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コミュニケーション

 新卒採用において学生のコミュニケーション能力が落ちていると感じる事が多いと聞く。実際に私自身もそう思うことがしばしばある。人当たりが悪いとか、喋れないということではない。言葉を知らないとか、言語による思考能力が劣っているというのはあるが、それだけではコミュニケーション云々の話にはならない。
 では、よく言われるコミュニケーション能力の無さとはどんなものだろうか。

 結論から言うと、コミュニケーションの小手先の技術のことではない。もっと深い根っ子の方にある、人との繋がり方にあるように感じる。思考や思索の深さがどうとかいう以前に、極めて浅いところでのやり取りしか出来ない。
 簡単に言えば、人間味が無いように見えるのである。

 人間性が見えないと言っても良いだろう。目の前にいるのに画面越しの様な感じと言えば分かり易いだろうか。敢えてそうしているとかではなく、自然にそうなっている。他人との普段の付き合い方がそのまま出ているのだと思う。つまり、友達同士でも表面的なやり取りに終始し、真剣な会話は行われていないのでは無いだろうか。

 不思議なのは、表面的なやり取りの中に突如として極めてプライベートな話題を放り込んで来ることだ。会ったばかりの人に恋人との関係性について相談するとか、面接の時に何処から来ましたかと聞かれて彼氏のうちからと言ってみたり。

 十把一絡げに言うのは良くないだろう。しかし、多くの若者が相手との距離感を測りかねているように思える。その実、皮をめくっても中身が無い。ぶっちゃけ、と言いながら何もぶっちゃけてはいないという様な言葉の使い方の間違いのことではない。ぶっちゃけ、ぶっちゃけるほどのものが無いのだ。そう見えてしまう。

 脳科学的に言うと、コミュニケーションの際には相手の表情を読むという前頭前野の機能が重要だという。人は相手が何を考え、何を感じているのかを言葉からではなく、表情によって伝え、読み取るのだ。昔から良く言われるが、相手の表情を読むためには、相手の目を見て話をし、目を見て話を聴くことが重要だ。

 このことを念頭において若者たちの会話風景を思い返してみると、相手の表情を読むということを殆どしていないことに気がつく。相手を見ることを恐れているかのように、目を合わせていない。
 現代は若者に限らず、目を見て相手の表情を見て会話する機会が減った。電話やメール、LINEやZoomなどのツールを使ったコミュニケーションでは、表情を読むことが出来ない。挙げ句、意思疎通の道具は言葉に傾倒することになる。これは言ってみれば、不完全なコミュニケーションだ。

 となると、コミュニケーションが出来ないのは必ずしも能力の問題ではなく、手段の問題かも知れない。手段が変わったことにより、コミュニケーションが意思疎通としてではなく、単なる情報交換の場になってしまったのだろう。
 だとすれば、会話の中から人間性が見えてこない訳が分かる。人間性を見せる目的では行われていないからなのだ。

 表情を読み取る訓練がされていないとすれば、ドラマや映画は早回しで十分と言うのも頷ける。映像作品から読み取れるのが、感情ではなく風景と言葉によるセリフからなる単なるプロットだけだとすれば、じっくり時間を掛けてみるだけ無駄というわけだ。

 コミュニケーションでは情報交換が出来れば事足りると思うと見誤ることになる。お互いの感情が交わるところにしかコミュニケーションは無いと思うくらいがちょうどいい。
 今すぐにでも、しっかりと相手の目を見て、表情を読み取りながら会話をしてみることをお勧めしたい。もっとも、急にそんなことをすればきっと相手はのけぞるに違いない。心を読み取られることに恐れおののいて。

おわり

 

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