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議論が出来ない人々(笑)

 広島県安芸高田市の石丸伸二市長が話題だ。真に市民のためになる市政や議会の姿を模索しているように見受けられる。
 Youtubeに上げられている市議会の様子などは、様々な切り抜き動画に取り上げられて、市長と議員の攻防が白日の下に晒されている。

 しかし考えてみれば市議会はいつだって公開されてきたし、政治に興味の薄い私たちの知らぬうちに戦いは繰り広げられていたのかも知れない。
 ネット・テックの広がりとともに即時情報共有・開示、アーカイブ化や検索がものすごく容易になった。どれもスマホ1台あれば手元で出来る。スマホさえ操作出来れば、どこでも誰でも等しく情報を得られ発信が出来る世界だ。そうでも無ければ、こんな縁もゆかりも無い安芸高田市の市議会を覗き見るなんてことはあり得なかっただろう。

 石丸市長のやり方には賛否両論あるようだ。
 議会での理詰めの議論や根回しをしないやり方は、これまでのあり方と違いすぎているのは否めない。議員にしてみれば、そして一部の市民にしてみれば、まるで地球侵略に来た宇宙人のように思えるだろう。様子を見ていると、同じ日本語とは思えないほど話が通じていないことからも分かる。市長は同市出身なので方言の問題ではない。議員らは相撲を取ろうとしているのに、市長は「いやいやここはサッカーフィールドですよ」と言っているようなものか。古いしきたりや根性論とは無縁の現代サッカーをプレーし始めたものだから、周囲は狼狽えても不思議ではない。
 もっとも、現在の議会制がイギリスで発展したことからも分かるように、議会というのは元々、いわばサッカーフィールドで行わるものだ。日本に輸入された時に、どうして良いか分からなかった人々が取り敢えず相撲を初めて今日に至っている。
 そう考えれば、市長は皆さんがここでやるべきことは蹴球であって相撲ではないですよと言っているに過ぎないとも言えるだろう。

 ともかくも、議論をしてきたことがない議員らが多い議会では、議論が成立しない。傍から見ていると、市長が議場で答弁に立った際に思わず失笑してしまうのも分かる。笑われた方は馬鹿にされたと思っていることだろう。
 しかし考え違いをしてはならないのは、この時市長は質問した議員を笑っているのではないということだ。その議員個人を笑っているのではなく、議論になっていない状況に笑うしかないということだ。ここまで議論が成立しないとは、どうしたものかという状況を笑ったのだ、と私は思った。

 しかしこうした事態は、何も安芸高田市だけに見られることではない。日本の会社の会議がダラダラと長くなると言われるのも、そこで議論が成立していないからだ。だから、安芸高田市の議会のYoutubeを見て笑う権利は私たちには無いのかも知れない。

 議論で大切なのは、その目的が何かを見失わないことだ。
 市議会で言えば、行政側の代表者と市民の代表者が集って、より良い市になるべく議論を行うことだ。市長と議員は対立する立場であるが、そこでの対立とは何を代表しているものが違うことを意味するだけであって、敵対ということではない。相手を打ち負かした方が勝ちというゲームではない。どちらの意見の方が市民の益になるかを議論によって決定する、そうした場が議会であると言えよう。

 石丸市長は恐らく、議論にならない状況は安芸高田市だけの問題ではなくあまねく日本の現状を表していると思っているだろう。ネットを使って広く公開することの意義は、それによって日本全体が影響されることを意図したものだろう。
 遠くから安芸高田市市議会を眺めて笑うのも良いが、現在の私たちが立つ位置そしてこれからの日本を考えていく上では、一度立ち止まって議論をしてみるのも良いのではないだろうか。

おわり

▼石丸市長は、地方メディアのあり方についても問題提起をしている▼


この記事のサムネ画像は「安芸高田市神楽門前湯治村」

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