見出し画像

ドラマ『夜がどれほど暗くても』

 程度の差こそあれ、人は誰でも何かに巻き込まれている。それと同時に人を巻き込んでいる。

 意図せず不幸の渦中に放り込まれる人もいれば、使命が如くに人を不幸に落とし込む場合もある。一面では人を助ける善意も、逆さから見れば悪意にしか思えないこともある。

 私たちの視野の中には問題事しか無いのが普通だ。どんなに幸せに見える人々でも、全く問題が無いことはない。皆解決しなければならない何かに直面している。切り抜けなければならない苦境に立たされている。
 隣の芝生は青い。それが真実だ。どう見ても自分より他者の方が恵まれている、そう見えるものだ。

 夜がどれほど暗くても。
 この題名の後に続く言葉は様々だ。一番わかり易い解釈では、諦めてはいけない、だろう。しかしこのドラマでは登場人物ごとに抱える状況が多層的に重なり合って、題名に続くべき言葉はそれぞれ別なはずだ。

 深夜に掛かってきた警察からの電話で主人公は息子が重体で病院に運ばれたと知らされる。病院に駆け付けると今度は、呼吸器に繋がれてベッドに横たわる息子を横目に、彼は殺人した上で自殺を図ったのだと聞かされる。親から見ればどう考えても人を殺すことなど出来ない息子。しかし彼は意識を取り戻すこと無く、疑いのままに死んでしまう。
 世間から浴びせられる加害者の親という視線。住むマンションから出ていけと言われ、外に出れば記者が詰め寄り、街ではスマホで撮られて拡散される。殺人者を作り育てた人でなしというレッテル。息子が本当に殺したのだとしたら謝る他ない。責められても仕方が無い。そう追い詰められていく。
 しかし世間から何を言われようとも、主人公は息子を信じることをやめなかった。なぜなら、ここ5年間会話をしていないくらい不信な関係だった息子との絆を復元したかったからだ。亡くなってから抱いた後悔の中で、向き合って来なかった自分を恥じたからだった。

 外出先で警察からの電話を受けた被害者家族の高校生の一人娘。現場保存のために我が家には立ち入れないと言われる。警察署で初めて聞かされる両親の死。しかも、母親の教え子に殺されたという衝撃。復讐を誓うもののその犯人は病院で息を引き取ってしまう。やり場のない怒りは、犯人を育てた親に向かう。

 これ以上無い証拠があるというのに起訴に踏み切らない捜査本部の上司。上からも下からも早く起訴しろと言われながら、犯行動機に納得がいかない。夜がどれほど暗くても、それだけで人は殺人を犯さないのではないか。しかし迷いを否定するような事実は見つからない。

 被害者の娘が頼った被害者遺族を救う会は加害者家族を守る活動もしていた。被害者の娘は事件をきっかけに学校で虐めの対象になっていた。絶望の中でも手を差し伸べるどころか追い打ちを掛けて来るというのか。

 見えない出口への道筋は、ドラマでは確実に外に繋がっている。最終話では明るい空の下で自然に笑うことが出来る。もっとも、それは元々誰もが望んでいた形ではない。運命と言えばそれまでだが、新しい道を進まざるを得ないのは、現実世界に通じているだろう。
 リアルではドラマの中よりも心を強く持つ必要があるということだろうか。
 朝陽が昇って来ないとしても。
 昼がどれほど暗くても。

おわり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?