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世界をとらえる虚構の破壊力をイメージしよう

 人は世界をどうやって理解しているか。
 つまり自分の知らないことや理解を超えた出来事について、それらを自分の中に取り込んで、自分に当てはめて、自分が行動する時の指針に変換していくか。
 実は私達の生活を取り囲んでいる全てのことは、人が世界を理解しようとする試みによって形作られている。
 テレビもラジオも漫画も本も、ドラマも映画も演劇も音楽も。電話やLINEやインターネットも。歴史も科学も、そして宗教も。
 そしてそれらは全て噂話や虚構を伝達するための媒体だ。
 要するに私たちが生き延びるためのエネルギー源、原動力は、炭水化物でもタンパク質でも酸素でもなく、「おはなし」(噂話や虚構といった物語)なのだ。私たちは「お話」を通じて世界を理解している。

 生命維持をするために炭水化物やタンパク質が必要であるのは紛れもない事実だが、それは人間だけではなく多くの生物に共通したこと。地球上でどうして人間だけがこれほど繁栄(繁殖)出来たのか。その鍵は、「お話」を理解する、あるいは「お話」を通して世界を理解する人間の脳の仕組みにあった。

 あなたがデパートで買い物をする時のことを想像してみよう。
 そこに並んだ店舗や商品は、どういう過程を経て商品化され店頭に陳列されるに至ったのか。今年のトレンドはどうやって作られたのか。それが今年のトレンドだというのを私たちはどうやって知ったのか。
 そもそも何故あなたは着飾るのか。その為に何故その服やアクセサリーが必要なのか。どうして人はネットショッピングだけではなく、わざわざデパートなどの店舗に行くのか。

 私たちの生活から「お話」を取り除いた世界を想像してみよう。
 
 想像出来ただろうか。
 私たちから「お話」を取り除くと、私たちが地球上の生物の一種であるということ以外、私たちには何も残らない。「お話」を取り除くと、私たちの社会は虚無になる。社会そのものも「お話」の一部だし、それどころか、私たちが世界と思っているものも「お話」だから、世界はまるで死後の世界のように廃墟になる。

 正義や善悪もお話。苦楽もお話。痛みや幸福感もお話だ。
 嘘だろうと思うかも知れない。善悪がお話というのは良いとしても痛みは違うのではないか。そう思うかも知れない。では、次に何かで怪我をしたときに、痛いという言葉を思い浮かべたり口に発したりしないでみて欲しい。うちの飼い猫も出来ることだから、やって出来ないことは無いはずだ。

 人は、ひとりひとりがそれぞれの「お話」を持っていて、それが現実だと思ってその中で生きている。私たちの廻りにある「お話」も現実だと思って生きている。
 けれどその現実は本当は、世界の一部を切り取って加工を施された後の虚構に過ぎない。あなたは虚構を通してでしか世界を知ることは出来ない。私たちが見ている現実は、どこまで行っても虚構でしかない。それがそう思えないのは、宇宙に果てが無いのを感覚的に理解できないのと同じだ。

 映画『マトリックス』で描かれた世界。VR(バーチャル・リアリティ)が見せようとしている世界。そうした世界観は、この世界の現実という虚構の中で、どうにかして別の視点から眺めることが出来ないかを模索したものだろう。『マトリックス』がどこか宗教的に思えたとしたら、現時点で現実の果てを扱っているのが宗教か哲学か宇宙物理学くらいだからだろう。

 人が持つ「お話」の能力は、ホモ・サピエンス以外の人類を滅ぼし、多くの生物の生息環境を蹂躙して地球を征服する力を持っている。虚構はそれほどまでに破壊力がある。
 そのことを改めて私たちは理解する必要があるだろう。

おわり

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