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映画『正欲』

 普通に生きることが出来ない人がいる。
 そんな人々にとっては、世の中が決めた普通が息苦しい。お前は生きているべきではないと詰め寄ってくる。

 この映画の主人公はそんな息苦しさを吐き出せずに社会の隅でひっそりと暮らしている人々だ。息を潜めていても容赦なく降り注ぐ世間の普通。普通の会話や普通の生き方。普通が一番正しいという価値観を押し付けてくる。

 決して普通の人に理解してもらおうとは思っていない。本当のことを言えば解決するなんて、分かっていないから言えることだ。心のうちを明かせば異常者扱いされるのが目に見えていて、それでも隠し事は良くないなんて良く言えたものだ。

 いろんな人がいていいんだ、多様性が大切なんだ。そんなことをスローガンに掲げたところで、本当に理解できると思ったら大間違いだ。理解し合うのには限界がある。
 だからこそ、理解できない存在を解消することが出来ないからこそ、そういう人たちも生きているんだということだけは心のどこかで認められるようになりたい。

 無理に受け入れる必要はない。受け入れるのは分かり合える人同士だけでいい。そっとしておいて欲しい。普通を押し付けないで欲しい。変な目で見ないで欲しい。
 そう欲することが正しいことだと言える社会になって欲しい。

     *

 小説が映画化された場合、物語がどれだけ忠実に小説の世界が再現されているかを追わない方が良い。モチーフやプロット、登場人物を共有しているものの、小説と映画は別物だ。そうでないと、あのシーンが無い、ここは少し違うといった邪念が映画の世界への没入を妨げることになる。
 この作品も、大筋が小説と同じでも受ける印象は違う。
 テーマは小説よりも、より一般化しているように思えた。

 社会の生きづらさを抱える役なのでガッキーの笑顔を期待して見ると裏切られることになる。熱演が評価される一方で、社会に埋もれて生きる女性を演じるにはオーラがあり過ぎてガッキーにしか見えず、テーマが薄まってしまった感があるのが残念だ。検事役の主役、稲垣吾郎も普通の人にしては整い過ぎている。私としては磯村勇斗と東野絢香の演技に魅かれた。
 重いテーマの映画の場合に、配役で動員しないと興行として成り立たないのだとしたら、製作者のみならず観る側の日本映画ファンの責任も多分にあるだろう。
 熱演された方々には悪いが別の配役でも見てみたい映画だ。

おわり


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