心配ごとが心配に
気付くと何かの心配をしている。
最近では歳のせいもあってか体調に関する心配が常に付き纏っている。五十そこそこの若者が何をか言わんやと諸先輩方にはお叱りを受けそうだが、心配なものは仕方が無い。
身体の何処かにちょっとした痛みを感じると、すぐにでも死んでしまうような病なのではないかと思ってしまう。若くして病に倒れて亡くなった人のニュースなどを聞くと、自分まで同じ病になった気がしてくる。
仕事の心配ごとも尽きない。
ちょっとしたミスを指摘されようものなら、仕事を辞めなけばならなくなるのではないかと不安になる。直ぐに対処したから事なきを得たと思う自分と、この年になってまでこんなミスをするようではと明日から仕事が無くなるぞと思う自分がいる。失業を想像して眠れなくなる。
家族のこともそうだ。
大学生の息子がバイトや飲み会で帰りが遅くなると、帰りに事故にあったのではと落ち着かなくなる。居ても立っても居られなくなって家の中を用もなくうろうろしてしまう。何か連絡が入っていないかと妻に聞き、連絡してみてと促す。
玄関扉の開く音とともに飼い猫が玄関に走り出すのを見て、ようやく胸を撫で下ろす。
天気が急変するといけないからといつもカバンには折りたたみ傘を入れ、遅刻してはいけないからと待ち合わせ場所付近には一時間前には着くように出発する。
順番を間違えて乾燥籠に食器が入り切らなくなるといけないから、洗い物をする順番を頭の中でシミュレートしてから掛かる。料理のレシピは執拗に見返す。
いつも寝ている筈の椅子に飼い猫がいないと家中を探し回る(たいてい見つからない)。
地震に備えてペットボトルの水を大量に買い込んでしまう。
揺れると地震! と大声で叫んでしまう。
改めて振り返ってみて、日々の時間の大半が心配ごとに埋め尽くされていると気が付いた。
こんなにも心配ばかりしていてはと、自分のこの先が心配になって来た。
そんな傍らで、洗い物もしないままに炬燵で眠りこけている妻が少し羨ましくなった。
早く洗い物をしようよと小言めいたことを言うと、怒りの感情が倍になって返ってきた。
この先の夫婦の関係が心配になって、急に襲われた胸の痛みに死を想像して心配になった。
おわり
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