世界はあなたが思っているような世界ではない
世界はあなたが思っているような世界ではない可能性がある。
人は皆、それぞれがそれぞれの視点で世界を捉えて、世界はこんな感じと思っている。それは誰ひとりとして同じものではない。そこまでは分かるだろう。
さらには、あなたが好むことや好むものは、今のあなたがそれを好むようになったという結果に過ぎない。その証拠に十年前のあなたが好んでやっていたことと今のそれは違うだろう。ずっと好きでやり続けていることもあれば、疎遠になったこともあるのが普通だ。
あなたの記憶についても、過信しないほうが良い。過信どころか信じるに値するものではない。特に、答え合わせが難しい事柄は、大抵が間違っている。そんなはずはないと思ったのなら試してみると良い。思い出せる自信のある数年前の出来事について、そのことを知っているはずの人に確かめてみると分かるはずだ。きっとあなたの記憶とその人の記憶は、合わない部分が見つかるはずだ。むしろ合わない部分の方が多かったのではないだろうか。
ネット検索という行為は、知らないことを知るためというよりも、世界がそこにあることを確かめるために行われている。
思考実験をしてみよう。あなたが検索窓に入力した質問の検索結果がゼロだったら、あなたはどう感じるだろうか。検索エンジンが故障しているだけと思うのではないか。何故なら検索結果がゼロということはあり得ないと思っているから。世界はそこにあり続けているはずで、そうだとするなら検索結果はゼロにはならない。
しかし、本当に検索結果がゼロだったらどう感じるだろうか。しかも、どう考えても結果が何百も出てきそうなことでだ。もちろん検索エンジンは壊れていないとして。
そんなことは有り得ない、としか思えないのでは無いだろうか。そんなことが起こるとしたら、世界がそこに無いことになってしまうから。
人は、ネットに表示された情報を信じやすいのではない。目の前に提示されたことは鵜呑みにするように出来ているのだ。
有り得ないと思っていても、人間の言葉を喋るゴリラに出会ったら信じてしまうのだ。何故なら自分がその目で目撃しているから。このことは、ドッキリ系の番組を見れば分かる。
育った家庭環境でその人のその後の人生が違うのは、日常的に見ているものが違うからだ。勉強が出来る親の子供が勉強が得意になるのは、遺伝だけではない。子は親を見て育つからだ。
だからといって悲観する必要は全く無い。遺伝と違って、日常的に目にするものを変えれば良いからだ。
人間が言葉を文字として記すことによって得たことは大きいが、耳ではなく目から入る言葉という情報は、あなたが本当に見るべき世界を歪めてしまっているのかもしれない。そうだとしたら、知らずのうちにあなたが信じている世界は、実際の世界とは似ても似つかないものになっているのだ。
「百聞は一見にしかず」という諺の英語版とされているのはSeeing is believing(見ることは信じること)と言われる。逆に言えば、見たものを疑うことはとても難しいのが人間だと思っておいた方が良い。
ちなみに、believe(ビリーブ)という言葉の真意は、心を許すということだ。目に入ってくるものに心を許してはならないのだという教訓だとすれば実に的を得ているように感じる。
あなたに見えているものだけが現実であることには違いなく、見たいものだけを見て、信じたいことだけを信じるのが人間でもある。
だから本当は、世界はあなたが思っているような世界ではないはずだ。
おわり
(seeing is believingと「百聞は一見にしかず」は同じ意味ではないと思うのは私だけ?)
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