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暮らすところ住むところ、働くところ

 通勤のバスに駅まで揺られながら、暮らしと働く場所が遠いからいけないんだなと思った。なにも通勤の辛さを嘆いているのではない。場所が変わることでスイッチを切り替えることが出来るのは良いとして、住まいと仕事場が遠すぎると仕事は生活の糧を稼ぐところで暮らしとは別物という感覚になる。家庭に仕事は持ち込まないなんて言うのがさも美談のように語られる。
 こんなことを言っていると、そういうのをワーク・ライフ・バランスというのですよ、と諭されそうだが、逆にその人に言ってやりたい。あなたはワーク・ライフ・バランスを誤解してますよと。

 多くの場合ワーク・ライフ・バランスのことを、仕事と個人の時間を分けることで、仕事もプライベート充実させることと誤解している。ライフというのはあなた個人に限定されたプライベートな生活ということではない。趣味時間や自分の時間を仕事時間に侵食させないということではない。ライフとは、あなたの生活圏にいるあなた以外の人々を含めた暮らしのことだ。そして、積極的に地域社会のコミュニティライフに関わるためにワークとバランスさせるということだ。

 仕事と暮らしを分けて考えるから、仕事さえしておけば家事はしなくても良いというような歪んだ考え方になる。生活なくしては何も成り立たないのに、身の回りの事すら出来ない。男性も育休取得をと言われるから取りましたというのではなく、妻がうるさいから育児参加するというのではなく、家族だから子供の面倒を見るというので良いではないか。シンプルに考えよう。

 今どき地域の町内会で何かをするという機会がないかもしれないが、地域社会に協力する代わりにそれをお金で解決させて済ませているのだということには気付いた方が良い。

 自立して生きるというのももちろん重要だが、自立は社会から切り離された状態を指すのではない。支えられている社会を意識し、自分という小さな枠を超えて、それを包む大きな枠組みに貢献出来るようになることが自立だ。そのためには、人が生きるために必要な基本的なこと、つまり料理や掃除、片付け、洗濯、子育てにまつわるあらゆる事、そして愛を育む事を一通り出来るようになっておくことは最低限身につけるべきスキルだ。

 自分の為だけのスキルアップや自分磨きなど下らない。磨いた自分を他人のために活かしてこそ自分が光り輝く。皆がそう思うようになったら、社会はもっとハッピーな場所になる。
 他人に自分の時間を奪われることを嫌悪して人との距離を置くのではなく、見返りを求めずに相手を笑顔にできるスキルを皆が身につければ生きていて楽しいと思える人が増える。

 駅でバスを降りて通勤電車に乗り込んでみると、みんなスマホの画面に釘付けで見事に個に閉じこもっていた。誰もが自分の内側だけを見ることで、外からのストレスに耐えているかのように。
 顔があるのに顔が見えない社会に幸福はやって来ないだろうな、と他人事のように思った私は、スマホにダウンロードした電子書籍の文字を追った。

おわり

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