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多様性の上下左右

 日本ではこれまで組織の多様性を上下に見出していた。上下とは年齢と学歴だ。

 上下の多様性がある組織では、上の人の言う事は有無を言わさず従うというおきてがある。
 かつては官民ともに特に大きな組織では、中卒・高卒・大卒の違いによって採用枠および仕事の内容が異なっていて、組織内の上下は明確になっていた。これは国家公務員の世界では未だにそういう部分が残っていると言えるが、民間では高度経済成長期を経て学歴による上下は急速に薄れた。何せ今や高校進学率が97%、大学進学率が55%、つまり、全体の半分以上の人が大学に通っているのである。
 年齢による上下は、いわゆる社歴によって量られる。先輩後輩というしきたりは今でも根強い。日本企業で運動部出身者が好まれるのは、先輩が絶対というしきたりが身に付いているからだ。

 会社としての意思決定が一番適切で実行性が高いのはワンマン社長がいるオーナー会社と言われるが、そうでない場合でも日本企業の上下多様性は言ってみればミクロな専制が入れ子になったような構造で、最終的にはトップの決めたことが絶対という専制的統治型の組織になっている点では優れていると言える。

 上下多様性の組織では構造的に決める者と従う者に別れていて、それが組織全体のみならず組織の隅々まで行き渡っている。従って、組織の中にバカがいたとしても、上さえ間違わなければ大丈夫だったし、そもそも日本経済全体が上向いていたときには、上の判断の良し悪しよりも組織の生きイキのほうがパフォーマンスに影響したから、多くの組織は良い結果を残すことができた。
 つまり、日本企業は日本人で男性中心という多様性の薄い集団と言われるが、これを上下の多様性でまかなってきたことになる。
  
 それに対して現在一般的に言われる多様性は横の多様性だ。水平方向の多様性や左右の多様性と言っても良い。
 国籍、出身、男女などこれまで日本企業にあまり見られなかった横方向の多様性を取り入れるには、上下の多様性が邪魔になる。そこで組織を学歴や社歴から開放してなるべくフラットにしようとする力が働いているが、問題は単純にフラットにしただけでは強い組織にならないという点だ。

 強い組織を作るには、理想を言えばメンバー全員の能力を高くしなければならない。極端な言い方をすればバカを集めても良い結果は得られないのは当然として、それと同じくらいに、集団にバカが一人いても最良の結果は得られない。
 集団のごく一部のメンバーの能力が低いだけでその集団のパフォーマンスが落ちるのは、集団の意思決定を合議によって民主的に行おうとする時に起こることだ。つまり相談して決めるようとするような場合だ。だからフラットな組織が民主的に意志決定しようとすると失敗する。失敗とは言わずとも原理的にベストな決定は導けないことになる。

 雇用の流動性が確保されていて、社会的に適材適所が行き届いていれば問題ないが、残念ながら日本ではまだまだそうはなっていない。
 こういった前提においては、その分野で有能な社員を集めたり配置したりといったことは事実上不可能であり、その中で水平方向の多様性を目指す組織であれば、それに適した意思決定方法を採り入れる必要がある。
 それがどういったものになるか、まだ誰も見いだせてはいないのではないだろうか。

 理想的には水平方向と垂直方向の二つの多様性がバランスよく融合することだが、そうした多次元の難問の解法を見出すのはかなり難しいに違いない。

おわり


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