうな企画、売れそうな商品が普及していった時、人間には何が残るのだろうか。

 懸念されるのは、文化の中心的存在が人間からAIに置き換わって行った時、文明は衰退するのではないかということだ。

 いにしえの時に農耕に革新をもたらした灌漑かんがいが、それ自体の存在によって後にその文明が滅んだように、革新的で実用的な技術によって文明が滅ぶことが無いとは言えない。
 昔はひとつの文明が滅んでも、世界には他の文明も育まれていたから人類が滅ぶことは無かった。しかし経済や交流のグローバル化によって世界が一つの生命体として繋がっている現代では、文明が滅びることは人類の滅亡をも予感させる。

 人は便利なことに弱い。明け渡してはいけないことであっても、便利になるのなら、楽が出来るのなら、どんな言い訳でも作って明け渡してしまう。人が持つ大切な能力のひとつである「解決法を考える」ことを、気がついたら忘れてしまっていて、どうやって解決するか皆目見当がつかないということになりかねない。
 AIを持ち出すまでもなく、私達は自分の頭で考える能力を失いつつある。過去の常識や空気、上下関係や力関係で物事が必ずしも良くない方向に進んでいくのを目の当たりにすることが多いのではないか。規則を守ることに執着するあまり、視界が妨げられていることに気が付かなくなってはいまいか。何が正しいことなのか、知識が無ければ解決出来ないと思い込んではいないか。

 AIの普及によって何かが起きたとしても悪いのはAIではない。
 悪いのは人間自身だということを忘れないようにしたい。
 そんな今だからこそ、自分の頭で考えるということを思い出しておこう。

おわり
 

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