ジャストサイズ
あえて世の中の風潮に抵抗しようというのではないけれど、流行りになびくのを私は好まない。
例えば、皆がWindows95の登場に沸いていた時、私はMac派を貫いていた。当時のAppleコンピュータが発売するPCはデフォルトの機能(?)として数分に一度強制終了+再起動が必要になっていたし、メモリを増やそうにもCPUをアップグレードしようにも高価な部品を買わざるをえなかった。聞き分けの悪い子供をなだめすかしながらようやく飼いならすことが出来たと思った頃にはOSのアップデートによって再び降り出しに戻るみたいなことを嫌がるよりもむしろ楽しんでいた。
そのAppleコンピュータという社名からコンピュータが取れてAppleになったのは2007年。つまりiPhoneが発売された頃だ。
これよりも少し前、音楽プレーヤーであるiPodが販売された頃には既にAppleはメジャーな企業になっていて、それとともに私の気持ちは離れていった。
だから今でもスマホはAndroid派だ。
流行りを追いかけないのは何もPCやスマホに限ったことではなく、生活のあらゆるところで幅を効かせてくる。
行列の出来る店には並ばないし、皆が押し寄せる観光地には足を向けない。誰もが美味しいというグルメは避けて通り、地味に自分のスタイルに固執する。頑固と言えば頑固、融通が利かないと言えば融通が利かない。
何よりミーハー嫌いな私は、とにかく型に嵌まることを避けようとする。
ところが、最近妻に言われて気が付いたことがある。
私は実に型に嵌った人間であるということに。
私は通販でよく物を買う。衣類も買う。
よく試着もせずに購入出来るねと妻に言われて、その必要がないからねと返すと疑いの目を向けてくる。
試みに手元にあった、最近通販で買ったユニクロのジーンズを着てみる。
ほら。
そのジーンズを履いて妻に見せると、上から下まで目線を這わせて妻が言った言葉はこうだった。
「悔しいけど、似合うね。サイズもピッタリだし」
そうなのだ。
私の身体はどうやら型通りなのだ。
だから洋服のサイズで困ることはまずない。
実につきなみな、どこにでもいる、平均的な身体だと思い知らされた。
本当は誰もが着ている既製品などに袖を通したくないと言いたいところだが、サイズ通りに購入すればまず失敗することはないから、ここは何も考えずに平均に甘んじている。つまり型に嵌まり込んでいる。
みんなと横並びになりたくない。
自由に生きたい。
そう思いながらも型通りの服を着て毎日通勤電車に揺られたりしている訳です。
なんだかなぁ、と呟きながら。
おわり
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