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痛覚

 昆虫には無い痛覚が人にはある。このせいで私たちは痛みをイメージし、痛みへの恐怖を抱く。痛みは苦痛であり、それがあると他の行動が阻害される。痛いと勉強も手につかなくなる。

 この痛覚という仕組みのお陰で危険から逃れる事が出来るとも言える。ところが人間は敢えて危険なことをして楽しむ術を見つける。スリルを伴う快感は痛みの恐怖に打ち勝つだけの魅力を備えているのだろう。

 幼い子供でも痛かったら泣いて知らせるし、大人でも歯科医院では痛かったら左手で知らせることになっている。身体のどこかをぶつけた時などは、ことさらに大きな声で「痛!」と叫んだりもする。人がいなくても。

 痛みが激しいと脳内に快楽物質が放出されたりするから、世の中には痛みを快感に結びつけて楽しむ人もいる。しかし、もっと痛いと意識を失ったりする。つまり、痛いと感じるような痛みは大したことは無いということだ。

 本当に気持ちが良いと気を失うというから、温泉に浸かったくらいの気持ちよさは大したことは無いと思うことにしているが、マッサージを受けている途中で気づいたら意識を失っていることがあるがあれは何だろうか。

 本当に美味しいものは言葉も出ないというから、美味しい美味しいと煩い人はただ言いたいだけか舌が馬鹿になっているかのどちらかだろう。もっと美味しいものを食べなければと反省して欲しい。

 本当に眠いと寝落ちするから、あー眠い眠いと言っているうちはまだ余裕があるということだ。その点でうちの妻は夕食後に本当に眠くなるのだろう。私が一番眠くなるのは昼過ぎだけれど決して現実逃避ではない。

 厄介なのは、かゆいというやつだ。飼い猫も後ろ脚を上手に使って頭頂部を掻きいたりするから、動物にもあるのだろう。掻けば掻くほど痒くなるなんて、プログラムが間違っているとしか思えない。

 だから、この先人間が進化すると痒みはもっと違う感覚になるだろう。掻いて皮膚を傷めないように、別の何かに置き換わればいい。しかしそれが痛みに置き換わるのは御免だ。蚊に刺される度に痛くてはかなわない。

 きっと痛みは休憩のサイン。身体を痛めても、心を痛めても、涙が出たら少し休むのがいい。無理に何かをしようとせずに、のんびりとするのがいい。心の痛覚を持っているのはきっと人間だけだろうなぁ。

おわり

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